第2話 恋愛成就のお参り
晴馬と渚が付き合い始めたのはつい一月程前。惜しくも県大会出場を逃し、悔しい結果を残して中学生としてのバスケ部を引退した晴馬達は、次は附属高校の生徒としてバスケットボールを続けていく身となり、高校の先輩達とよりハードな練習に励んでいた。そんなある日、練習終わりに優悟が晴馬にこんなことを言い出して来た。
「高校に上がる前に、二人で好きな子に告ろうぜ」
大学の附属校に通う晴馬達はエスカレーター式に高校、大学と上がって行くシステム上、高校入試で入ってくる生徒を除いた場合、例え高校生になってもその顔触れは変わらない。
その為六年間という長い時を共に過ごす仲間に好意を持ち、そしてそれを伝えるというのはこの時期の彼らにとっては極めて勇気が要る行為となる。もし告白に失敗した場合、残る三年間その相手とは気まずくて会話どころか顔すらまともに合わせられなくなるかもしれないからだ。
そんな危険性を多分に孕んだ告白をしようと抜かして来た優悟に対し晴馬がその故を問いただした所、彼は
「いいか。俺達があの土壇場で負けたのは心に邪念があったからだ。これから高校バスケの世界で生き残って勝つ為には今の内にその邪念を祓っておく必要があるんだ」
などと返して来た。晴馬はこれを、好きな子に堂々と告白して玉砕することで邪念と言う名の恋心をすっきり洗い流し、心身をバスケットボールに純粋に向けることにしよう、という風に理解する。
何とも彼らしい自論ではあったが、校内の部活動でぶっちぎりの厳しさを誇るバスケ部を、これまで気合と根性で何とか乗り越えて来た晴馬は不思議とこの精神論に納得が行くものがあったし、何より顔触れが変わらないとはいえ中学から高校という新しいステージに上がる転換期に、結果はどうあれ告白に踏み切るというのは悪い話では無いとも思った。
晴馬の意中の相手は隣のクラスの下川渚。二年生の時に同じクラスになり、その年の体育祭にて弾ける笑顔で自分の組を応援する渚を目にしたことがきっかけで彼女の事が気になり出し、三年生に上がる頃にはもう夢中になっていた。
もし彼女と付き合う事が出来れば。その願望の延長で生まれた、聞いているだけでこっちが恥ずかしくなる妄想の数々は、彼の信念と共に晴馬の心の奥底に今も厳重にしまわれている。
「...分かったよ、優悟。俺は下川に告る。ただし、お前も絶対に前川に告れよ」
そう返した時の優悟の顔は今でも忘れられない。
「流石は晴馬。それじゃ今から秋山神社に恋愛成就のお願いに行くぜ」
隣同士の学区にある違う小学校に通っていた為、晴馬と優悟は小学生時代は互いに認識が無かった。だが、一度も同じ時間、同じ場所に居た事も無い、という事は無いだろう。というのも彼らの住む杉区には秋山神社という大きな神社があり、毎年開催される夏祭りや初詣には広い境内が区内外の人でごった返すからだ。
中学の最寄り駅から電車に揺られる事40分程。地元である杉区に帰って来た二人は自宅からの最寄り駅である「秋山神社前」の改札を通った。
「な、なぁ優悟。俺、てっきり振られる事で心をすっきりさせようとしているんだと思ってたんだけど、こうして神社に向かってるってことは、お前、前川とワンチャンあると思ってるのか...?」
学校指定の鞄を肩にかけ直し、神社へと向かう住宅街を進みながら、晴馬は張り切る優悟を前にして言い出せなかったそれを、今更口にする。
「は?何言ってんだお前?何で振られること前提で告らなきゃいけないんだ?それにもし振られたりなんかしたら、俺もお前も傷心でバスケどころじゃなくなるだろ?」
「え」
きょとんとした顔で優悟を見つめる晴馬を見て、優悟も鳩が豆鉄砲を食ったような顔をする。
「え、じゃあお前は下川に振られると思った上でここまで来たって訳...?」
「いや別にそういう訳じゃないけど...。でも、正直可能性は高くないだろうなぁ...とは」
渚は晴馬と同じ運動部であるフットサル部に所属している。体育館とグラウンドで活動場所が異なる為、晴馬がボールを蹴る彼女を見ることが出来る機会は週に一回だけ、部活が無い日の放課後にグラウンドを眺めるしか出来ないが、それでも彼女はいつもチームメイトと共に真剣かつ楽しそうな表情で汗をかいていた。
そんな明朗快活な渚であったが、だからといって彼女は所謂「一軍女子」と呼ばれる、キャピキャピとしたグループにカテゴライズされるような性格でも無い。彼女も当然同性の友人を持ち、授業の合間に談笑したり、昼休みには机をくっつけて一緒に弁当を食べるのだが、一方で渚はそんな友達が好きなアイドルや化粧品、インフルエンサーの話で盛り上がっていたり、校則を破ってスマホでSNSを閲覧している時には決まってその輪には混ざらず、自分の机で本を読んでいたり、次の授業の予習をしていた。
晴馬は、自分が彼女を好きになった理由はここにあると勝手に思っていた。孤立していない一匹狼、とでも表現すべきか。友人達と健全な関係を築きつつも自分が心地良いと思う芯はブレない。そんな所に晴馬は優悟達と何不自由無い学生生活を送りつつも「礼儀作法に重きを置く」という堅苦しい信念を内に秘める自分と彼女を重ね合わせていたのだ。
でもだからこそ。そんな自分のペースを保つことを好む彼女だからこそ、自分なんかが告白なんてしたところで簡単に拒絶されてしまうのでは、という後ろ向きな考えを晴馬は持ってしまっていた。
「かぁ~!それでも男かよ、軟弱者!!そんなんじゃお前、明日の練習でまた大谷に雷落とされるぞ!?」
そんな晴馬に呆れた優悟はわざとらしく右手を額に当て天を仰ぐ。相も変わらず大袈裟な奴だ。
「大谷は関係無いだろ...」
昭和の頑固爺のようなことを言い出した優悟に対し、内心耳が痛いと感じつつも、その発言の後半にはきっちりと釘を刺した。因みに大谷というのは関央中学のバスケ部を地獄たらしめている元凶の鬼顧問であり、今日の練習で晴馬は運悪くその大谷に目を付けられ、さんざんなしごきを受けていた。
「ま、どの道もうここまで来ちまったんだ。このままお参りしようぜ。晴馬もしっかりお願いしろよ?そんな湿気た気持ちで告るなんて、下川にも失礼だぜ?」
しかし優悟はそれ以上晴馬を咎めることは無く、今まで手に持っていた汗の染み込んだ練習着が入った袋を何気なく鞄に詰め込むと、再び神社に向けて歩き出した。
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