12

「明石、何が起きてるのか、聞きたい?」

 もちろん、と僕は頷く。少し緊張するからとタオルで肌を隠しているのだから、その姿は少々、滑稽かもしれない。

 千歳ははだけたピンク色の肩を、まるで見せつけるみたいにすくめた。

「でも、それを知ったらきっと君は状況をどうにか打開しようと頑張るだろうし、なによりアタシのことを嫌いになる───それだけは、死んでもイヤなんだ」

 我儘だ、と思った。僕は今この瞬間も、無数の問いに惑わされているというのに。

 世界に何が起きているのか。千歳は何者なのか。そもそも、自分自身についてすら深く知らないような気がする。

 そんな不安しかない。だから、僕は彼女に不満があるのだ。

 だが────。

 彼女の手が、僕の頬に触れる。

 その手が、僕の疑問や不安意識をすぐに溶かしていく。

「好きだよ、明石」

 愛というのが何かわからない。

 好きというのが何かわからない。

 僕はそんな子供だったような気がする。今だってそんな下らない子供なんだろう。

 そんな僕の脳内で、どろどろに溶けた意識が急速に冷却され、単純な答えとして、または楽な逃げとして凝固する。

 これが愛ってやつなのか、こうやって作られるものが、恋というものなんじゃないのか。

 自然に無駄な意識は淘汰されていった。

 千歳の火照った肌を見た。千歳の蕩けた目を見た。千歳の糸を引く、少し毛で隠れた赤い筋を…焦点の定まらない視界に収めた。

 僕はいつも、千歳のことを見てばかりだ。そのくせに彼女のことも何も知らない。

 だから彼女のことを、たとえ表面的であっても、肉欲に塗れた行為をもってしてでも知りたいのだ。

 それを、誰が否定できるというのか?

 僕は意を決して、または諦めて、タオルをゆっくりとよけた。

 にやり、と千歳は満足げに微笑む。

 距離は零に等しくなり、今、彼女は僕にまたがった。

 息をする。乱れていない、静かな息を。

 千歳が腰を上げ、僕に目標を合わせて勢いよく下ろす。

 ぱん、と音がした。

 顔が恍惚に満ちる。千歳の顔が。僕の顔だってそうだろう。

 ぱん、ぱん、ぱんとリズムを作って鳴る音は神経を刺激した。

 千歳も気持ちいいのだろうか、それまでは分からないけれど。

 突然、僕の目にふっと息が吹きかけられた。

 また食べるのか、と恐怖とも期待ともとれる感情を抱いたが、彼女はそんなことはしなかった。

 ただ、話を始めたのだ。腰を振るのをやめずに。

「…最初さぁ、すぅって入ったでしょ」

 そういえば確かに抵抗はなかったが、それがどうしたというのか?

「処女じゃ、なかったんだよアタシ───それでも、愛してくれる?」

 それが、何か問題だろうか?素直に、そう思った。それは純粋で、交じり気のない疑問だ。

 だから僕は首を縦に振った。

 ぐちゅり、と一際大きな音が鳴った。それがなぜかはよく分からない。

「そお、うれしい───なら、ずっと愛し合っていたいな。それで、きみもいいでしょ?」

 ああ、もちろん。

 千歳と一緒にいれるのなら、僕は何だって。

 いい──────はず───だ───?

「……それは…嫌だ」

「へ?」

 僕は僕にまたがったままの千歳の首へ腕を伸ばし、思い切り絞めた。

 脳をより強い快感が巡る。覚醒か、背徳か、そのどちらかによるものだろう。

 ……が、今は…どうでもいい…!

 僕はぎゅう、ぎゅうと音が出るくらいに腕の力

を強めた。

 僕は千歳の方に目をやる。彼女の唇は微かに動いていていた。

「…な…で……」

 千歳の息が弱まっていた。彼女の目は、僕を睨むようなものに変わっている。

 …最高だ。さっきまでの行為が比べ物にならないくらいに。

 なぜだろうか?知りはしないが。

 やがて千歳の息が完全になくなり、体温も冷たくなっていく。

 それを感じるために、僕は彼女の躰を抱きしめ続けていた。もしかしたら、単に動きたくなかっただけかもしれない。

 ただ、ずっと網膜に焼きつけているのだ。死にゆく彼女の、白くなっていく唇を。死んだ彼女の、黒ずんだ肌を。ただの死体の、乾ききった縦筋を。

 どれくらい時間が経ったか分からないが、彼女の虚ろな目を見たその時、僕はようやく自分のしたことが分かった。

 僕は、千歳を殺したのだ。

 ───だがなぜだろう。とてもおかしいことに、可笑しいことに。

 彼女の中に入っている僕の一部は、今だその熱を下げる事なく、愚かに生き続けている。まだ続きがあると信じているように。または、今の状況・状態にこれ以上ないほど興奮しているかのように。

 ああ、そうか。

 ようやく、理解できた。

 僕って、最悪だったんだ。

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