第3話:力士vs一般人(暴漢)
さて、その後……いつものように授業に取り組み、ちぎっては投げ、投げられて、ぶつかり、ぶつかり、汗をかき、至福のちゃんこをたいらげた貴政は、ホームルームを終えた後、そのまま帰路についていた。
ただし、いつもの道ではない。
彼が選んだ帰り道――それは住宅街だった。
(さすがに、ここまで入り組んでおれば、トラックは入ってこないでごわそう)
そう考えての行動である。
この街の幹線道路に沿った、いつものルートを通った方が家にはずっと近いのだが、さすがにこうも不幸が続くと、そんなところを通る気にはなれない。
逆に言えば、彼は安心していた。これでトラックは見ないで済む、と。
ゆえに貴政はのんきな顔で、鼻歌なんぞを歌いながらのっしのっしと歩いていた。
今日は珍しく宿題がない……つまり、おいどんフリーでごわす♪
はてさて、なにに時間を使おう? どんな娯楽を享受しよう?
そういうことを考えながら歩いていたので、その体重からは考えられないほど彼の足取りは軽かった。
貴政はゲームなどはあんまりしないが、サブカルとかは、ある程度たしなむ口だ。
能のおかめを思わせるふっくらとした顔の裏側では、机に積んだまま置いてあるラノベの新刊でも読もうかなぁ、なぞという楽しいプランが浮かんでいた。
その計画を邪魔するものは、この路地にはないはずだった。
――刹那である。
キュルルリィィィ~~~ン! という金属質な、おニューなタイプの
(む……これはっ!?)
第六感とでもいうべきだろうか? この国の力士が標準的に持つ危機を察知した時の感覚が彼の全身を駆け抜けていた。
ふにゃっとしていた顔から一変、眉をひそめた貴政は、咄嗟に張り手の構えをとって感知したものの場所を探す。
(この気配……人でごわすか!)
貴政は辺りを見回した。
トラックであればエンジン音で近付いて来るのがわかるだろう。だが音はなく、静かであった。黄昏がもたらす斜陽の影だけが不気味に辺りを染めていた。
それらの一つが蠢いた。
通学鞄を放り投げ、貴政は薄暗い路地裏へ入りこむ。
(この中でごわすなっ!)
見ると、そこには2つの影。
1つは男のものだった。
そいつは片手にハサミを持ち、もう片方の手で何者かの口を悲鳴を上げられないよう強引に押さえつけていた。どうやら、それは女性らしい。風体、そして体型からいい、どちらも〝本土〟の者たちだろう。女性は貴政の姿を認めると、すがるような目で彼を見た。
「あぁん、なんだァ~? お前はよォ~?」
甲高い声で男が言った。
貴政はそんな問いにいは答えず、糸のような目をカッと見開く。
これは〝開眼〟とよばれる技術で、サツマ連邦の男児であれば小学生でも使えるものだ。こうすることで相手が持つ〝気〟の強さを測り、そのおおよその脅威度を把握することが可能になる。
「〝
「あァ? なに言ってンだァ、お前はよォ~!?」
「そのおなごから手を放すでごわす」
「おいおい、正義のヒーロー気取りかァ~!? 学ラン着こんだガキがよォ~!?」
その男の目は焦点を結ばず、とても正気とは思えなかった。
薬か何かを使っているのか、イレズミの覗くそいつの腕にはいくつも注射の跡がある。
「事を荒げたくはないのでごわすよ」
「やかましんだよクソガキがァ! とっととママのところへ帰れやァ!」
「では、そのおなごを放してもらおう」
「あァん! てめェ、話聞いてたかァ!?」
男は声を荒げながら危なげにハサミを振り回した。
相手が人質にしている者が、もしこの国の女性であれば、貴政は迷わず男の方に「逃げろ!」と声をかけただろう。だが現実はそうではない。そいつの腕に捕らわれているのは〝本土〟の非力な女性なのだ。
交渉の余地はないだろう。下手に相手を刺激すれば、最悪、女性の命にかかわる。
こんな時、サツマの男児はどうするか?
見てみぬ振りをするだろうか?
否、違う――そんな軟弱な考えをこの国の者は浮かべない。
重ねて言うが貴政は、本当に普通で、凡庸な、力士の高校生である。
ゆえに、するべきことをした。
逃げるなぞという選択肢は端から彼の頭にはなかった。
「貴様のような手合いに対し〝呼吸〟を使うのは、少々、癪ではごわすが……」
「あんだと、お前ェ!? よくわからねぇが、それ以上こっちに来たらコイツを殺すぞッ! いいのか、あァ!?」
言いながら、男は女性の喉元にハサミの先端を突きつける。
明らかに理性を欠いていた。
恐らく、このまま近付けば、間違いなく言葉通りのことをそいつはやってのけるだろう。
よって、貴政は四股を踏んだ。
地響きがズンと響く中、彼はその肺いっぱいに周囲の空気を送りこみ、
「関取の呼吸、
そして〝呼吸〟を完成させた。
〝本土〟出身の2人の目には、突如、目の前にいる影が掻き消えたように見えただろう。
だが実際はそうではない。アスファルトが陥没するほどの脚力で大地を蹴った貴政は、常人の動体視力では追いつけないはほどのスピードで相手に接近し、がら空きのままのその顎に下から張り手を付き入れていた。
コンマ数秒のできごとだった。
白目を向いた男の体は、まるで蹴られたボールのように回転しながら飛んでゆく。
「ごッ!? ぐぼろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッッッ!?」
男は派手な打音ともにゴミ貯めの山の中に落下した。
貴政は技を途中でキャンセル。相手に無駄な追撃はせず、開放された女性の体をふくよかな腹で受け止めた。
「大丈夫でごわすか、お嬢さん?」
そして、とびきりの笑顔で言う。
蒼白になった女性の顔は今や死人のようだった。
「あ、あああ……っ!」
「案ずることはないでごわす。悪人は成敗されたでごわすよ」
貴政は白い歯をニッを見せた。我ながら、ちょっと、かっこいいことしちゃったなぁ、などと彼は調子に乗っていた。
しかし女性は怯えた顔のまま彼の頭を指差していた。
「あ、あああっ……あっ、頭ぁ!」
「むぅ? おいどんの頭がどうしたでごわす?」
彼がそう聞いた時だった。
何かがガシャンと音を立て、その頭から落下した。
それは男が持っていたハサミであった。
遅れ、ぽとり、と、その上に黒い「何か」が落ちてくる。
周囲の空気が固まった。
貴政は何が起きたかを瞬時には理解できなかった。
「なっ……なななァ!?」
思わず彼は後ずさり、落ちてきたものを凝視する。
そうして自身の頭に触れる。だが、あるはずのものがない。影も形も見当たらない。
地面にぽとりと落ちたもの――それはイチョウ型の髪の房だった。
貴政は地面に膝を突き、野太い声で絶叫する。
「ま、マゲェェェェェェェェェェェェェ!? おいどんのマゲがァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!?」
瞬間、プツリと何かが切れて、彼の心臓は停止した。
そして、どさり、と地に伏せる。
飯屋貴政――享年、十五才。
トラックに轢かれても死なないほどの屈強な体を持つ彼は、だが精神的ショックによって、あっけなく天に召されてしまったのだった。
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