第24話 篠原郁の真実

「そうね...。勿論そうしたいけど...」


「...!晴馬は助からないんですか...!?」


言葉を濁した松原に、優悟は勢いよく立ち上がった。心臓が、今まで経験したことが無い高鳴り方をしている。


「落ち着いて大久保君!郁ちゃんから晴馬君の事を聞いて対策は既に考えているわ。だから...」


「あ、あの松原さん。話題を変えるようで大変申し訳ないのですが...」


優悟を何とか座らせた松原に、今度は渚が問いかける。


「松原さんと篠宮さんってどういった関係なんですか?それにこれまでの話を聞いてると、篠宮さんが晴馬君に神様が憑いていることに気付いたみたいなんですけど...」


優悟に比べ、渚はかなり冷静で理性的だった。確かに普通の女子生徒と神主が関わる機会などまず無いだろうし、そんな郁が晴馬に巣食うものを看破したというのも不可思議な話だ。


「...そうね。そのことを、まだ話して無かったわね。えっと、郁ちゃん自身のことは自分で話すつもり...なのよね?」


松原は心配そうに郁の顔色を伺う。その振る舞いは実の母親のようだった。


「はい。それに私も杉内君に助けられてきた人間です。だから、自分の事は自分自身で話したい」


ここまで二人と松原のやり取りを聞いているだけの郁がようやく話題に上がった。彼女は一度呼吸を整え、決意に満ちた顔で語り始める。


「実は私ね、前から杉内君に姫神様の強い加護があることを知ってたの。何で彼にそんな凄い神様の加護があるのか今まで分からなかったんだけど、大久保君の話で、何だか分かった気がするんだ」


目を丸くする二人に、松原が郁に続いて彼女の真実を語る。


「郁ちゃんには凄い強力な霊感があるの。私も職業柄そういう力を持った人や、そのせいで悩んでいる人に結構会うんだけど、郁ちゃんは今まで出会った人達の中でもとびきりの強さを持っていた」


「私って雨の日によく学校休むでしょ?あれは実は偏頭痛が酷い訳じゃないの。雨が降って暫く経つと、分かるんだ。地面から湧き出て梅雨の日の湿気みたいに纏わりついてくる、澱神の邪気が。ただ分かるだけならまだいいんだけど、私くらい強い霊感の持ち主だと、その邪気のせいで体調を崩しちゃうの」


秘めていた真実を教えてくれた郁の顔はとても辛そうだった。


「郁ちゃんが関央に通うようになって直ぐ、彼女のご両親が私のもとに来たわ。これまで郁ちゃんを一番近くで見て来た存在だからこそ、彼女の体調不良が霊感によるものってことにいち早く気付いたみたいね。そこで郁ちゃんの霊感の強さを知った私は澱神と姫神様の伝説を教え、その上で郁ちゃんの相談役になることにしたの」


「そうだったんですね...」


その真実を聞いた優悟は、学校で「篠宮郁水商売している説」などと吹聴している低俗な連中を全員殴り飛ばしてやりたくなった。霊感のせいで体調が悪くなるなど、嫌われたり変な奴としていじめられたりする可能性が怖くてまず友達には言えないだろう。そのことも含めて、彼女はかなり辛い思いをしてきた筈だ。


「でも学校に入って暫くして、学年の中にとても気持ちの良い空間、みたいなのがあるのが分かったの。上手く言えないんだけど、暑い夏の日にプールに飛び込んだ時みたいな、湿気とか汗で張り付く服とか全身にある不快感を全部いっぺんに引き剥がして遠ざけてくれる...そんな風に感じられる時があったんだ。そしてそれを生み出しているのが杉内君だって事に気付いて、出来る限り杉内君の傍にいたくて、二年生の時から一緒にペアワークしたり、お昼を近くで食べたりしてたの。杉内君のことが好きだったとか、そういう訳じゃないよ!」


郁はぎこちない笑顔を渚に向けた。晴馬の彼女がいる手前、あの噂のことだけは否定しておきたかったのだろう。


「でも、文化祭の準備の時に買い出しから帰ってきた杉内君を見て、私信じられなかった。いつもある心地良さが全部失われて、代わりに澱神の邪気で全身が覆われていたの。あんなに濃くてぐちゃぐちゃに動いている気、初めて見た。本当は杉内君の事もっと早く松原さんに伝えたかったんだけど、その気のせいで私三日近く寝込んじゃって...。本当にごめんなさい」


「私も迂闊だったわ。晴馬君の存在自体は郁ちゃんから聞いていたんだから、もっと早く彼に出会っておくべきだった。でも、神主の私が下手に近づいたらかえって澱神に目を付けられるんじゃないかって及び腰になってしまったの。ごめんなさい」


松原と郁はテーブル越しに渚と優悟に深く頭を下げた。二人はどうして良いか分からず、思わず互いに顔を見合わす。


「あの...松原さん。私、この土地にそんな恐ろしい神様がいるなんて正直まだ信じられなくて...ましてやそれが晴馬君になんて...」


渚の言葉に、松原は寂しそうに微笑む。


「そりゃそうよね。恋人が悪い神様に憑かれた、なんて普通そんな簡単に受け入れられないわよね...」


そこで松原は横に座る郁を見る。彼女と視線を合わせ、そして力強く頷いた。まるで「私は大丈夫」と告げているかのように。彼女の意思を受け取った松原は小さく頷き、再び二人を見た。


「ねぇ二人共。貴方達が嫌じゃなかったら、見てみない?郁ちゃんが言う、澱神の邪気ってやつを」


『そんな事出来るんですか!?』


思いもしなかった提案に二人はほぼ同じタイミングで全く同じリアクションを示す。


「ええ。姫神様によってその力は相当に弱められているけど、それでも極僅かな邪気が今でもこの淀住には漏れ出しているの。郁ちゃん位の霊感がないとそれを直接見ることは出来ないけど、私がその形を変えることでなら、貴方達でも見ることが出来るわ」


二人は再び互いの顔を見合わす。郁や晴馬を苦しめている存在を観測する。それはとても興味深いと共に、とても恐ろしいことだった。


だがここまで来た以上もう後戻りはしない。そう考えた優悟は


「下川さん。俺は見てみたい」


と告げる。恐らく渚も同じ事を考えていたのだろう、


「私も見てみたい。松原さん、お願い出来ますか?」


と松原を目を真っ直ぐ見つめた。


「分かったわ。...郁ちゃん。貴方の水、少し借りるわね。耐えられなくなったらいつでも言うのよ?」


松原は郁がドリンクバーから注いで一口も飲んでいない水のコップを自分の前に引き寄せ、その中に自身の左の薬指をそっと差し込んだ。


そしてその直後に起きた現象に、二人は自分の目を疑った。


松原が指を入れた途端、水が沸騰しているようにボコボコと勢いよく泡立ち始め、みるみるうちに茶色く濁り始めたのだ!


「うっ...!」


水がミルクを入れたコーヒー程にまで染まった時、以前晴馬の前でそうしたのと同じように口を抑えた。松原が急いで指を離す。すると水は濁りを残したまま、激しい泡立ちを止めた。


「これ以上は危険過ぎるわ。私は急いでこの水とコップを清めなきゃいけない。すぐに戻るから申し訳ないけどその間郁ちゃんをお願い」


松原は慌ただしく部屋を出て行ってしまった。方向から考えて、トイレでも行ったのだろうか。松原がドアを閉めるとすぐ渚が郁の傍に座る。


「篠宮さん大丈夫!?」


「うん...大丈夫。元々松原さんと話してたの、二人に澱神の事を信じてもらうにはこうするのが一番だって...」


渚に背を擦られ多少は楽になったのか、郁の呼吸が次第に落ち着き始める。


「今のが澱神の力。姫神様が流れる水を司るのとは正反対に、澱神は池や水溜りみたいな、その場に留まって動かない水に干渉するの。今みたいに水を濁したり、その水を使って病気や虫を作り出したりね。それとね、自分自身の力と蛙の姿をしているせいなのか、澱神って静かで動作が少ない場所を好むの。カラオケを話し合いの場所に選んだのはそれが理由。ここなら他人に絵を見られたり話の内容を聞かれたりすることも無いし、他の部屋で歌っているお客さんのお陰で澱神を自然と遠ざけることが出来るから」


(流れる...水...?...!そうか、そういうことか...!)


澱神の力を目の当たりにした事で、その言葉が優悟の思考という名のエンジンを点火させた。


(学校に幽霊が出た日の放課後...あの時トイレには蛇口から水が流れていた...。それに練習試合の時の壊れたスプリンクラー...。あれはきっと全部、姫神様が動く水で自分の力を強めて晴馬を助けようとしてくれてたんだ...!)


何だか探偵にでもなった気分だ。優悟の頭はどんどんとギアを上げてゆく。


(それなら下川と一緒に神社に行った時の事も説明が付く!手を洗う時の生臭い水、さっきの伝説と同じように晴馬はきっとそこで澱神に入り込まれたんだ。姫神様は石の蛇から水を出してそれを防ごうとしたけど間に合わなかった...!そうだ、これなら全部の辻褄が...あ、いやまだだ。まだ分からない事がある)


「お待たせしちゃったわね。郁ちゃん、大丈...」


「あのすみません!澱神に憑かれたその若者って、悪夢を見せられた以外に何か他におかしくなったこととかって無いんですか!?」


戻って来た松原に、優悟は再び食い気味でかかって行った。



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