他人行儀だよアンリちゃん!

 気づけば、ヒカリちゃんの噂話が広まってから、1週間が経っていた。

 噂は、水島さんの影響力のおかげで、その日のうちに鳴りを潜めていた。

 ヒカリちゃんは、その日から以前よりも精力的にお芝居の練習に取り組むようになった。けれど、なにか悲しそうな目をすることがあるのだ。

 その理由は、ついに語ってくださりませんでした。

 ヒカリちゃんは居残り練習をする時間が長くなり、午後19時頃まで練習するようになった。ヒカリちゃんをサポートするために私も一緒に残っている。

 けれど私は、実のところ知っているのだ。ヒカリちゃんが寮に帰った後、また部室に戻って練習していることを。私を遅くまで付き合わせないために、一度帰ってから、また部室で練習していたのだ。

 そのことを問いただしたとき、ヒカリちゃんは苦笑した。

 「バレちゃったか。」

 「どうして、そんなに遅い時間まで練習しているのですか?ヒカリちゃんの演技は、すでに完璧だと思うのですが。」

 「だめなんだよ。そこでやめたら。そこで諦めたら。」

 「諦める?」

 私が問いかけると、ヒカリちゃんはフゥっと息を吐いた。

 「そう、諦め。もう完璧だ、これ以上ないって決めつけて、諦めてはいけないんだ。私の友達にね、とっても諦めが悪い子がいるんだ。その子は、最初は演技がだめだめでね、端役はやくなんかもさせてもらえなかった。でも、だれよりも頑張って、努力して、素晴らしい演技をするようになったんだ。それを間近で見ていたら、私も頑張りたいって、追いつきたいって思うようになったの。」

 そんな風にヒカリちゃんに影響を与えられる人物というのが気になって、そねんでしまって、つい聞いてしまいました。

 「その、お友達というのは誰なんですか?」

 「それは…」

 その時、突然部室の扉が開いた。扉を開けた主は、開口一番こんなことを言い放ったのです。

 「星宮、来たわよ。…ってなんですの?黒内さんがいらっしゃるじゃない。」

 「あなたは…?」

 やってきた人物には覚えがあった。確か3年生の先輩で、同じ演劇部の方です。しかし、部室にはあまり姿を現さず、舞台の配役を決める際や舞台本番でしか見たことがありません。

 「黒内さん、申し訳ないのだけれど、すこし席を外していただけないでしょうか?」

 先輩は、そんなことをおっしゃいました。私とヒカリちゃんだけの時間を邪魔しようとする先輩の印象は一気に悪くなりました。

 「ごめんね、リンゴちゃん。先に帰っていてくれるかな。」

 「わかりました。それじゃあ、また明日。ヒカリちゃん。」

 ヒカリちゃんとの時間が無くなってしまうことは嫌でしたが、他ならぬヒカリちゃんに言われてしまったら、仕方がありません。まったく、ヒカリちゃんと2人きりだなんて。やってきた先輩がうらやましくてうらやみしくてたまりませんでした。


 「話、つけに来たわよ。」

 リンゴちゃんが帰ってから、アンリちゃんはそう切り出した。

 「ひさしぶり、アンリちゃん。」

 「…久しぶりでもないでしょう。つい1週間前にあったばかりじゃない。」

 「でも、一緒にお芝居の練習をするのは、かなり久しぶりじゃん。」

 そんな風に笑うと、アンリちゃんは少しうつむいて言った。

 「私、白黒はっきりつけたいの。どっちが主役にふさわしいか。だから」

 「そうだね、私たちのやり方で、本番通りの演技を演じて、主役にふさわしい方を決めよう。」

 やっぱり、主役は諦めがついていないみたい。でも、同時にその言葉は、ここで決まればもう諦める、という風にも聞こえた。

 「白黒つけるわよ。」

 でも、だからといって手を抜いて演技をするのはアンリちゃんにとってあまりにも失礼だ。だから、全力の演技をする。

 「私から演技をするわ。よそ見しないでよね。」

 「もちろん、私がアンリちゃんの演技を見逃すわけないでしょう?」

 アンリちゃんが演技を始める。その姿は優雅ゆうがで、華やかで、見ていて心躍こころおどるような演技に感動を覚えた。

 演技が終わると、自然と拍手をしていた。

 「さすがアンリちゃん。見ていないうちにまた腕をあげたみたいだね。」

 「お世辞はけっこうよ。…正直、私の演技はまだまだだもの。」

 本心から褒めたのに、お世辞だと思われてしまったのは、心外だ。

 「はやく星宮の演技を見せて頂戴ちょうだい。」

 その瞳は、うるんでいるように見えて、演技に迷いは感じられなかったのに、その瞳はすでに諦めているようにすら見えた。

 「うん、見ててね。私の全力。」


 その演技は、とても言葉では言い表せなかった。

 私があと何年かけてたどり着くのか、そんな境地きょうちにある演技に、私はただ、心を奪われた。

 演技が終わっても、私はしばらく放心していて、ヒカリと目があってようやく拍手をした。

 「さすが、星宮ね。完敗よ。私では、足元にも及ばない。」

 「アンリちゃん…」

 あんなに素晴らしい演技をしたのに、ヒカリはどこか悲しそうな目をしている。

 「私、今回の主役は、貴方にゆずるわ。…そんな悲しそうな顔をしないで。」

 「だって、アンリちゃんだって、たくさん頑張ってきたのでしょう。それに、お母さんのこと…」

 「お母さんのことは、私の事情だから。それに、こすい真似をした時点で、こうなる運命は決まっていたのよ。」

 とても悔しいけれど、私はヒカリの演技を見て、主役をするならヒカリしかいないと思っていた。

 「その代わり、絶対最高の演技をしてよね。本番が今日より悪い演技なんかだったりしたら、許さないんだから。」

 私は、きびすを返して演劇部の部室から出ていこうとした。

 「待って!アンリちゃん!どこいくの?!」

 「もう、話はついたでしょ。帰るのよ。」

 「嘘だよ!また空き教室でお芝居の練習をするつもりでしょ?それならここで一緒に練習しようよ!」

 その言葉に、思わず振り返ってしまって、涙がこぼれ落ちるところを見られてしまった。

 「だめよ、そんなの…私、今までひどいことしちゃったじゃない。それに、星宮の邪魔になっちゃうわ。」

 「ひどいこと?なんのこと?アンリちゃんのアドバイスがあるほうが、上手になるに決まっているでしょ?」

 その言葉に、さらに涙があふれてきて、うれしくって笑い泣いてしまった。

 「じゃあ、厳しく見るからね!絶対最高の演技にさせるわよ!」

 「私も、アンリちゃんの演技にアドバイスするからね!」

 そうやって二人で笑いながら、夜遅くまで練習した。


 「黒内さん!」

 「あなたは…」

 お昼休み。いつものように中庭へ向かう私を引き留めたのは、昨日部室へやってきた先輩だった。

 「えっと…」

 「あぁ、私の名前は、火月アンリ。私、貴方に謝らないといけないの。」

 火月アンリ、そう名乗った先輩は、頭を下げて言った。

 「ごめんなさい。私、貴方に嫌な思いをさせてしまった。」

 そんなことを言われても、私には皆目見当かいもくけんとうがつかなかった。

 「火月先輩、頭をお上げになってください。なんのことかは存じ上げませんが、私、きっと怒っていませんから。」

 「そう、よね。いきなり謝られても困るわよね。」

 そういって一つ息を吐くと、火月先輩はまっすぐな眼差まなざしで切り出した。

 「星宮さんの噂、あれ私が広めたものなの。」

 私は、どんな反応をしていいかわからなかった。ヒカリちゃんに迷惑をかけたことを怒ればいいのか、それとも、すでに過ぎたことと水に流すべきなのか。少なくとも今、ヒカリちゃんは噂によってなにか被害を被っているわけでもないし、あの噂はその日のうちに消えていったので、まったく怒りは湧き上がらないのだった。

 「私が、大学部の先輩にキャッシュを使って依頼して、ナンパ男を演じてもらって、その写真を使って、星宮さんを脅そうとしたの。」

 「ど、どうして?」

 その疑問は至極当然しごくとうぜんなものながら、受け取り方によって意味が異なるものだった。私は、ただ、どうして今になってそんなことを、私に言うのかが気になっただけだった。

 「…私、今回の演目の主役、どうしても演じたかったの。それで、星宮さんにも、貴方にも、たくさん迷惑をかけてしまった。」

 そこまで話を聞いて、いろいろ思うところはあったものの、純粋に気になったことを言葉にした。

 「それで、そのことをヒカリちゃんには謝ったのですか?」

 「…それは」

 「私は別に、どうでもいいのです。けれど、ヒカリちゃんに迷惑かけたことだけは、私、そう易々やすやすとは許せないかもしれません。」

 私がそういうと、火月先輩はうつむいて、黙りこくってしまった。

 「…今から一緒に、ヒカリちゃんに会いに行きませんか?」

 「えっ…でも」

 「私、ヒカリちゃんと二人で、いつもお昼を食べるんです。火月先輩もご一緒しませんか?」

 「ふ、二人の時間、お邪魔しちゃうでしょう?私、今度謝っておくから。」

 「いえいえ、お気になさらず。さ、一緒に中庭まで行きましょう♪」

 そのあとも多少抵抗していた先輩を半ば強引に中庭まで連れて行った。ヒカリちゃんに謝ってほしいと心の底から思っていたわけではありませんでしたが、困っている先輩の姿をみていたら、なんだか中庭に連れて行きたくなってしまいました。

 「ヒカリちゃん!こんにちわ!」

 「リンゴちゃん、今日はちょっと遅かった、ね…」

 「こんにちわ、星宮、さん。」

 火月先輩はし目がちに、ばつが悪そうに挨拶をした。

 「その、星宮さん、私…」

 「アンリちゃん!今日はアンリちゃんも一緒にご飯食べるの?」

 「え、いやいや、私は」

 「久しぶりだね~一緒にご飯食べるの!どうだろう、2年ぶり?くらいかな?」

 「以前は一緒にご飯を食べてらっしゃったんですね。ちょっぴりうらやましいです。」

 「あ、あのだから」

 「だって~アンリちゃん。あれ、どうしたの?はやく一緒に座ろうよ。」

 火月先輩があわあわしているうちに二人でいつもの場所に座り、一人分の座れるスペースを空けた。普段私がこういう立場になることは少ないので、とっても楽しく感じていた。

 「わ、わたしお昼ご飯もってきてないし…」

 「え~じゃあ私の分、分けて差し上げますね。」

 「いいね、私のも分けてあげる!」

 「い、いや、そ、その」

 火月先輩があわあわとしている様子は少しおもしろくて、かわいくて、面白い方だと思いました。

 「っていうかアンリちゃん、今日も演劇部の部室来てよね~?」

 「そうですよ!火月先輩、普段ぜんぜん部活来ないんですから!ちゃんと部活に出席してください!」

 「いや、演劇部は基本自由参加で舞台の本番以外に参加義務は…」

 「そういうことじゃなくって、一緒に練習したいの!私たちは!」

 「そうそう。火月先輩のお芝居、本番くらいしか見れなくって悲しいです!」

 「え、えっとぉ」

 困り果てた様子の火月先輩は、思い切った様子で言葉を発しました。

 「星宮さん、私、貴方に」

 「大体、どうしてアンリちゃんはそんなに他人行儀なの?」

 そんな思い切った様子をものともせず、ヒカリちゃんは火月先輩の言葉遣いを問いただしました。

 「え?いや」

 「前までヒカリちゃんって呼んでくれてたのに、この前しゃべった時から星宮さんとか、星宮とか、すっごく他人行儀じゃん!なんでなの!?」

 「火月先輩とヒカリちゃん、そんなに仲がよろしかったのですね!」

 「そうなの!ねえアンリちゃん、また前みたいにヒカリちゃんって呼んでほしいな~。ねえねえ、今ヒカリちゃんって呼んでみてよ!」

 「え、えーっと…ヒカリちゃん。」

 「な~に、アンリちゃん。」

 そんなやり取りをしたら、火月先輩は恥ずかしくなってしまったようで、顔を真っ赤にしてそっぽを向いてしまいました。

 「え~アンリちゃんどうしたの~?」

 「も、もう!星宮さんなんて知らない!」

 「え~お二人ともすっごく仲がいいのに。」

 「黒内さんも、からかわないでください!」

 「火月先輩、私のこと、リンゴちゃんって呼んでみてほしいです!」

 「い、いや」

 「かわいい後輩の頼みなんだから、リンゴちゃんって呼んであげたら?アンリちゃん。」

 「その、リンゴちゃん。」

 「はい!なんですか?アンリちゃん」

 私が答えると、火月先輩はまたまた顔を赤くしてそっぽを向いてしまった。今日までまったくかかわってこなかったものの、ヒカリちゃんとは別方向でかわいい先輩だと思った。

 それからというもの、火月先輩はヒカリちゃんと一緒に演劇部の部室で夜遅くまで練習するようになった。私も一緒に遅くまで残って、お二人をサポートしているうちに、多少お芝居の練習をしたりして、以前よりもお芝居が少しだけうまくなった。さすがにお二人には全くと言っていいほど及びませんが。

 そんな日々を過ごしているうち、いつの間にか学園祭当日になっていたのだった。

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