これは私の問題だから

 火月アンリ。現在18歳。将来の夢、舞台女優。お母さんの母校である夢華和学園に入学、お母さんと同じく、演劇部に所属。

 お母さんは、優しい人だった。私を叱ることも少なくはなかったが、それは理不尽りふじんな怒りではなく、私が将来苦しまないように助けるため、そんな愛のある叱りだった。

 私は、そんなお母さんが大好きだった。大好きだったんだ。

 私が12歳の時、お母さんは死んだ。

 若いころ舞台女優として活躍していたお母さんは、その時にできた熱狂的なファンによって刺されて亡くなった。

 葬式には、たくさんの人が参列した。お母さんが亡くなってから、家にはマスコミが毎日訪れた。

 お父さんは、それまで家を空けていることが多かったが、お母さんが亡くなってから私のために、家にいることが多くなった。

 お父さんはマスコミへの対応や仕事のことでひどく疲れているようだった。

 お父さんは、その時にお母さんの昔話をよく話してくれた。

 二人が夢華和学園で出会ったこと、お母さんが演劇部に入っていたこと、お母さんが初めて主役を務めた演目が、二人の思い出の劇であること。

 そして、今回の学園祭で行われる演目は、お母さんが初めて主役を務めた演目だ。

 私は、絶対に、絶対に主役を務めないといけない。

 星宮ヒカリ。現在18歳。将来の夢はキャビンアテンダントと語っているが、その理由はただかっこいいからというだけである。私と彼女は、かつて親友だった。

 彼女は、悔しいけれど天才だ。同年代で彼女よりもお芝居がうまい人間を私は知らない。

 私が夢華和学園中等部に入学した初日、私たちは、運命的な出会いをした。

 「ねえ、友達になろうよ」

 母親の死を受けて、大きな心の傷を負った私は、人になかなか心を開くことができず、入学初日から孤立こりつしかけていた。

 そんな時に声をかけてきた星宮は当時の私にとって救いのように感じた。

 傷ついて、暗い性格になっていた私に対して、星宮はまさに天真爛漫てんしんらんまんといえるような明るい性格で、友人関係を続けていくうちに私もだんだん明るく、心の傷を忘れられた。

 「アンリちゃんは、何部に入るの?」

 私は、お母さんのことと演劇部に入ることを伝えた。

 「演劇部?へ~なんだか楽しそうだね。私も入ろうかな。」

 それからは本当に楽しかった。二人で一緒にお芝居の練習をして、二人でアドバイスしあって、一緒にお勉強なんかもしたりして。星宮にだけは心を開いて、私が夢華和学園に入学した理由まで話した。

 中等部3年生になったころ、私は、星宮との実力差を感じていた。私は、星宮ほどうまく演じることができなかった。

 それでも、大切な親友を嫌いにならないために、嫉妬しないように、心を抑えていた。

 中等部最後の演目、星宮は主役、私は脇役だった。

 演目の配役が決まった日。私は、つい言ってしまった。

 「どうして、どうして、どうして!アンタが主役なのよ!」

 「アンリちゃん…」

 「私は、私は!お母さんみたいな、かっこいい主役じゃないとダメなのに!」

 「で、でも、アンリちゃんの役だって、大事な役でしょう?」

 「そういう問題じゃないのよ!私が、主役じゃないことが問題なの!」

 そういって、私は振り返りもせず帰ってしまった。その日以降私たちは疎遠そえんとなった。

 せめて、最後の演目が星宮の失敗で台無しになってしまえばよかったのに、星宮の完璧な演技で、中等部最後の演目は大成功を収めた。私は、その日にも大きな実力差を感じた。私ではあそこまで完璧な演技はできなかったということが痛いほどわかった。

 高等部になっても私は演劇部入った。中等部の出来事くらいで、私は諦めるわけにはいかなかった。それなのに、星宮もまた演劇部に入ってきた。星宮さえいなければ、私は演劇部の一番になれると思ったのに、演劇の主役になれると思ったのに。

 私は、星宮がいる部室の居心地が悪くて、一人で、もしくは別の友達と校舎裏や空き教室でお芝居の練習をするようになった。

 幸か不幸か演劇部は実力主義で、私も星宮も1年生から演劇に出演することができた。

 それが益々ますます私の劣等感を刺激して、星宮と仲直りしようとは思えなくなっていった。

 でも、私は、最初からわかっていたんだ。後悔の中、くるくる回った自問自答じもんじとうの答えを私はこうはじき出した。

 悪いのは、星宮じゃない。実力がない、心が弱い私が悪いのだと。

 

 お芝居の練習の合間、私はふと、昔のことを思い出していた。この現状は、私の実力不足が招いたものだ。それでも、ここで終わるわけにはいかない。お母さんが主役を演じた演目を、私も主役で演じたい。見に来てくれるお父さんに、私の演劇を見せつけたい。

 そのためには、どんなことでもしなくては。たとえ、どんなこすい真似でも、どんなにみにくい真似でも。

 現在時刻は午後8時。友人はとうに帰ってしまった。もうすぐ消灯時刻だ。消灯時刻になれば寮の玄関は閉まってしまう。そろそろ寮に帰らなければ。

 ふと、窓の外をみると、向かいの校舎で一部屋だけ明かりがついていた。演劇部の部室だ。

 誰かが電気を消し忘れたのだろうか。ほとんど顔を出していないが、演劇部所属ではあるため、カギを受け取ることは可能だろう。そんなことを考えながら、電気を消すため、向かいの校舎へ足を運んだ。

 なにか、妙だ。こんな時間なのに、演劇部の部室からは音が聞こえる。音、というよりも声。そしてその声の主を私は知っている。悔しいほどに、苦しいほどに知っている。

 部室のドアを少しだけ開けて、中を覗いてみる。果たして、中にいたのは、星宮ヒカリだった。

 練習に熱中しているようで、すこしドアが開いた程度では気づいていないようだ。

 星宮の演技は見とれるほど、れするほどの演技で私が純粋な気持ちを持っていたなら、称賛しょうさんの声をあげていただろう。

 ちょうど練習に一区切りついたようで、星宮は帰り支度を始めた。おそらく、部室のカギは星宮が持っているだろう。ここで出くわすのは気まずいし、星宮が帰り支度をしているうちに私も帰ってしまおうと考えた。

 そのとき、迂闊うかつだった私は体がドアに当たってしまって、すこし音を立ててしまった。

 「…だれ?」

 まずい、そう思った私は走ってその場を離れようとした。

 「待って!あ…火月さん!」

 部室からでてきた星宮の言葉に、思わず立ち止まってしまった。そのまま逃げていれば、追われることもなかっただろうに。

 「あらあら、熱心なことね、星宮さん。」

 私は、何て言えばいいかわからなくて、適当な言葉でお茶をにごそうとした。

 「それは…そっちこそそうでしょう。火月さん。」

 「あら、なんのことかしら?」

 半ばパニックになってしまって、墓穴ぼけつをどんどん掘ってしまった。

 「火月さんも、こんな時間まで演劇の練習をしていたんでしょう?」

 「ええそうですとも、主役を任されるあなたと違って、私はお芝居が下手ですから。」

 これは本心だ。心の底から卑下ひげしている。あわれなほどに。

 なんの嫌味にもなっていない言葉は、けれども星宮の顔を曇らせた。やめて、そんな顔をしないで。

 「火月さん…その、ごめんなさい。放課後、傷つけてしまいましたよね。」

 「な、なんのことかしら。私、あの程度の言葉で傷つくほど繊細せんさいな心はもっていませんわ。」

 開けっ放しのドアから漏れる光だけでは、涙を流した跡は見えないはず。そんなことを考えながら強がりを言った。

 「それと、リンゴちゃんに危害を加えるだなんて思ってしまって、ごめんなさい。」

 「…他人を巻き込むわけがないでしょう。これは私たちの問題なんだから。」

 違う。これは私一人の問題だ。星宮を巻き込んだ時点で、私は星宮から謝られる筋合いはない。

 「で~も~、私が暴力を振るったっていう噂話は、リンゴちゃんも一緒にいたって話だったけど?」

 「はぁ!?ちが、私は広めるときに黒内さんのことは話してません!どこかで内容が変わっただけでは?!」

 「それに、ナンパしてきた男の人は私じゃなくてリンゴちゃんの腕をつかんだよね。」

 「それは先輩たちが悪いんです!私は星宮さん以外に手を出すなっていったのに!」

 「ほうほう、じゃあ私はもしかして大学生の先輩たちにイケナイことされちゃうところだったの?」

 「星宮さんにそんなことさせるわけないでしょう!写真を撮ったらいいタイミングで出て行って止めるつもりでした!」

 ムキになって言ってからハッとする。いつの間にか誘導尋問ゆうどうじんもんに変わっていた。

 「ハハハ、相変わらず、アンリちゃんはおもしろいね。」

 「もう消灯時刻なんですから!私帰りますね!」

 恥ずかしくって消えてしまいそうだ。そもそも、こんな風に話し込むこと自体、意味がない。さっさと帰って、明日の朝練習に備えて早く寝なくては。

 「アンリちゃん!私、学園祭まで部室に残って練習してるから!また、ちゃんと話そう!」

 その言葉は、あまりにも眩しくって、あまりにも優しくて、振り返ったらこぼれた涙を見られてしまいそうだった。

 「アンリちゃん、って呼ばないでください。私、嫌いです。」

 その言葉の矛先ほこさき明示めいじしないまま、私は寮へと帰って行った。

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