第23話 土着の邪神と救いの水神

「大昔からこの地には澱神よどがみという蛙の姿をした土着の神様がいるの。澱神は水を操る力を持った神様なのだけれど、その力を人間を苦しめることにしか使わない、それは邪悪な心を持った神様だった。澱神は自身の力を使って地面の水捌けを悪くし、そこに溜まる澱んだ水から生んだ虫や病気を人間にけしかけ、彼らが病や虫害で苦しむ姿を嘲笑っていたそうよ」


松原の語りはとても上手く、優悟と渚は早くも彼女の話に引き込まれていった。


「でもそんな澱神の傍若無人っぷりも長くは続かなかった。天からその様子を見ていた、雨を操る露大神つゆのおおかみという竜神が澱神を沈める為、自身の白い髭を一本引き抜き、それで一人の神様を生み出して地上に送り出したの。その神様の名は秋水河姫神あきみずかわひめのかみという女性の神様。他ならない、秋山神社に祀られている神様よ」


(そんな神様が居たのか...)


神主である松原を前にしていることもあり、優悟は小さい頃からずっと世話になっていた神社に住む神様の名前すら知らなかったことに若干の罪悪感を覚える。


「竜神の髭から生まれたことで白い蛇にもその姿を変えられる秋水河姫神が持つのは『流る水を司る力』。秋水河姫神はまず蛙の天敵である蛇の姿でもって澱神を抑え込み、澱んだ水の全てを父である露大神から与えられた雨を用いて洗い流し、この地を救ったの。ほら、この辺りの地名って『淀住』って言うでしょ?今は淀川とかの淀に住むって漢字で書くけど、その名前の由来は『病や虫を生む澱みが去り、清らかで澄んだ水が流れるようになった』という意味の『澱澄』から来ているの」


「知らなかったです...」


優悟は思わずそう呟いてしまった。自分の住所と向き合う機会なんて、正月前に送る年賀状に書くのがせいぜいではあるが、それでも地元の地名にこんなルーツがあった、というのは素直に関心出来ることだ。


「それじゃ、この絵は秋水河姫神と澱神の戦いを描いたものなんですね」


「その通りよ。そして澱神を抑え込んだ姫神様は同じような暴挙がもう二度と起きないよう地上に残ることを誓い、彼女に救われた人間達はその感謝を込めて、彼女が住む為の家を建てた。それが秋山神社の起源と言われているの。ただ、問題はここからだった」


松原はそこで、自分の前に置かれた水のコップを一瞥する。


「澱神は姫神様の想像以上に強力で邪悪だったの。姫神様のせいで人間を苦しめるという楽しみを奪われた澱神は大人しくなった振りをし、彼女に復讐する機会を虎視眈々と狙っていた。そしてある日、とある若者に目を付けた澱神は彼が井戸から水を汲んだ時その水の中に潜み、彼がそれを飲んだ瞬間彼の体内に潜り込んだ」


コップの水の表面がゆらりと、僅かに揺れた気がした。


「澱神に憑かれたその若者は、実は姫神様が見初めた相手だったの。秋水河姫神は何というか、ちょっと惚れっぽいところがあったみたいでね。自分への感謝を毎日片時も欠かさず行っていた彼に、姫神様はいつしか心惹かれるようになっていった。澱神はそこを狙ったって訳ね。不幸な若者は毎晩澱神が見せる悪夢に苦しみ、どんどんと衰弱していった。姫神様は彼の異常にいち早く気付き、彼の中から澱神を引きずり出そうとした。だけど人間の中に潜んでいる上、彼女への復讐を果たす為に力を溜めていた澱神の力をはねのけることは叶わず、結局若者はあろうことか、姫神様に救いを求めて訪れた神社の境内で澱神に魂を喰われ死んでしまった」


嫌な汗が、優悟と渚の額に流れた。繋がって欲しくないピース同士が脳内で勝手に連結を始める。


「若者の骸から這い出した澱神は嘆き悲しむ姫神様を笑い、こう言った。『私は貴様を決して許さない。お前がまた人間風情に惚れるようなことがあれば覚悟しろ。同じ絶望を再び味わわせてやる』。そして澱神は地中深くに潜り、再び眠りについた。次なる獲物が現れる、その時まで」


そこで松原は小さく息を吐き、水の入ったコップをグイッと呷った。


「以上がこの地に伝わる伝説よ。秋山神社。そこに仕える神職の人間は祭神である秋水河姫神を奉る存在にして、姫神様と共に代々澱神を監視する役目も担っているの。でも、澱神はまたしてもそれを潜り抜けてしまったようね...。ここまで聞けば私が言いたい事は、何となく分かっているんじゃないかしら」


「そ、それじゃあ晴馬君はその澱神...って神様に取り憑かれてしまった...?」


松原は、大きく頷く。それを見て、優悟は言葉が出なかった。


晴馬が、神様に憑かれた。しかももう何十年も淀住に住んでいるのに名前すら聞いたことが無い、邪悪な神様に。


「で、でもどうして晴馬君が...」


困惑する渚のその問いに、松原は視線を落とす。


「それは残念ながら分からないわ。澱神に狙われたってことは少なからず姫神様からも何らかの特別な想いを向けられていた...ってことになるけど、それが何故なのかは...」


「俺分かります。晴馬が憑かれた理由」


その時、松原の落ち着いた声を、やや声を荒げた優悟が遮る。


「俺、一か月前くらいに晴馬と秋山神社に行ったんです。俺と晴馬、お互い好きな人がいて、二人で告白しようっことで、その成功をお祈りする為に」


「え...」


渚が優悟の横顔を見たが、優悟は気にせず続ける。


「それでいざ神社に入ろうって時に、晴馬が神社でのマナーを色々と教えてくれたんです。参道の歩き方とか、鳥居の前では一礼するとか、手の洗い方とか。それでお参りが終わって、『何でそんなマナー知ってるんだ』って聞いたらあいつ、小さい頃から神様とか見えないものにこそ敬意を払うべきだって思ってて、そのせいでそういう作法みたいなものにも詳しくなった、って言ってたんです。姫神様が惚れたのはきっと、あいつのそういう部分なんだと思います。ほら、今の時代って大体の人が神様とか信じてないし、初詣とかも年に一回のイベント?みたいな感覚で行くじゃないですか?そんな中で自分にしっかり敬意を示して作法とかも守ってくれたら惚れても仕方ないですよ!少なくとも俺なら惚れます!」


(あれ、俺最後、凄い恥ずかしいこと言わなかった...?)


一息に喋ったせいで、優悟はその事に気付くのに数秒の時間を要した。松原は優悟の熱弁を目をパチクリさせながら聞いていたが、彼が自分の発言を顧み始めるのとほぼ同時に、いつもの上品な笑顔を見せた。


「そう。晴馬君という子は、そんな善い人なのね。若いのにそんな信念を持った人がいるなんて、それが聞けただけでも貴方達に出会えた価値があるわ。教えてくれてありがとう、大久保君」


「は、はい...」


恥ずかしさで肩を竦めつつ、優悟は幾分か落ち着きを取り戻した声で松原に問いかける。


「あの、松原さん。俺、晴馬の事絶対に助けたい。だからその澱神のこと、もっと教えてくれませんか?」





※本エピソードの伝説は京都にある、水神の総本宮とされている「貴船神社」の御祭神である、「高龗神たかおかみのかみ」にまつわる神話を参考にしています。


資料 貴船神社ホームページ 「貴船神社について」

https://kifunejinja.jp/shrine/

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