第7話 池田と藤原:大谷翔平を語る大学グラウンド
大学のグラウンドには、土と汗、そして青々とした芝の匂いが混じり合っている。午後遅く、野球部の練習を終えた学生たちが、グラウンド整備を始める傍らで、池田教授と藤原聡美は、ベンチに腰を下ろしていた。池田は、頬杖をついて遠くの空を眺め、眉間の皺をいつもより深く刻んでいる。藤原は、お気に入りのレトロゲーム機を片手に、黙々と画面を凝視していた。
「藤原君。あの、遥か海の向こうで活躍しておる、大谷翔平という男について、君はどう見るかね?」
池田が、まるで哲学的な問いでも投げかけるかのように、静かに問いかけた。藤原は、ゲーム画面から一瞬視線を外し、鼻のあたりをトントンと指で叩くようにメガネを押し上げた。
「大谷翔平選手ですか。MLBにおける二刀流という特異な才能を持つ、極めて稀有な存在であると認識しています。彼のパフォーマンスは、統計学的に見ても異常値を示しており、従来の野球選手のデータモデルでは解析が困難なレベルです。」
藤原の言葉は、いつも通り感情を排し、データに忠実だ。池田は、ふむ、と頷いた。
「稀有な存在か……なるほどな。確かに、彼の成し遂げていることは、常識では考えられん。だが、わしが聞きたいのは、単なる数値的な分析ではない。あの男が、なぜあれほどまでに人々を惹きつけるのか、彼の『カリスマ性』の根源はどこにあると思うかね?」
藤原は、再びゲーム画面に目を戻しながら、淡々と続けた。
「彼のカリスマ性の要因は、複数存在すると分析できます。まず、『異例の成功』です。投手と打者の両方でトップレベルの成績を残すという、常識外れの偉業は、人々の予想を裏切り、驚嘆と興奮を呼び起こします。これは、心理学における『期待違反効果』**に該当します。期待を大きく上回るパフォーマンスは、強い感情的反応を引き出すのです。」
「期待違反効果……」池田は呟いた。「面白いな。では、それだけか?」
「次に、**『視覚的魅力』です。彼の恵まれた体格と、野球選手としては端正なルックスは、メディア露出におけるポジティブな印象形成に寄与します。これは、『ハロー効果』**として、彼の発言や行動全体への好意的な評価に繋がっていると推測されます。」
藤原は、画面のドット絵のキャラクターを華麗にジャンプさせながら、続ける。
「そして、**『一貫した謙虚な姿勢』です。あれほどの成功を収めながらも、常に謙虚な態度を崩さない彼の言動は、大衆に『親近感』と『好感』を与えます。これは、『認知的不協和の解消』**に繋がり、彼の非凡な才能と、親しみやすい人柄とのギャップが、より一層の魅力を引き出していると言えます。」
池田は、深く頷いた。
「なるほど、謙虚さか……。そうだな。彼を見ていると、決して奢らず、常に高みを目指しているように見える。それが、人々の共感を呼ぶのだろうな。しかし、藤原君。君は、彼がこれほどの成功を収めながらも、その『謙虚さ』を保ち続けているのは、なぜだと思うかね?その根源には、何がある?」
藤原は、ゲームのコントローラーを一度膝の上に置き、ゆっくりと池田の方を向いた。その分厚いメガネの奥の瞳が、珍しく池田の目をまっすぐに見つめた。
「私のデータ分析による推測ですが、それは彼自身の『効率性の追求』と、深く関連している可能性があります。」
「効率性……?」池田は、意外な言葉に眉をひそめた。
「はい。彼にとって、自己のパフォーマンスを最大限に引き出すためには、余計な感情や外部からの評価に左右されない、極めて安定した精神状態が不可欠であると認識していると推測されます。過度な自己顕示欲や慢心は、集中力を妨げ、パフォーマンスの低下を招く。周囲からの過剰な称賛や批判に一喜一憂することも、非効率です。彼が『謙虚』に見えるのは、自身の目標達成のための最適な『自己管理システム』が、彼の内部で機能している結果であると考えられます。」
藤原は、再び淡々と語り始めた。
「つまり、彼の『謙虚さ』は、感情的な美徳というよりも、彼の『成功を継続するための合理的な戦略』である可能性が高い。常に自身を客観的に評価し、改善点を特定し、次なる目標へと向かう。そのためには、過去の栄光に浸ることも、他者の評価に一喜一憂することもなく、感情の波を最小限に抑えることが最も効率的なのです。」
池田は、藤原の言葉に息をのんだ。彼の目に映る大谷翔平の姿が、藤原の分析によって、全く異なる「怪物」のように見えてきた。それは、感情を持つ人間でありながら、その感情すらも自身の目標達成のために最適化された、冷徹なまでに合理的な存在。
「そうか……そうなのか、藤原君……」
池田は、がっくりと肩を落とした。彼の考える「人間性」とは異なる、しかし藤原の「効率性」という視点で見れば、これ以上ないほど納得のいく結論だった。天才の冷徹な分析は、時として凡人の心を揺さぶる。
藤原は、再びゲーム機を手に取り、画面に目を戻した。ピコピコという電子音が、夕暮れのグラウンドに静かに響き渡る。池田は、遠くでグラウンド整備を続ける学生たちの姿を眺めながら、大谷翔平という男の「真実」について、深く深く考え込んでいた。
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