第3話
だが反撃も虚しく、時計を見ると、指定された時間まであと10分と迫っていた。このまま調査が長引けば、営業妨害として法的な手段を取られる場合もある。もうタイムリミットだと分かっているから、中年ホストも税理士も勝ち誇ったような顔を覗かせ始めた。
僕も姫崎さんに目配せをして、伝票をめくる手を止めさせた。
「では、今日の所はこれで帰らせてもらいます」
姫崎さんの悔しそうな目と中年ホストの目を三角にしたようなニヤケ顔が交差している。まだ、二十歳そこらの女の子が、海千山千の経営者と渡り合うのは無理があるのだ。
「調査に協力的じゃあ無いようなので、推計課税の手続きを始めさせてもらいます」
僕の推計課税という言葉に、中年ホストはポカンと間抜けな顔を浮かべる。推計課税とは、帳簿などが極端に少ない場合に、売り上げを納税者の財産や仕入れなどから推計して課税を行うことだ。
「ここは青色申告だから推計課税は法律上出来ないはずですよ?」
税理士もその後の僕の答えが分かっているのだろうが、雇い主である中年ホストの手前、最後の抵抗の姿勢を見せておきたいのだ。税理士も当然脱税には気付いている様子だが、関与がバレると資格剥奪もあるので、知らなかったで押し通すため、引き際を探しているのだ。
「じゃあ、青色申告の権利を剥奪した上で、推計課税の手続きに移ります」
もちろん、青色申告の権利剥奪などはそう簡単に行えるものでは無い。だが、僕も税理士も調査の落とし所を探しながら、双方に損の無い決着を見つけようとしていた。
税理士も、資格を失ってまでこの中年ホストを助ける義理も無かった。
税理士と僕の、ほとんど予定調和と言ってもいいやり取りが続く。
「推計課税って?」
中年ホストが堪りかねて聞いた。
「オーナーさんの資産、マンションとか車ですね、それと店の仕入れなんかから、所得を遡って計算します」
「さかのぼって?」
「そう、遡って。3年、悪質な所得隠しなら7年ですね」
一息に言って、事前に概算しておいた書類を中年ホストに手渡した。銀行の預金、マンションや車などありとあらゆる資産状況を事前にまとめておいたものだ。
「それに、マンションの売却益が去年申告されていないので、重加算税もあるかも知れません」
中年ホストはさっきまでの様子が嘘のように、弱々しい目で税理士に助けを求めるが、こちらもさっきまでの様子が嘘のように、まるで質の悪い現場に居合わせた通行人のようにあっけなく目を逸した。
中年ホストは悔しそうに唇を噛みながら、「帳簿の件はまた追って連絡しますわ」とだけ発した。
きっと来週には内容証明で税務署に郵便が届けられる。悪質な脱税行為では無く、あくまでも税処理上のミスだと主張すれば、修正申告で重加算税を避けられる、そう思っているのだろう。
きっとこの男は何度も同じような行為を繰り返すと分かっていたから、黙って帰る気にはなれなかった。
「どうやったら、脱税出来たか教えましょうか?」
僕の言葉に、中年ホストも税理士も、そして姫崎さんも、訳が分からないという顔を浮かべた。
「マンションの売却益を相殺するために、不渡り手形を用意するんです。発行先は民間企業だと反面調査でバレるんで、海外、出来たら大使館がベストです、条約で簡単には手が出せないんで。あと出来れば政局が不安定な国なら、もっと良いですね。担当者がコロコロ変わるから、追跡出来ないんです」
中年ホストは、訳が分からないという顔で僕を呆然と見ている。
「でも、今後死ぬまで、あなたの申告は必ず僕が確認します。だからどんな完璧な脱税も絶対に見過ごしません」
中年ホストは何かを言い返そうとするが言葉が出ない、いや思いついた言葉をそのまま飲み込むように、じっくりと黙り込み、タバコに火を付けた。
僕らは書類をまとめて、ヤニ臭さの染み込む事務所を出た。
キル・ブロディ・ジョンソン takemura yu @tatsumi003
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