第22話 神主の松原紀子

優悟の祈りも虚しく、翌朝になっても優悟自身に何か起きる訳でも無ければ、晴馬が学校に来る訳でも無かった。また、大切なものが欠けた日常が始まった。


「お~い大久保。今日の応援団の練習、忘れず来いよ~」


放課後、今日は部活が休みなので大人しく帰ろうと教科書とノートを鞄に突っ込んでいた時、同じクラスで今年の体育祭の応援団に立候補した林が教室の外から優悟にそう告げた。


「あ~そういやそうだったな。もうちょっとしたら行くわ」


応援団の練習など完全に忘れていた。折角の休日が短くなったことを密かに落胆しつつ、優悟は鞄のジッパーを閉める。


「ねぇ大久保君。ちょっと良いかな?」


聞き慣れない女子の声に顔を上げると、そこには渚と、何故かその後ろに篠宮郁が立っていた。見たことが無い組み合わせに優悟は小首を傾げた。


「昨日は取り乱しちゃってごめんなさい。実は昨日帰った後にね、篠宮さんから連絡があったの。晴馬君のことで私と大久保君に話したいことがあるって」


優悟は勢いよく机から立ち上がった。そのせいで後ろの晴馬の席が大きくずれる。


「篠宮さん、晴馬の事何か知ってるの!?」


優悟は渚の後ろの篠宮に視線を送る。晴馬の彼女でもなければ友達でも無い篠宮が何故晴馬の事を知っているのかは分からないが、少なくとも篠宮はこんな時に悪い冗談を言うような性格ではないはずだ。


「うん。今杉内君がどうなってるのかは分からないけど、後夜祭で杉内君が倒れたって話、その原因なら心当たりがある。二人共放課後は何か予定は無い?二人に会って欲しい人がいるんだけど、その人とじゃないと話せないというか、信じて貰えないような話だから」


「私は大丈夫だよ。大久保君はどうかな?」


渚は優悟を見つめる。その目には強い決意の光が宿っている。昨日涙を流していたとは思えない、頼もしさすら感じる瞳だ。


「...あぁ俺も大丈夫だ」


優悟は篠宮に大きく頷く。その返事に彼女は小さく胸をなで下ろした。


「良かった...。それじゃあ早速で悪いけど、二人共私についてきてくれるかな?」


「うん」


「あ。ごめん篠宮さん、今日の朝練でちょっと部室に忘れ物したから取って来る。先校舎出てて」


優悟は鞄を持って廊下に出ると、二つ隣の教室の前で友達とだべっている林を見つけ


「悪い林。今日の練習やっぱ出られんわ。それじゃ!」


と言い残し足早にその場を去った。後ろから林の「おい待てよ!お前最初の一回しか練習参加してないじゃないか!本番どうすんだよ!?」という声が聞こえるが、そんなこと構っている場合では無い。今の彼には、晴馬のことしか頭に無いのだから。




「何か...落ち着かないね、カラオケで何も歌わないって」


「うん...」


テーブルの上のマイクとメロンソーダを見つめながら、優悟は隣に座る渚に相槌を打つ。篠宮に連れられ彼女の最寄りだという駅に着いた後に案内されたのは、チェーンのカラオケ店だった。金曜日の放課後ということもあってか店内には自分達以外にも学生の客が多くおり、流行りの歌をノリノリで歌う声が聞こえて来る。


「あ、もう着いたって」


スマホを見ていた篠宮がそう告げた約一分後、「お待たせしました」という声と共に、一人の女性が入って来た。


『あ』


目を合わせた瞬間、優悟とその女性は小さく声を上げてその場で固まる。


「貴方は昨日の...」


「カメラ持ってた...」


そう。三人が待っていたのは昨日境内で優悟が出会った、カメラを持ったあの女性だったのだ。


「あ、あれ...。松原さん、大久保君と面識あったんですか...?」


篠宮は困惑した様子で二人の顔を交互に見る。残された渚はきょとんとした表情で、何が何だか分からない、といった様子だ。


「昨日写真を撮ってた時に境内で会ったの。そっか、あれはやっぱり、そういうことか...」


そんなことを呟きながら、女性は篠宮の横に座る。テーブルを挟んで優悟と篠宮、渚と女性が向き合う形だ。


「兎にも角にも、まずは自己紹介ね。私は秋山神社で神主を務めている松原紀子と申します。郁ちゃんからは杉内君の一番のご友人と恋人さんが来るって話を聞いています。今日はどうかよろしくね」


「下川渚です。こちらこそよろしくお願いします」


恋人と呼ばれ照れくさかったのか渚は少し頬を赤らめつつも、はきはきとした調子で自己紹介する。それに続いて優悟も


「大久保優悟です。今日はよろしくお願いします」


と自己紹介した。


「二人共今日は集まってくれてありがとう。早速本題に入りましょう。杉内君のことなんだけど、ちょっと信じられない話だろうから、まずはこれを見てちょうだい」


松原は膝に置いた鞄に手に入れ、長細い桐箱を取り出した。大河ドラマとかで出て来るような、艶やかな光を放つ上等なものだ。松原はそれをテーブルに置くと、箱を縛っている紫色の紐を解き、中のものを取り出した。


箱の中にはこれまた歴史ドキュメンタリーとかで有識者がカメラの前に仰々しく持ってくるような、縦に折り畳まれた古びた一枚の紙が入っていた。松原はそれを慎重に開き、そこに描かれているものを二人に見せる。


「これは...?」


そこには天に浮かぶ、赤い目をした白い蛇と、その白蛇を見上げる茶色の蛙が描かれていた。両者は互いを牽制するようにその口を大きく開けている。一目見ただけでこの蛇と蛙が争っていると分かる、荒々しい絵であった。


「この絵はこの地に古くから伝わる伝説に関わるものなの。杉内君に起きていることを知る為にもまず貴方達にはこの伝説を知っておいて欲しい」


そして松原は、静かに語り出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る