四章 秋水河姫神
第29話 神を見た日
(駄目だ...。やっぱり既読付かない...)
曇り空の下、学校から少し離れた所にある、全国チェーンのイタリアンレストランの前で渚はスマホを睨んでいた。
一昨日食事をすると決めてから、優悟からの返信が一切来なくなった。アプリの機能で何回か電話もかけてみたが、それにすら応じない。
確かに渚の友人の中にも返信が異常に遅い者もいるが、それでも直近の予定について昨日からずっとスルーをするなんて事あるだろうか。渚は嫌な胸騒ぎを覚える。
彼の最寄り駅からここまで来るのに1時間弱はかかる為、仮に今からこっちに来ようとしても集合時間には絶対に間に合わない。それでも最後に連絡してみようと通話ボタンを押そうとした時。
「お待たせ。ごめんね、待たせちゃった?」
スマホから目を離すと郁が少し照れくさそうな顔で立っていた。
(わぁ...凄い大人っぽい...)
私服の郁の姿を一目見ただけで、渚はついそう思ってしまった。彼女はベージュ色のチノパンに白無地のTシャツ、有名ブランドのロゴが入ったキャップというシンプルな装いであったが、元の顔が整っているお陰もあってか寧ろそのシンプルさが彼女に大人びた印象を与えていた。
「篠宮さん凄いお洒落だね。同い年と思えないよ!」
その言葉に郁は更に気恥ずかしそうにしつつ、囁くように「ありがとう」と口にした。
「お母さんがアパレル関係の仕事に就いてるから、私服は基本的にお母さんのチョイスなの。良く分からないんだけど、私にはこういう服が一番良く似合うんだって。個人的にはもう少し可愛い服も着たいんだけど」
「でも凄い似合ってるよ!良いなー。私なんてファッションセンスないから、そういうの全然分からないんだ~」
渚は視線を落とし、自分の服装を改めて眺め、そして郁との完成度の差に密かに落胆した。
小学生の頃から運動が大好きだった渚にとって衣服に求めるものは「動きやすさ」ただそれだけだったし、中学生になって日中の大半を制服で過ごす事になったことでその傾向は更に加速していた。今着ている服も晴馬という彼氏が出来たことで流石に少しはお洒落しなければ不味いと思い、ネットで見つけたコーデ例の一つを殆どそのままコピーしただけに過ぎない。
「ううん。下川さんも凄い似合ってるよ!そのスウェットとシャツワンピース、こないだ出たばっかりの新作でしょ?そのブランド、私も好きなんだ」
少しでも落ち着いた雰囲気を出そうとして渚が選んだ服はグレーのスウェットに白のシャツワンピースを組み合わせたスタイルで、どちらも財布をあまり圧迫しないよう、ファストファッションブランドの店で購入したものだ。
「そ、そうかな?それなら良いんだけど...ってもう予約の時間だ。お店の中入ろっか?」
手元の腕時計は予約の時間である11時前を指している。そろそろ店内に入っておかないと店側に迷惑だ。
「...やっぱり、大久保君に連絡付かなかった感じ?」
にこやかに渚の服を眺めていた郁の表情が一転して暗くなる。音信不通になった優悟への呼び掛けは当然、渚だけでなく彼女も行ってた。
「うん...。一昨日帰ってた時は普通に話してたんだけど、もうそれからは全然...」
「そっか...」
渚の胸騒ぎは止まない。
一昨日の晴馬の取り乱し様からして、彼の中に件の邪神がいるというのは、きっと間違いではないのだろう。そして自分と優悟はそんな彼と親しい間柄として、神社での事件以降も普通に接してしまっている。
だとすれば、澱神に目を付けられていたとしても、決して不思議ではないだろう。
(篠宮さんなら何か分かるかな...)
そう思って出かけた言葉を、渚は急いで引っ込めた。この三年間澱神に苦しめられている彼女ならば、自分と同じ予感を既に抱いていることだろう。であればそれを無理に口に出して不安を殊更に強くさせるべきではない。
「ま、連絡つかないならつかないで仕方ないよ!明日学校に来てたら今日の分のお金貰えば良いし!とりあえずお店入ろ!」
彼が明日学校に来る保証は無い。それでも「篠宮に感謝を伝える会」という明るいこの集まりの雰囲気を暗くしないよう、渚は少し無理矢理に笑顔を作って店内へと歩みを進めた。
「やっぱあの三つ首のドラゴンが仲間になるシーン、篠宮さんも好きなんだ?」
「うん!だから最後の最後で主人公を庇って死んじゃった時、私思わず泣いちゃって」
「分かる分かる!あそこは泣けるよね~」
席に着き、ドリンクバーのジュースで乾杯してから約一時間。二人は晴馬の家に置いて来た小説の話で大いに盛り上がっていた。
渚は同じクラスの年でも郁と話したことがあまりなかったのでこれは知らなかった事なのだが、実は郁は根っからの読書家らしく、渚の好きな小説も既に読了済だった。ただ普段学校ではそんな素振りは見せないのは、学校に居る時は本を読むよりも友人達と出来るだけ同じ時間を過ごしたいから、らしい。
ひとしきり小説について語り合い、お互い下の名前で呼ぶようようになるまで打ち解けたところで、郁がこんな事を聞いてきた。
「あのさ、渚ちゃん。嫌だったら答えなくても良いんだけど、どうして渚ちゃんは杉内君と付き合おうと思ったの?」
「...え?」
思いもよらぬ質問に、渚はどきりとする。
「ううん。正確には杉内君のどんなところが好きになったの、かな」
郁は僅かに視線を落とすと空のコップを手に取り、中に残る氷をカランと鳴らした。
「私、杉内君に姫神様の加護があるって言ったじゃん?ただね、それが最初から姫神様のものだってことは分からなくて、それが分かったのは、今年の林間学校だったの。二日目のトレッキングでさ、途中で私が倒れたの、覚えてる?」
「えっと...あ、覚えてる覚えてる!確か、森の中でいきなり意識を失って、救急車なんて呼べないから先生と男子で道路まで運んだんだっけ?」
「そう。あの時は貧血のせいで倒れたってことになったんだけど、実はあの時私、森の中に漂っていた、自殺者の霊に狙われていたの。意識を失ったのは、本当はそのせい」
「え...」
渚の二の腕に鳥肌が立った。
今年渚達は、林間学校のカリキュラムの一つとして長野にある樹海でトレッキングをしていたのだが、そこは自殺の名所としても有名なところで、トレッキングコースによっては心霊写真が撮れたり、体調が悪くなったりといった事例がいくつも報告されていたのだ。
「私に目を付けた奴、何度も何度も『寂しい、寂しい』、『俺が見えるんだろ、だったら一緒に来てくれよ』って耳元で囁いてきたんだ。自分勝手だよね、自分で命を捨てたくせに、いざ死んだら寂しいからって生きている人間を道連れにしようとするなんて。でもそいつ、凄く強い霊で、意識を失った時は本当にダメだと思った」
コップを握る郁の両手はふるふると僅かに震えていた。霊感なんて露ほども無い渚には死んだ者に連れて行かれそうになる恐怖など想像もつかない。だが彼女の表情と震えからして、本当に恐ろしかったのだろう。
「でも、いざそいつに連れて行かれそうになった瞬間、急にそいつが目の前から消えて、代わりに霧がかかったみたいにぼやけた空間?みたいところで杉内君がこっちを見下ろしてるのが見えたの。多分、私を運んでくれた生徒の中に杉内君が居たからだと思う」
「でも、どうして晴馬君だけが見えたの?」
郁は再び氷を鳴らす。そういえば一昨日カラオケで松原と出合った時も、郁は今と同じようにコップの中の氷をカラカラ鳴らしていた。もしかしたらこれも、澱神を遠ざけるまじないか何かなのかもしれない。
「その理由は直ぐに分かった。私の横で膝を着く杉内君の傍には、真っ白な身体に赤い目を持った大蛇が佇んでいて、同じように私を見下ろしていたの。最初はびっくりしたんだけど、私を見るその目が凄い優しくて、私、直感で分かったの。『この蛇は秋水河姫神様だ。姫神様が助けてくれたんだ』って」
「それじゃ郁ちゃんは姫神様を実際に見たんだね」
「うん」と、郁は頷く。
「それで私が大丈夫だって分かったのか、杉内君はにっこり笑って立ち上がって、静かに霧の中に消えて行った。その時に姫神様も一緒に消えて行ったんだけど、横に並ぶ杉内君を見る姫神様の目が凄い色っぽかったのを、今でも覚えてる...」
そこで郁はコップから手を離し、渚の目を真っすぐと見つめた。普段の幸薄な彼女から放たれているとは思えない、強い眼差しだった。
「神話の中では秋水河姫神は惚れっぽいって言われてたけど、神様なんて存在に、人に対する恋心とか、そういうのがあるのかは私にも正直分からない。でもあの時の姫神様は明らかに、杉内君に特別な感情を持っていた。竜神から生まれた神様にそこまで気に入られるなんて、本当に凄いことだと思う。だから渚ちゃんが杉内君に惹かれたのも、そういうとこなんじゃないかって思ったんだ」
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