第3話 謙信の考え


 まさか一日で二度も頭が真っ白になるとは。


「正確には、私の娘を現代そっちに連れて行って、可能であれば嫁にしてほしい…といったところかな。もちろん今すぐという話ではなくてね」


 少し照れくさそうに話す謙信を見て、開いた口が塞がらない。


「娘……嫁……?」


 俺は壊れたロボットのように単語を呟き、呑み込もうとする。

 数分前に落ち着きを取り戻した脳内は再びパニックになってしまった。


 謙信は困惑している俺に苦笑して続ける。


「突然すぎたね。申し訳ない。理解できないには当然だ。順を追って説明しよう」


 あぐらを組んでいる足に肘を置き、右手を顎に添えて、目の前の戦国武将は口元を緩める。


「先程、君はここが戦国時代か、と尋ねたね?たしかにここは戦国時代に間違いないのだろう。だが…」


「…だが?」


「だが、ここは変わってしまった戦国時代なのだ」


「…言っている意味がわかりません」


 さっきからこの人は何を言っているんだろう。


 謙信は表情を崩さずに口を開く。


「春喜君は私のことをある程度は知っているのだろう?」


「…はい」


「だが、それはではない」


「…」


 理解できずに黙っていると謙信は語りだす。


「十六年前、春吉に教えてもらったのだが…は色白で、酒が大好きで、四十九歳の時に厠で絶命したらしい。死因は脳梗塞?…といい病気だと言われていてね…。酒の飲み過ぎが原因ではないかと言われていた。…どうだい?君の知っている上杉謙信ではないだろう?」


「そうですね…トイレで最期を迎えたなんて初耳です」


「そう。そして現在の私は見ての通り小麦色に日焼けしており…今年で五十歳になる」


 まあ酒好きなのは変わらないけどな、と笑っている謙信を見て俺は必死に頭を働かせる。


「…つまり…歴史が変わっている…ということですね?」


「そういうことになる」


盃を手の上でゆっくりと回りながら謙信は言う。


「もしその未来が本当だとわかったら君ならどうする?少なくとも厠で死ぬ運命など嫌だと思わないかい?」


「たしかに…人生最期がトイレでってのは嫌ですね」


「だよね!しかも書物に残るんだよ!そんなのは嫌だろう!」


 よほど気に食わない死に方だったらしい。謙信は徳利から酒を豪快に盃に流し込む。


 …まあ俺だって死に場所がトイレは絶対に嫌だけど。

 それにしてもテンションが急に上がる人だな。

 酔っ払っているせいなのかな。


 一気に酒をあおってから一息ついた。


「…未来を知って、私は、私自身の歴史を変えようと決めた。助かることに変えることに春吉も協力してくれたしな」


「親父が…ですか?」


「そう。春吉からは『もう少し酒を控えろ』って言われてな…死因が飲み過ぎなら対策すれば変わるかもと思ったが、成功しているらしい。今では休肝日を作っている」


 酒を飲みながら謙信は頷いている。


 この時代に「休肝日」というワードが聞けるとは。

 それにしてもこの人、美味しそうに飲むなぁ。


 ぷはあ、と息を吐いた謙信は破顔している。


「そこで春吉と話し合い、春吉がこの時代に来る前の元々の歴史を『正史せいし』、来た後で変わってしまった歴史を『改史かいし』と呼ぶことに決めた」


「つまり、俺が知っている上杉謙信は『改史』の方なんですね」


 頷きながら謙信は満足げな顔に変化する。


「理解が早くて助かる。春吉自身も、私の『正史』の生き方が好きじゃないみたいでね。私の未来を変えるのに協力的だった」


「親父はお節介なところ…ありますから」


「それに君もだろうが、面白そうなことには首を突っ込みたくなるのだろう」


「…」


 親父と一緒にされるのは嫌だな。


 謙信は俺の顔で言いたいことを読み取ったようだ。

 高らかに笑う。


「はははっ!君は本当に顔に出るね!」


「…よく言われます」


 恥ずかしい。


 頬を掻きながら単純な疑問をぶつけてみる。


「…でもよく親父の言う事を信用しましたね?…皆さんからしたら変な格好をしている男のことなんて…」


「…命の恩人だからね…」


「…親父がですか?」


「まあ、詳しい話は春吉も一緒にいる時にでも語ろうか」


「…は、はぁ」


 そんな日は果たして来るのだろうか。

 あまり楽しめる時間にはなりそうにないが…。


 謙信は俺の反応を無視して続ける。


「春吉とはすぐに意気投合したのだが、部下の中には私と春吉が仲良くするのを快く思っていない者もいてね…。未だに春吉を『身元不明の南蛮人だ』と言う配下もいる」


「…実際この時代の人からすると俺達は不審者でしょう」


「それに春吉はイタズラが好きだろう?今でもよく家臣にイタズラしている」


「…本当にご迷惑を…」


 あの男…本当にガキだな!


 申し訳ないと思っていると謙信は優しい顔をした。


「…それでも私は春吉を信用した。私にはあやつが嘘を付いているとは思えなかった。…いいヤツだと私は思うよ」


「そうですか…」


 大好きな戦国武将が自分の家族を褒めてくれている。

 嬉しことだ。

 強いて言うなら親父以外だったらもっと嬉しかっただろうに…。


 残念がっていると謙信は自分の右目に指を当てて声を上げる。


「戦国の世で生き抜くには人を見る目は必要だからね!」


「それは言えてますね」


 満足そうに小麦色の顔を揺らしている謙信は天を仰ぎ思い出を語るように目を細める。


「それにあやつは本当に面白いやつでね…。一時期は毎日のように現代そっちの時代に行って遊び回った…」


「え!?この時代と現代への行き来は簡単にできるんですか!?」


「できる。春吉も一ヶ月前に戦国時代に来てたし。…もちろん君にも現代への行き方を教えるよ」


「よっ、よろしくお願いします!」


 現代に帰れる事がわかって安堵した俺は胸をなでおろす。


 謙信は優しい目になって話を戻す。


「…あやつには色んなところに連れて行ってもらってね…私にはどれも新鮮で趣があるものだった…そこでだ…私が運命の出会いをしたのは…」


 遠い目をしている戦国武将はゆっくりと話す。


「…その女性は現代の人間であったので良くないのだはないかと思ったが、好きという気持ちが抑えられず…。時間は掛かったが交際を重ねて、夫婦になることができたんだ。…その奥さんとの間に娘が生まれたのだが…」


 言い淀む謙信に、あっと声が出てしまった。


 …そういえば娘さんを頼まれていたんだった。

 話が壮大過ぎてすっかり忘れてた。


「そう…それでね…」


 歯切れの悪くなった謙信の言葉を待てずに聞いてしまった。


「…娘さんがいて何か問題でもあるのですか?」


 質問された謙信は突如真顔になる。

 まっすぐとこちらを見据える。


 正面からの眼力に圧倒され、ほんの少し腰が引けた。


「…『改史』では二年後の夏に私は死ぬことになっているらしい」


「…そういえば」


 …たしか謙信の亡くなった年齢は五十二歳だったはず。

 今が五十歳って言っていたから合っている。


「どうやら戦らしい」


「戦が起こることは教科書…『改史』にもありました。…ではどう勝つのかを考えているのですか?」


 『改史』ではあるが、戦国最強を言われていた上杉謙信だ。戦に勝って歴史を変えていくことはできるはず。


 戦略にでも困っているのだろうかと思った俺を他所に、謙信は優しい顔へと変えて答えてくれた。


「いや…。その戦で私は『改史』通りに死のうと考えている」

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