第4話 謙信の願い


 なんでそんな優しそうな顔で話すのだろうか。


「な、なぜですか?戦国最強と謳われていたあなたならいくらでも勝機があるのでは…」


「…そんなに褒めて貰えるとは…嬉しいよ」


 手に持っていた盃はいつの間にか床に置かれていた。


「さっき、私は自分の歴史を変えたいと言ったよね?」


 寂しそうな顔の謙信に俺はゆっくりと頷いて見せる。


 目の前の「越後の龍」は表情と相まって、口調も優しくなっていく。


「変えたいと思っているのはの歴史であって、この国自体を変えたいわけでは無いんだよ」


 わがままではあるが、と呟きながら謙信は続ける。


「これは春吉とも話したんだが…歴史を大きく変えすぎると君たちがいる現代にも影響してしまう。元々いた人がいなくなることだってあるはずさ。…それが私は嫌なんだ」


「そんな…親父は何て言ってたんですか?」


「春吉は現代なんて気にしないで長生きすればいいだろうって言ってくれたんだけどね…。私はそれが許せなくて」


「…で、でも」


俺が言葉を探していると、謙信は力なく笑った。


「私が長生きし過ぎるせいで、歴史が変わって、春吉や君の周りの人間がいなくなってしまうのは辛いよ」


 高らかに笑っていた先程までの面影はそこにはない。

 残念で…それでいて割り切れている様な顔を見て、俺は何だかやるせない気持ちになる。


「親父が転移したせいで…」


 自然と言葉が萎んでいく。


 親父に出会ってしまったせいで、謙信にとても大きな「悩み事」をつくってしまったのか。


 しかし、謙信は反して首を横に振る。


「春吉のせいではないよ。それに私は春吉ゆうじんと出会えて、とても良かったと思っている。この時代でやりたい事も大体済んだし…。ただ…」


「ただ?」


「私の娘だけは気がかりでね…。娘だけは生きていてほしい…。とても自分勝手なのはわかっているけど、思わずにはいられなかった」


「…それで俺と…ですか?」


 俺もまだ十六歳の高校生なんですが…。


 それにまだ謙信の娘にも会ってないんだし、今ここで「はい、わかりました」と承諾するわけにはいかない。


 自然と目線が床に落ちていると真剣な声が飛んできた。


「いきなり言われて迷惑かもしれない。ならせめて…娘を現代に連れて行ってはくれまいか?私も娘が現代むこうで一人でも生きていける術を教えておくから」


 そう言って謙信は床に着きそうなくらい頭を下げた。


「ちょっ!?頭を上げてください!⋯謙信さんも一緒に逃げるわけにはいかないのですか?」


「自分で言うのも何だけど…私が変に延命してしまうと歴史に影響が出てしまう可能性が高いからね…現代では結構有名な武将なんだろ?」


 恥ずかしそうに頭を掻いた謙信は盃の酒を見つめて呟く。


「…それに死ぬなら、ここまで幾度となく戦場を共に駆けた彼らと…逝くときは同じがいいとずっと思っていたから。⋯これも私のわがままだけどね」


「謙信さん…」


 愚問だったか。


 書籍上ではあるが「上杉謙信」という人物の人柄をよく知っているのに。

 義に厚い謙信が、部下を置いて逃げるはずはない。


 なら部下も一緒に逃げれば…と一瞬思って、直ぐに頭を振った。


 そんなことをすれば歴史が大きく変わってしまいそうだ。


「…あなたは今の配下よりも、俺達のいる…いや娘さんのいる『未来』を守るのですか?」


「あやつらも大好きだけど…娘の命には勝てないよ…将来、君にも子供ができたらわかるさ」


 盃に目を落としている男を俺は見据える。


 娘を生かして、それでかつ未来を──歴史を変えない方法。

 これがこの人が選んだ答えなのか。


 謙信は床に酒を置いて真剣な面持ちになる。


「だから頼む。春喜君。娘はとってもいい子だから」


 あと、と謙信は続ける。


「見た目もとってもいいよ…顔立ちは母親似で現代寄りの美人だと思う。戦国と平成のハーフだけど、顔の造りは嫁の平成寄りだから。…あ、ちなみに『戦国と平成のハーフ』とか娘には言わないでね…なんか怒られそうだし…」


「…」


 何いってんのこの人。真面目な顔に似合った発言をお願いしたい。

 戦国と平成のハーフ!?そんなパワーワードは聞いたこと無いぞ!

 冗談ばかり言っている親父の影響を受けているのではないだろうか。


「いや、見た目だけじゃない!ちゃんと花嫁修業をしている。春吉に聞いたが、皆、嫁ぐ際に花嫁修業たるものをするのだろう?その点、うちの娘は大丈夫だっ」


「いえ、全員が必ずやるとは限らないのでは…」


 親父め。変なことを教えるんじゃない。


「もちろん他にも沢山良いところがあるんだから!ただ…」


「ま、待ってください!そう勢いよく言われても…」


「…すまない。娘のことになるとつい…」


 ははは、と苦笑する謙信をみて少しだけ心が和んだ。


 戦国でも現代でも「親」ってものは変わらないようだ。


 我が子を大事に思うことに時代は関係ないよな。


「駄目だな。飲みすぎたみたいだ」


 謙信は膝をぱん、と叩いた。


「よしっ。今日はもう終わりとしよう。もう夜も遅いし、現代に帰るのは明日にして、今日は泊まっていきなさい」


「え!?いいのですか!?」


「あっ!そうだ!せっかくだから娘にも会ってくれ。まだ起きている時間だろうし」


「え!?それは別にっ──」


「いいから!いいから!」


 謙信は立ち上がり俺の横を通り過ぎる。

 途端、アルコールの匂いが鼻腔をつく。


 酒臭っ!どんだけ飲んでんだこの人!


 戦国最強なのは武芸だけではないらしい。


 俺は半身を捻って廊下まで出た謙信の方を向く。


「いえ、流石にいきなり夜分に会うのは失礼ではっ!?」


「大丈夫!膳は急げと言うだろう?それに…」


 謙信はニッコリと笑っていた。


「それにあのは君のことが大好きだからいつ何時でも嬉しいはずさっ」


 そう言い残して視界から消えた。


 ひとり取り残された俺はまた「ハテナマーク」で頭がいっぱいになった。


「⋯俺のことが…好きぃ?」


 え…俺のこと知っているの?…なんで?


 理解できずに混乱していると近くで声が聞こえた。

 この近くに謙信の娘の部屋があるのだろう。戸をノックした音の後に謙信の声が続いた。


「…ゆめ。まだ起きているかい?」


 夢…っていう名前なのか。いい名前だね。

 …なんてのんびりしていられない!あの上杉謙信の娘に会うことになるなんて。


「ん?…娘?」


 ここでふと我に返った。


 待てよ。謙信には子どもはいなかったはずだ…。養子はいたが、娘の存在は聞いたことがない。戦国と平成のハーフなどにツッコミを入れている場合ではない!

 俺が今、転移したことで歴史が変わった?…いや…戦国ここに来て歴史が変わるようなことは何もしていないはずだ。


 悶々と考えていると謙信は笑みを浮かべて帰ってきた。


「ささ!行こうか!」


 俺の腕を取って立ち上がらさせて、背中をグイグイと押して広間から廊下へ追い出す。


「良かった。まだ起きていたよ…そうだ…」


 少し間が空いてから酔っぱらいが続ける。


「どうせなら娘の部屋に…横になれる大きさの物置部屋があるから…今日はそこで休むと良い」


「部屋って!…ってかクサっ!飲み過ぎですよっ!」


 自分と同じくらいの身長の謙信に無理やり背中を押され、引き戸が空いている部屋の前まで連れて行かされる。


 今日は引っ張られたり押されたり災難だな。


 部屋で突然止まり、謙信が背中越しに小声で話しかけてきた。


「とってもいい子だが…すまない…一応謝っておくよ」


「へ…なんて──」


 謙信に再び、ぐっと背中を押され、部屋の中に入る。最後になんて言ったのか聞き返そうと振り返ったが、同時に戸をピシャリと閉められてしまった。


 今、ごめんって言ったのか?

 なんでそんな事を…


 不思議に思っていると──。



「…春喜様…ですか?」



 とても綺麗な声が俺の鼓膜を貫いた。


 透き通った声。混じり気のないクリアなボイス…と表現したら良いだろうか。


 ゆっくりと後ろを振り返り、部屋の中に体を向ける。


 瞬間──息を飲んだ。


 そこには今まで生きていた中で一番美人と言っても過言ではない女の子が座っていた。

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