第4話 つないだ手

「そういえば下川が今読んでいるのってどんな本なの?」


スカートの上に乗せる鞄の中からちらりと見えた、書店の名前が入ったブックカバー付きの、重厚な本を一瞥した晴馬は隣に座る渚にそう訊ねた。彼女が休み時間や昼休みに開く本は片手で持てるサイズの文庫本ではなく、両手で読むことを前提とした大きな単行本であった。


「これ?これはファンタジー小説だよ。ドラゴンと会話が出来る女の子が、ドラゴンを戦争の道具や奴隷にしている世界を少しずつ変えていくってストーリーなの。小学生の頃からこのお話が大好きだったんだけど最終章に入る直前に作者さんが重い病気になっちゃって...。でもつい最近奇跡的にその病気が治ったお陰でまた新しい本が出るようになったの」


「だから文庫本じゃなくて、単行本で読んでるんだ」


「そう!今までは文庫本で読んでたんだけど、次のお話が早く読みたくて、少し高いけど単行本で買っちゃった。分厚いから一冊入れるだけで鞄を圧迫しちゃうし、授業中に机の下でこっそり読み進められないのは不便だけどね」


「なるほどね。でも前から思ってたけど、何か意外だよね。下川みたいな元気な女子が、本好きなんて」


いたずらっぽく微笑む渚に、晴馬は相変わらずドキドキしつつも今まで抱いていたそれを彼女に伝える。


「それ、友達にも良く言われるんだ~。特に今みたいにお話の内容を聞かれてそれを伝えたら、皆信じられないって顔をするの」


「ふ~ん...」


晴馬は、自分から話を振っておきながら適当な相槌をしてしまったことを、またまた腹の内で後悔する。デキる男というのはここで話をどんどんと膨らせられるのだろうが、男友達ならいざ知らず、渚に話を振るだけで緊張が全身を駆け巡る彼にそんな事が容易く出来る訳も無かった。


「ね、杉内君は本とか読む?」


しかしそんな彼の心を見透かしたように、渚が見事に会話を繋ぐ。


「えっと、俺は中学生になってからは全然かな。読書は好きなほうだけど、今はスマホを見ちゃうから」


晴馬は気を取り直すと少し恰好を付けて、ポケットにしまってある携帯電話を指でトントンと軽く叩く。


中学生になってから、という言葉通り、小学生時代の晴馬は友人に読書好きがいたこともあって昼休みにはそれなりの頻度で図書室に通っていた。今となってはどんな本を読んでいたのかもあまり思い出せないが、それでもドッチボールとかケイドロとか、はたまた放課後に友人達と携帯ゲーム機を持ち寄って公園で通信プレイをするといった、小学生定番の遊びとはまた違った面白さがあったのは、確かに覚えている。


しかし晴馬達が中学生に上がった辺りからスマートフォンがかなり普及し始め、片手で様々なコンテンツを消費出来るようになってからは、自分から本を手に取るということはめっきり減ってしまった。


「やっぱそうだよね。ぶっちゃけ私もこのお話が好きなだけで、読書自体が滅茶苦茶好きって訳じゃないから、スマホいじる時間のほうが長いかな~」


そんな会話を続けていると頭上から


『次は秋山神社前、秋山神社前~』


という聞き馴染みのあるアナウンスが流れて来る。40分弱と、それなりに長い間電車に揺られていたはずだが、渚といるとそれだけで時間の流れが早く感じてしまう。


「お、次だ。それじゃ案内よろしくね!」


渚はそう言って鞄のジッパーを閉じるとまだ着いてもいないのににこやかに立ち上がり、そわそわとした様子でホームに面するドアの前に立つ。


それは晴馬と一緒にお参りに行ける事が楽しみで堪らないからか、それとも兄の為に少しでも早く神社に行きたいからなのか。


いずれにせよ、自分と共に秋山神社に行くという事を向こうから提案してきた上にあんな嬉しそうな態度を見せられては、晴馬もいつまでも心の中であれこれ考えている訳にはいかなかった。


(よし...)


晴馬が立ち上がった時、電車の速度が落ち始める。そのタイミングで晴馬は渚の横に立つと、緊張が混じる声で彼女にこう伝えた。


「下川。良かったら...さ、神社まで手繋いで行かない...?」




プシューッ! 秋山神社前~、秋山神社前~




渚が晴馬の顔を見ると同時に、扉が開く音とホームからのアナウンスが響く。


(ヤバ...何言ってるんだ、俺...)


無言でこちらを見つめて来た渚を見て、晴馬は恥ずかしさで死にそうになった。


自分なりに”男”を見せたつもりだった。しかしただ談笑しながら歩くのはともかく、他人の目がある中で堂々と手を繋ぎながら歩くなんて、思春期真っ只中の男女にとっては火の上を歩くよりも勇気の要る行為だ。しかし―


「勿論良いよ!」


渚は小気味良く返事すると、僅かに手汗の滲んだ晴馬の手を何の躊躇いも無く握り、その手を引いてホームに降り立った。


(......!!)


初めて触れる、渚の手。晴馬はその感触に意識の全てを奪われたせいで、自分の手を引く渚の顔が、グラウンドを駆ける時と同じ位紅潮している事に気付かなかった。

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