第5話 鈴の音、それは破りの証?
神社まで続くアスファルトの道路が、昼頃まで降っていた雨によって、少し生臭い匂いを漂わせながらキラキラと輝いている。時折道を塞ぐように広がる大小の水溜まりを、手を繋いだままの渚と共に飛び越える。
ジャンプの踏み込みが甘かったせいで、一際大きな水溜まりの淵に着地してしまった晴馬は派手な水飛沫を飛ばす。
「あはは!それでもバスケ部なの!?」
うわあ!と大袈裟にリアクションをする晴馬を、渚はケタケタと笑う。ジメジメした空気とは正反対の、からっとした笑い声だ。
「手を繋いでジャンプなんて初めてだから勘弁してよ!」
「あ、言い訳だ~。そんなんじゃまた大谷先生に怒られるぞ~?」
「最近職員会議でストレス溜まってるせいかあいつ練習中もずっとイライラしてるからな~...って今は大谷は関係無いってば!」
渚の冗談に乗りツッコミで返しつつ、晴馬は一度渚の手を放し、靴を脱いでその被害状況を確かめる。一年生の時からずっと履いているローファー。靴底が擦り減っているせいで、水溜まりに足を踏み入れたその瞬間から水が入って来ていた。足裏に、濡れた靴下のぐじゅぐじゅした嫌な感触が伝わって来る。
「ありゃりゃ、こりゃまた派手に濡らしたね。帰ったら新聞紙か要らない広告の紙でも突っ込んどいたほうがいいよ。生乾きだとかなり臭いが出ちゃうからね」
「母さんに怒られる前にそうしないとだな...。ありがとう」
「どういたしまして!でもバスケ部は良いよね~。雨の日の外練で濡れたシューズと練習着を放置しちゃった時の恐怖を味わわなくていいんだから」
渚はわざとらしく身震いをしてみせた。活動に打ち込むほどにウェアやシューズに染み込み、蓄積されるその臭いは男女を問わず運動部共通のものだ。だがそれらに高い湿度が加わった時、若者達の努力の結晶は生物兵器と呼称しても差し支えない、異臭の爆弾と化す。以前更衣室にサッカー部の誰かが放置していった、生乾きのソックスを悪ふざけで優悟達と嗅いだ時、本気で吐きそうになったのを晴馬は忘れられない。
「まぁ確かに雨に濡れる事が無いのはデカいよなぁ。その代わり天気悪いから休みになることが無いのは、デメリットだけどね?」
「そこはメリットって言いなさいよ~」
「でも練習中止になって嬉しいのはお互い様でしょ?」
「...まぁね」
靴を履き直した晴馬と、視線を彼の足元から顔に移した渚は、互いに穏やかな笑みを浮かべる。晴馬が渾身の勇気を振り絞ったその行動は彼と渚を、文字通り心身共に繋いだようだ。
同級生。客観的に見ればそれ以上でもそれ以下でも無い相手が、恋というレンズを通して見るだけで果てしなく特別で、そしてずっと遠くに存在している人間に感じてしまう。告白に成功した後でも、晴馬はその歪んだ視界を解消出来ずにいた。
でも、こうして渚の手に触れて、彼女の体温を感じたことでレンズは砕けた。自然体で会話が出来るようになって、晴馬にとっての渚は、同級生に戻った。けれどもそれが彼にとって心地良く、そして嬉しかった。
「よし、それじゃ行こう。神社まで後5分くらいだよ」
ローファーに足を戻した晴馬は朗らかにそう告げた。「お~!楽しみ!」と無邪気にはしゃぐ渚を見ていると、靴下の感触なんて取るに足らないものに思えて来る。
「また手繋ご!」
「うん」
初々しい二人は、再び歩き出す。一人は兄の合格祈願に。もう一人はこの時間をもたらしてくれた事に対する感謝を伝える為に。
そうして晴馬と渚は秋山神社の鳥居の前に辿り着いた。
「立派な鳥居だね。如何にもご利益ありそうな感じする」
関心した様子の渚と一緒に、晴馬は鳥居を見上げる。雨に濡れ、つやつやと陽の光を反射している大きな鳥居とその先に続く参道はいつにも増して神々しく映った。
(そう言えば雨の直後に神社に来るのは初めてかもしれないな...)
「それじゃ早く境内まで行こう!」
そんなことを考えていた時、渚が急に晴馬の腕を強く引いた。晴馬はつんのめるようにして、鳥居に足を踏み入れる。
「あ、待って...!」
当然そこに悪意など無い。渚はただ、晴馬と一緒にお参りをしたいだけ。
だが彼女は知らなかった。晴馬が秘める信念と、「鳥居をくぐる時はその前に一礼をする」というマナーを。
シャリンッ...
物心ついてから初めてそれを破ったその時、晴馬の耳に確かに、鈴らしき音が響いた。
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