第2話:おいどんは、ちゃんこ高校生

 ごく普通の……という言葉がある。


 文字通り、それはありふれたものの頭に付けられる慣用句だ。

 ごく普通の生活、趣味、職業、その他さまざまなエトセトラ……とにかく突出してない存在の前にその表現は用いられる。そういうふうに捉えた場合、飯屋貴政めしやたかまさという少年はまさしく「それ」に該当した。


 つまり凡庸で、人並みな、ごく普通のである。


 この文を読んで眉をひそめた方は、多分、この国の生まれではないのだろう。


 だが少なくとも彼の故郷である「サツマ連邦」では、男児が=力士なことは摂理のようなものだった。ゆえにマゲを結い、100キロを超えるあんこ体型を特大サイズの学ランに収めているにもかかわらず、他の生徒たちから浮くこともない。どこまでも普通で凡庸な彼は、果たして、その日もいつものように学業に勤しむのであった。


「……はぁ」


 貴政はふいに溜息をつく。

 でっぷりとしたひょうたん顔の糸のような目が見ているものは、黒板にチョークで記された今日の授業の時間割。


   朝 ホームルーム

 一限目 四股・すり足

 二限目 申し合い

 三限目 ぶつかり稽古

 四限目 ぶつかり稽古

 五限目 かわいがり

 六限目 見取稽古

   夕 ホームルーム


 いつも通りの授業である。

 彼の溜息の原因はその内容のためではない。


「あら、どうしたの?」


「む……ああ、いや」


「溜息ばかりついてると、せっかくの武運が逃げるわよ?」


 と、そんな彼に話しかけてきたのは、前の席にいる女子生徒だった。


 ちなみに女子は男子とは違いアンコウのように膨れてはおらず、そのほとんどが、まるで砂時計のような〝出るところだけが出た〟カラダをしている。


 目の前の女子も例外ではなく、彼女の纏うセーラー服はたわわに実った果実のために今にもはちきれそうだった。異性があまり得意ではない貴政は、ついついその目を反らしてしまう。


「いや、そのな……アレでごわす。最近、不幸が多いのでごわすよ」


「不幸って?」


「よくトラックにねられるのでごわす」


「まあ、大変! 無事だった!?」


 貴政は、うむ、と頷いた。


 ちなみに彼女の質問は彼に対してのものではなく、そのトラックに乗っていた者――つまり運転手に対するものだ。この国の普通の高校生は、では命を脅かされることはない。


 だがドライバーは、そうではない。

〝本土〟の者の可能性もあるからだ。


「今朝もいきなり跳ねられて、トラックをへこませてしまってごわすよ。まあ、運転手も力士だったからダメージとかはなかったけれども、めちゃくちゃ怒られたでごわす」


「そりゃ当たり前よ~、商売道具だもの? 気を付けないとダメじゃない」


 ぐうの音も出ない正論に貴政は、むぅ、と押し黙った。

 とはいえ、彼にも言い分はある。


 たとえば今日は唐突に、トラックが通過しようとしている道路に猫の親子が飛び出してきたので、それを助けるために飛び出したのだが、その前日は小さな子供が道路に飛び出したのだった。


 同じようにして、ここ数日、何かに操られるように、保護しなくてはならないものが目の前で道路に飛び出していた。そのたびに彼は身を挺して対象を救ってきたが、その時、彼は頭の上で誰かが舌打ちするような幻聴を聞いていた。


 ここまで嫌な偶然が続くと、よもや神様のしわざでは? などと、罰当たりな考えすら浮かんでしまう。何かこう、天の意思的なものが自分のことをトラックで轢き殺し、何かさせようとしているように思えてならないのだ。


 そういうことを考えていると、ふいに女生徒は貴政の頭にたおやかな手を伸ばしてきた。


「む……なにを!?」


「マゲが曲がってる」


「やっ、なんと! それは失敬した!」


 ガタンと席を立った貴政は、近くの窓に顔を映しイチョウの形に結われた髪を慌てて手櫛で整えた。多分、今朝、トラックを張り手で受け止めた時に乱れてしまったのだろうが……にしても、なんたる不手際か!


 サツマ連邦の男児にとって、曲がったマゲを見られることは全裸の姿を見られるよりも恥ずかしいこととされていた。


 顔を赤らめて席に戻った彼は、パンと手を叩き、九州連邦の最高神ヒゴ=モッコスにマゲの乱れの無礼を侘びる。

 それを見た女生徒はクスリと笑った。

 こんなことだから毎日のようにトラックをのかもしれない。


 たるんだ気持ちを引き締めよう。

 貴政が自身にそう言い聞かせていると、でっぷりと肥えた教師が教壇に上がりホームルームが始まった。

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