拝殿の上の赤い月

空を飛ぶジンベエザメ

一章 鳥居

第1話 神社デートのお誘い

また、この夢だ。悪夢にうなされるようになってからはや数週間。きっかけは嫌という程分かっている。でもだからこそ、もうどうすることも出来ない。あの日、鳥居の前でいつものようにお辞儀をしていれば、こんなことにはきっとならなかっただろう。


「何だよ、アレ...」


今日が何回目かはもう忘れてしまった。晴馬は相変わらず広い神社の境内の中で金縛りにあったかのように立ち尽くし、その社と鳥居を妖しく照らす真っ赤な月を見上げていた―








私立関央大学附属中学に通う杉内晴馬は、「どちらかというと」信心深い性格であった。幼い頃からマナーや礼儀作法をきっちりと守ることに美学を持つ父親の影響もあり、晴馬はいつのまにか「正しい作法は人間よりも、神様のような自分達の目に見えない存在こそそれを強く意識している」という考えを心の何処かに持つようになっていた。


故に晴馬は、例えば年始に家族で近所の神社に初詣に行く時には絶対に石段や参道の中央は歩かないし、鳥居をくぐる際には必ず軽く会釈をするし、お参りの前の手水ちょうずの作法もきっちりと守る。


別に他の大勢はこんなこと気になどしていないだろうし、そもそも晴馬自身も、礼儀作法をきっちり守ることで神様が自分のことを気に入ってご利益をくれるかもしれないとも思っていないが、決められた事を守らない事にどうにもすっきりした感情を抱けない晴馬は何時しか、神社は勿論、寺や教会のような神聖な場所に行く時には必ずそこで定められた作法を事前にネットで調べ、実践するようになっていた。


もっともこんなことを馬鹿正直に話せば引かれるかもしれないので、この信念は友人は勿論家族にも話したことは無く、ひたすらに心の内に秘めて学生生活を謳歌していた...のだが。




「お~い晴馬、お前の彼女が呼んでるぜ」


休み時間中に不意に頭を軽く叩かれ、晴馬は机上に突っ伏していた頭を気だるそうに持ち上げた。見ると友人がにやにやしながら晴馬の頭を叩いたノートをひらひらさせている。


「あ、あぁ下川が...。ありがとう、優悟」


「何だよ下川って。自分の彼女を苗字で呼ぶ彼氏が何処にいるんだよ」


友人は大袈裟に顔をしかめると、「あぁ嫌だ嫌だ」とでも言うかのように、手に持つノートを更に大きく仰ぐ。


彼の名は大久保優悟。晴馬が所属するバスケットボール部の元キャプテンであり、中学に入学してからの、晴馬の一番の友人だ。そして教室の外で控えめにこちらを覗く下村渚と晴馬をくっつける原因を作った男でもある。


「...!馬鹿、教室の中でそんな事言うな...!」


”彼女”という言葉に過剰に反応した晴馬は、優悟の顎に頭突きをかまさんとする勢いで立ち上がる。自身に恋人がいるということは学年中の周知の事実だが、それでも恥ずかしいものは恥ずかしい。


「お、いいのか?恋のキューピットたる俺にそんなこと言って。俺様がその気になれば...」


「バスケ狂いの堕天使にそんなこと出来るかよ。引っ込んでな」


調子に乗り出した優悟に鋭い嫌味を返すと、晴馬はそそくさと教室の外に出て行った。


「ごめんね、杉内君。寝てるとこ呼び出しちゃって」


教室から晴馬が出て来た時、渚は少しばつが悪そうに微笑んだ。


「ううん、寝たふりしてただけだから気にしないで。下川こそ今のうちに寝といたほうがいいんじゃない?次の現代文、催眠術使いの近藤だろ?あいつの授業で寝たこと無いって奴、聞いたことないぜ?」


「アハハッ!良いよ良いよ気にしないで!さっきの歴史の授業でたっぷり寝たから!それにあいつ、男子には目くじら立てて嫌味言うけど女子にはだんまりだし!」


綺麗に整えられたショートヘアを掻き上げながら、渚は晴馬の冗談に対し、冗談なのか本気なのか分からない返事をする。そんな彼女に微笑み返す晴馬は内心で、彼女の言動一つ一つにどぎまぎしていた。特に彼女の太陽のような眩しい笑顔はそれだけで晴馬の鼓動を未だに大きくする。


「それで、俺に何か用?」


そんな眩しさから目を背けるように、晴馬は教室の時計を覗き込む。次の授業時間を知らせるチャイムが鳴るまではあと5分程だ。


だが晴馬は直ぐにこの問いは不味かったと考えた。こちらから本題に入ることを拒んだくせに「何か用?」は流石に無礼だったか。優悟を始めとした男友達と喋る時はこんなこと微塵も考えないのに、渚と話す時はついつい相手の機嫌を損ねないように神経を尖らせてしまう。


しかし渚のほうはそんなこと微塵も考えていないように相変わらずの笑顔で


「あ、そうだったね!ごめんごめん!」


と返すと晴馬を呼び出した理由を続けて伝える。


「今日ってさ、バスケ部って部活無い日だよね?」


「うん、そうだよ」


「良かった!」と、渚は両手を合わせながらぴょこんと姿勢を正す。


「実はさ、陸上部が今週末の大会に向けてグラウンド全部使いたいからってうちらも今日部活無くなったんだ。それでさ、杉内君の家って有名な秋山神社が近くにあるよね?だから良かったら、放課後神社まで一緒に来てもらえないかな?私のお兄ちゃんが来年大学受験なんだけど、その合格祈願をしたいんだ」


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