第3話 靴の物語(3)
私が土間を掃除していたところだった。かすかにどこからか音がして、やがて、玄関の方で馬の嘶きと馬車の止まる音がした。扉が開く音がし、カツ、カツ、カツとまたあの靴の音がした。顔を上げると、そこにはあの背広を着て、厳しい歩き方をする中野の姿があった。
「約束を果たしに来た」
中野はそういった、まぶしかった。
私は丁寧にお辞儀をした。それは手代のお辞儀だった。
主人が奥から飛び出してきた。
「中野様ようこそ。ここへ」
この街の名士である。主人は中野のことを知っていた。宴会などで、顔を合わすこともあったのかもしれない。
「主人、お世話になった」
中野はそう言うと、懐から紙を出した。
「これを返しにきた、取っておいてくれ」
中野の取り出したもの、それは小切手のようだった。
「これは感謝の気持ちだ」
主人は慌ててその紙を確認した。
「3500円!!」
主人の素っ頓狂な声が聞こえた。3500円、私の用意したお金からも、500円も多いようだった。
「多いすぎるようでございますが、私はこれほどのお金はお渡ししておりません」
私も驚いて、割って入った。
「ご主人様、これは確かに、私が用意したお金でございます。そうではありますが、確かに幾分多すぎるようにございます」
500円、それはかなりの高額だった、手代としての私の給料としても、主人の売上にしても何年分になるか、信じられないほどの金額であった。
「そうか君が集めてきてくれたのであったか、ありがとう」
中野は丁寧にお辞儀をした。
「中野様、中野様、そのようなことを」
主人がまた慌てて中野を止めた。主人は驚きのあまり、顔が蒼白になっていた。このような政府の高官に、しかもこのような高額の金を渡されて驚くのも当然だった。
「藤田君には世話になったんです。これぐらいでは十分に足りない。この通り」
放っておくと、中野は地に手をつけてまでお辞儀をしそうであった。
主人が手を掴み、止めたので、中野はそこまでするのは止まったようだった。中野は素早く主人の手に小切手を滑り込ませた。
「藤田君に渡してください、どうやら彼は彼の人脈を生かして、だいぶ危ない橋を渡ってくれたようだ、感謝しかない」
中野には、背景が、少し飲み込めたようだったが、それ以上は主人がいる手前、何も言わなかった。
「少し2人で話させていただけませんか?このお金は藤田君にお借りしたものなんです」
「そうですか藤田が…、お役に立てて何よりですが、このものとなどとお話しされて、よろしいのですか?」
主人は、私と中野のことを知らないわけではないのだが、あえて、「このようなものと」と言った。
「はい、2人で話したいんです」
中野の真剣な目に、主人も納得し、腹を決めたようだった。外には、待っている馬車の馬の呼吸が聞こえる。
「わかりました」
主人は周りのものを人払いさせるとと、表の扉を少し、そう半分くらいに締め、店に人が入りにくいようにした。あたりには、私と中野しかいないことになった。
「知っていたのか?」
「あぁ、父が話してくれた。ここの主人を紹介してくれたのが、君だっていうことを」
私が主人からこれだけの金を作れたのも、商人たちからこれだけの金をかき集めることができたのも、この街に、中野がこの街へやってきて、大きな人脈をつくっており、人望を集めていたからだった。
中野は何も言わなかった。
「私が困っていることを知って、君は私を発奮させようとしていたんだね。そして職を探す手伝いをしてくれた。そしてこの店を紹介までしてくれていたんだ、それも隠れて、さりげなく」
「いやそんな事は、私は知らない」
中野はそれを否定した。
「そうか」
私はそれを静かに聞いた。田舎からこちらにやってきた父が言ったこと、また聞いて教えてくれた事が、本当だったかどうかまではわからなかった。私はただ、中野に感謝していた。
「ただ君は私のことを心配してくれていた、そのことを、私は知っている。私はこの店で一生懸命働いて、今は手代として、ある程度のお金を扱えるように、主人の信用を得るようになっている。そうでなければ、ここまでの事はできなかった。君があれだけのことを言ってくれなければ、僕はここまでの事はできなかった。少しは役に立ててよかったよ」
「気のせいだよ」中野は言った「気のせいだ。それは、君に、その力があったから、ここまでのことができたんだ」
中野は眩しそうに笑った。
「君がいてくれてよかった。今回の事は借りにしておくよ、いつか君の商売の助けができることになれば良い。また言ってくれ」
そう言うと背中を向け扉の方へ向かっていった。500円は?、私はそう思ったが、店やお金を借りた商人たちのため、その先は言わなかった。
「いつでもいい、困ったことがあれば言ってくれ。君はもう犬畜生じゃない。立派な商人だ」
そう言うと中野は表へ出て行った。
「そして、友達だ」
私は深々とその背中にお辞儀をした。
もし、彼が私を叱りつけてくれていなければ、私に人生に向かう勇気は湧いていたのだろうか。あの、きっかけがなければ、私は立ち上が力を見つけられていただろうか。彼の励ましがなければ、あの靴の一撃がなければ。人生はわからないものだ。
ふと見ると、箱が残して置いてあることに気がついた。私はその箱を開けてみた。そこには1足の靴が置いてあり、手紙が置いてあるようであった。その中身はわからない。ただその高級な靴の香りがあたりにかおっていた。
私もこの靴が似合うような、洋装を着れるようにならねば。私はそう思った。
昔の人たち【習作・実験作】 rona736 @rona736
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