第4話 君の名前を呼んだ夜

私はたくさん泣いたあと、どうやら寝てしまったらしい。目を開けるとあたりはすっかり真っ暗だった。スマホも電源が切れていて、今日は家族の誰にも連絡をしていない。


…きっと今頃、心配しているに違いない。早く帰らなきゃ。


でも、あたりが暗すぎて、視界がぼんやりとしか見えない。夏の夜にしては、静かすぎて、暗すぎて少し怖い。


朔也さくや…」


自然とその名前が口からこぼれていた。

自分でも驚くほど、無意識に。


でも、その名前を呼んだとて、本人が来るなんてドラマみたいなことはない。


私は、ゆっくり立ちあがろうとするが、足に力が入らない。

どうしよう、帰りたいのに、帰れない。


私はそこにへたりこんで、目を閉じていると、「琴葉」と私の名前を呼ぶ声が聞こえた。


どこか優しくて、でも確かに”男の子”の響きを宿した声がした。


――――朔也の声に似ていた。


会いたくて、幻聴が聞こえちゃったのかな。


「朔也ぁ…、遅いよ…」


私は少しの希望を持って、出番を待ってましたと言わんばかりに朔也を求める。


その瞬間、誰かの手が私の肩をトンと触れた。


「え……?」


私は顔を上げると、そこには―――――


息を切らし、目に涙を浮かべた朔也がいた。


「……これ…夢……?」

「夢じゃない。現実だよ。琴葉…もう、心配したんだぞ…」


目の前にいるのは本物の朔也だった。私は、朔也がいるという安心感と胸の奥に溜まっていた何かが一気に溢れてまた泣き出してしまった。


「朔也ぁ…!!なんでここがわかったの…?」


震えた声で問いかけると、彼は少し笑って言った。


「いつも、琴葉が一人で落ち込んでるとき、ここに来るって知ってた。琴葉のお母さんから連絡もらって……もしかしてって思って……最大の願いを込めて迎えに来たんだよ。」


もう胸がいっぱいでなにも言えなかった。


私は溢れ出した気持ちをどうにかしたくて、彼に抱きついた。

そして小さな声で言う。


「……来てくれてありがとう」


その言葉に朔也はそっと私の頭を撫でてくれた。


――――それだけで救われた気がした。



私達は、静かな夜の道を並んで一緒に歩いていた。

なんだか、いつもなら言えないことも言えてしまいそうな空気だった。


これがいわゆる、”深夜テンション”というものかもしれない。

……深夜かどうかなんてのはわからないけど。


私は、そっと息を吸って落ち着いた静かな声で、隣を歩く朔也に言う。


「ねえ、朔也。私ね、最近変なんだよね。」


彼は黙って、歩く足を少しだけ緩める。


「なんか、私が私じゃないみたい。何気ない言葉に心臓の音がうるさくなって、苦しくなる。それがね決まって、朔也といるときなんだよね。」


昨日まではすごく痛かった外の空気が今では、私を応援してくれているように感じた。


「なんなんだろうなって自分でもわからなくて。ぐちゃぐちゃになっちゃってさ。……ごめんね、さっきは冷たい態度とっちゃって。」


最後には声がかすれて、いくら静かな夜でも、言葉を拾えないくらい小さかった。

だけど、それでも朔也には伝わってるって――――そんな気がした。


少し沈黙が続いたあと、朔也が口を開く。


「わからなくて当然だよ。でもね、琴葉のその気持ちは俺がずっと感じてるものと同じなんじゃないかな。それも、ずっと前から。」


私は足を止めて、思わず朔也の顔を見つめる。


「…え?ずっと前から?」


彼は私の問いに対して頷くと、


「気づかれないようにしてたんだけどね。俺の気持ちがどうこうっていうより、琴葉を大切にしたかったし、いつまでも笑っていてほしかったから。まあつまり―――」


朔也は視線を私の目に完全に変え、少しの身長差から、差をなくすかのように前かがみになり、言う。


「俺にとって、琴葉は一番幸せになって欲しい人ってこと。」


私は何も言えなくなってしまった。


息を呑む音だけがこの静かな夜の空気に混じった。


私は、手のひらを朔也の体に置いて、消えて無くなりそうな声で、


「そんなの………ずるいよ………」


とこぼしていた。


朔也は相変わらず何も言わない。でも、それが朔也なりの優しさのように、人柄のように思えた。


「………でもね、なんかね……苦しくないんだ。」


ぽつりとそう呟くと、朔也はようやく、少し微笑んで、


「それなら…よかった。」


とだけ、短く言った。


きっとそれが、彼なりの最大限だった。

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