第6話 今度こそ失礼の無いように

(今のは鈴の音...!?)


晴馬は思わず渚の手を振り払い、鳥居へと振り返った。祭りなど開かれていない上に人気も殆ど無いこの場所で、鈴の音がするなどあり得ない。しかしどれだけ辺りを見渡しても西日に照らされた鳥居が周囲の木々と共に長い影を伸ばすだけで、それらしきものは何一つ見当たらない。


「ど、どうしたの...?」


渚が心配そうに晴馬の顔を覗き込む。笑みが消えたその表情には若干の恐れがあった。


「鳥居をくぐった時、鈴の音がしたんだ...。下川は聞こえなかったの?」


晴馬は隠す事無くそれを伝える。


「う、うん。別に何も、聞こえなかったよ...?」


「嘘...あんなにはっきり聞こえたのに...」


晴馬の全身に鳥肌が立つ。引っ越しというものを一度も経験していない晴馬は、生まれてからずっとこの町が地元だ。故にもう何回もこの神社に足を運んでいるが、今までこんな経験は一度も無かったし、聞いた事も無かった。


「...ね、杉内君。本当に、大丈夫...?」


石のように固まって変わらず鳥居を見つめる晴馬の視線を遮るように、少し肩を竦めた渚が晴馬の前に回り込む。


「う、うん大丈夫。驚かせちゃってごめんね。多分空耳だ。今日の英語の小テスト対策であんまり眠れてないから、そのせいかな。あはは...」


晴馬は無理矢理笑顔を作ると、眠気覚まし代わりに、仲の良い部活の先輩が、試合前に気合を入れる為に良くやる動作を真似て両手で頬を数回叩いた。


「そ、そう。じゃ、じゃあ今度こそ境内行こっか!」




ニカッとした笑顔を見てホッとしたのか、晴馬に続いて渚も笑みを取り戻し、再び彼の手を握る。渚の手の温かさが、晴馬の心に溜まり始めたもやもやを少し晴らしてくれた。


「そうだね...」


渚の手を握り返した直後、晴馬は再度鳥居に目をやる。国道に向かって長く寂しい影を落とす真っ赤なそれは、先程の鈴の音と、初めてお辞儀をせずに通ってしまったという事実のせいで、これまで感じたことの無い威圧感を晴馬に与えた。


(端を歩かないと...)


さっきの鈴は、もしかしたらルールを破った自分に対する、神様からの警告なのかもしれない。だったらこれ以上の粗相は出来ない。そんな考えが既に、彼の心を支配していた。晴馬は引かれかけていた渚の手を逆に引き返す。


「渚、待って!」


知らずの内に晴馬は彼女を下の名で呼んでいた。


「うぇ...!?今度はどうしたの?」


手を引き返された事と、唐突に下の名で呼ばれたことで渚は上ずったような、変な声を漏らす。


「またごめんね。えっとさ、変な事言うんだけど、折角二人で来たんだからお兄さんの合格祈願、本気で神様にお願いしたほうがいいと思うんだ」


(あれ。俺今、下川のこと”渚”って呼んだ...?)


渚を参道の端へと誘導すべく、以前優悟にした時と同じ切り口を使った時に、晴馬はその事実をようやく認識した。


「えっと、本気でお願いって、どういうこと?私、別に手を抜いてお祈りする気なんて無いよ?お賽銭もしっかり持って来てるし...」


「そういうことじゃないんだ...!えぇっと...」


色々な感情がごちゃ混ぜになって、上手く口が動かない。人があまりいないとはいえ、広い参道のど真ん中であたふたする晴馬の姿は相当カッコ悪く映ってしまっているだろう。


「下川はどこかで聞いたこと無い?境内まで続く参道は神様の通り道って」


「う~ん...あるようなないような...」


「えっと、実はそうなんだ。だから本当はこうやって参道の真ん中は通っちゃいけなくて、境内までは隅っこを歩かなきゃいけないんだ」


「ふ~ん...?」


それを聞いた渚はきょとんとした顔を見せる。優悟と異なり、渚の喰い付きはいまいちだ。それが余計に晴馬を焦らせる。だがその時、渚の顔が急に何かを悟ったかのようにハッとした表情に変わる。


「あ!もしかして本気でお願いするって、そういうこと?神様にお願いを叶えてもらう為にマナーを守らなきゃいけないって。そういうことでしょ?」


「そ、そういうこと!」


彼女の飲み込みと理解の速さに、晴馬は内心で感謝する。優悟はともかく、彼女に自分の信念を晒し過ぎて引かれでもしたら...。それが堪らなく恐ろしかった。


「なぁんだ!そうならそうと早く言ってよ!このままじゃ神様に失礼だね!端っこ行こ!」


屈託の無い笑顔で渚は晴馬の手を引き、所々苔に覆われた参道の端へと晴馬を導き、そして再び境内へと歩き出した。


「ね...杉内君。他にもこういうマナーってあるの?あるんだったら教えて欲しいな?お兄ちゃんの合格、しっかり神様にお願いしたいし!」


名を呼ぶ時に少し間を開けつつ、渚は晴馬にそう訊ねて来た。晴馬が今最も欲していた問いだ。


「勿論!境内が近づいて来たらまた教えるね」


「おぉ!流石はこんな大きな神社の近くに住んでるだけあるね!よろしくお願いします、先生!」


渚は晴馬が大好きな、弾けるような笑顔で微笑んだ。

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