妙な噂ね水島さん

 次の日、雨がしとしとと降り注ぐ中、学園は異様いような雰囲気に包まれていた。

 と、いうのも。教室へ移動する途中、授業が始まるまでの間、授業間の休み時間など、周囲の人間がなにやらこちらを見ながらこそこそとお話ししているようなのだ。

 この感覚には覚えがある。ひとまずトラウマには蓋をして、2限が終了した後の休み時間に水島さんに話を伺ってみる。

 「水島さん、なんだか今日の雰囲気はおかしくありませんか?」

 「おっと、黒内さん。ここで話すのはちょ~っと都合悪そうだし、場所を変えよっか。」

 言われるままに水島さんについていく。水島さんが選んだ場所は現在は使われていない空き教室だった。休み時間は10分程しかないため、手短に話を終えられるよう、手早く本題に入った。

 「水島さん、なにか噂話について知っていますか?」

 「うん、今日ファンクラブの子に聞いたんだけどね、どうやら昨日の星宮先輩と黒内さんのデート、誰かに見られちゃったみたい。」

 最悪だ。私が嫌な思いをするだけならまだしも、ヒカリちゃんにまで迷惑がかかるなんて。

 「それだけならまだいいんだけど、どうやらね、星宮先輩が暴力を振るったっていう噂が流れてるみたいで。」

 一瞬、言われたことの意味が分からなかった。ヒカリちゃんが、暴力?どういうことだ、と思っていると、次に発した水島さんの言葉でようやく合点がいった。

 「星宮先輩が男の人の急所を蹴り上げたって、それに、朝そのことについて星宮先輩が職員室に呼ばれたみたいなの。」

 そういえば、カラオケに行く前、ナンパに絡まれた際に、ヒカリちゃんが私を助けるために男性の股間を蹴り上げていた。でも、

 「でもあれは!私を助けるためにやってくれたことなのに!」

 「やっぱり、黒内さんには心当たりあるみたいだね。その話、詳しく聞かせてくれない?ファンクラブの子を通して、私の及ぶ範囲で星宮先輩の誤解ごかい、解いておきたいの。」

 その時、授業の予鈴が鳴り出した。急いで教室に戻らなくては。

 「わかりました。次の休み時間、お話しします。またこの教室でいいですか?」

 「うん、今はとりあえず戻ろう。次の授業、なんだっけ?」

 「3限は数学、4限は英語です。どちらも移動教室はないので、安心ですね。」

 次の時間の数学が終わり、二人で先ほどの空き教室へ向かう。

 「それじゃあ星宮先輩とのデートで起こったこと、詳しく聞かせてくれる?」

 「はい、私たちが昼食を取り終えて、次に行く場所を決めているときに、ナンパの男性3人に絡まれたんです。」

 昨日起きた出来事をつらつらと話し始める。

 「私が、ヒカリちゃんに怖い思いをさせないために私が一歩前に出て、守るようにお誘いをお断りしたんです。」

 「そんな状況でも星宮先輩を優先できるってほんっとうに大好きなんだね。」

 「今は茶化ちゃかさないでください。…そしたら、男性の一人が私の腕をつかんで、強引に連れていかれそうになったんです。」

 「じゃあ、その時に?」

 「はい、私の腕をつかんでいた男性の股間を蹴り上げて、私の手を引いて一緒に逃げてくれたんです。」

 「なるほどねぇ。話を聞いた感じ、正当防衛せいとうぼうえいって感じがするけど、一体どこから噂話が始まったんだろう。」

 その点に関しては、完全に同意だ。そもそもこんな噂話を広めるメリットがある人間は少ないし、あの場面を見た人間がそこまで多いとは思えない。学外の人間が見たのなら、ナンパに絡まれていると一目でわかるだろうし、そもそも学外の人間が学園に報告したのなら、ここまで早く噂が広まるだろうか。

 「ありがとう黒内さん、昼休みの間に聞き込みしたり、誤解を解いたり、いろいろしてみるね。」

 「ありがとうございます、水島さん。私はヒカリちゃんに直接話を聞いてみます。」

 本当に、水島さんとルームメイトになれてよかった。普段は茶化ちゃかしてきたり、私で遊んだり、正直面倒くさい性格だと思っていますが、いざという場面では頼りがいのある、素敵な方です。

 お話を終えて二人で教室に戻ると、やはり視線を感じる。すでに噂話は伝言ゲームのように内容が姿を変えているのかもしれない。

 4限を終えてお昼休み。待ちに待ったヒカリちゃんとのお昼ご飯。ただ、朝職員室に呼び出されたと聞いていたので少し心配していた。

 しかし、ベランダにやってきたヒカリちゃんはいつも通りのかわいさ、明るさで、悩んでいる様子は全くありませんでした。

 「こんにちは、リンゴちゃん。」

 「ヒ、ヒカリちゃん!その、大丈夫ですか?今日の朝、職員室に呼ばれたと聞いて、それに、なんだか変な噂が立っているみたいで…」

 「そうそう、昨日のことで職員室に呼ばれちゃってさ~。しかも、帰ってきたらクラスメイトにいろいろ聞かれちゃって、いや~人気者は困るね~。」

 明るく、楽しそうに語ったヒカリちゃんは、辛そうな様子を微塵みじんも感じさせず、まるで武勇伝ぶゆうでんでも語るかのようだ。

 「職員室で教頭先生と生徒指導の先生と学年主任の先生の3人に囲まれてね~噂の件について問い詰められたんだけど、昨日携帯でとってた音声を聞かせたらなんとか開放してもらえてね。」

 「さすがヒカリちゃん!いつのまに音声なんてとっていたんですか?」

 「あの人たちに遭遇そうぐうした直後から準備したんだけど、そしたらリンゴちゃんに危害が加えられそうになっちゃって…ほんとうにごめんね。その時、リンゴちゃんを助けようとしたのは事実なんだけど、あまりにも許せなくって蹴っちゃったの。」

 ヒカリちゃんにそこまで大切にされているという事実に何とも言えない愉悦ゆえつが湧いてきて口元がにやけそうになることを必死にこらえた。

 「それでヒカリちゃん、こんな噂を流した人に心当たりはありますか?」

 「う~んそれが、まったくと言っていいほどないんだよね~。私、そんなに誰かに恨まれるようなことしたかなぁ。」

 そんな話をした後、二人でいつものように談笑しながら昼食をとり、教室に帰った時にはすでに妙な視線は感じなくなっていた。


 私は、リンゴちゃんに嘘をついた。

 今回のことに、リンゴちゃんを巻き込みたくない。これは、3年生同士の問題だからだ。

 放課後、演劇部の活動に向かう前、校舎裏に立ち寄る。私が今回の犯人であると思っている人物はいつもここにいる。

 「あら、やっと来たのね。人気者の星宮さん?」

 そういうと、私が会いに来た人物とその周りにいた2人の女子生徒がクスクスと笑い出す。

 「火月さん。あの男性たちも、あの写真も、手紙も、全部あなたの仕業よね?」

 火月ひつきアンリ。Aクラス所属、私と同じ演劇部。今回の演劇で、私が任された役を狙っているようだ。

 というのも、私のもとへ届いた手紙には、私が男性の股間を蹴り上げた決定的な証拠となる写真とともに、私が今回の演劇の役を降りなければ学園にいられなくする、という内容が書かれていた。

 「ええ、そうよ?まったく、お返事の手紙を、約束の場所においてくれたと思えば、私は屈しない、だなんて。本当に笑っちゃうわ。」

 私は手紙に書かれていた通り、昨日の夜女子寮C棟玄関に返事として同じ手紙に、私は屈しないと記して置いてきた。どうやらそれを読んで噂を広めたらしい。

 「ストーキングまがいの行動に加えて、ご自身に都合の良い情報だけを周りに伝えて、まるでマスコミのやり口ですわね。演劇部をやめて報道部にでも所属したらどうかしら?」

 「こんの…」

 何事か言い返そうとした取り巻きの女性を中心人物が制止せいしする。

 「その妙に気取ったしゃべり方はやめて、リンゴちゃん、だったかしら。あの女子生徒と一緒にいた時と同じ話し方をしたらどうかしら。」

 「別に話し方なんてどうでもいいでしょう?それとも、それはリンゴちゃんに危害を加えるというおどしのつもりかしら?」

 「あらあら、さすが、頭のいい星宮さんね。私が言外に伝えようとしたことまで正確に読み取ってくれるなんて。とってもお話ししやすいですわ。」

 そういって、3人でまた笑い出した。フツフツと湧き上がる怒りを抑えて、女子生徒たちをにらみつける。

 「そうやってこすい真似ばかりして、不良学生にお似合いの手口ですね。大体、主役がほしいのならもっと演劇部に顔を出したらどうですか?」

 その瞬間、お相手方の堪忍袋かんにんぶくろの緒がついに切れた。

 「貴方!私がこの演劇にどれだけの思いを持って取り組んでいるか、知っているくせに!私はその偉そうな口ぶりも周りに取り入ろうとする態度も何もかも大嫌いなのよ!」

 「アンリちゃんがどれだけ練習してるかも知らないくせに!」

 「演劇部に顔を出してたら偉いの?!」

 3人から一気に怒声をあげられてさすがにちょっとたじろぐも、一歩も引かずに反論した。

 「そもそも、私が主役を降りたとして、貴女が主役になれる保証など、どこにもないでしょう。」

 「いいえ、貴方さえいなければ、私は主役になれたの。貴方も知っているでしょう。演劇部は実力主義、貴方が役を降りれば私が主役になれた。」

 「あらあら、そんなこと言ってもいいのかしら。それってつまり、」

 私は、至極当然のわかりきった言葉を発する。今はその言葉が一番深く刺さるから。

 「私の方が演技がうまいって認めてしまっているじゃない。」

 3人がなにかしでかす前に私は「それではごきげんよう。」と言ってからその場を離れた。校舎裏からは口汚い罵声や怒声、すすり泣くような声が聞こえたが、私には関係ない。今考えなければならないことは、リンゴちゃんの安全を守る方法だ。

 夢華和学園の生徒は中等部生から大学部生まで、全員が全員キャッシュで動く。なんなら、職員だって相応そうおうのキャッシュを積めば動いてしまう。それを利用して噂話を口止めすることもできれば、自身は手を下さず、直接的な危害を加えることだってできる。そもそも、私たちに声をかけた男性からして、大学部の男子生徒だろう。

 演劇部の部室へ急ぐ。すでにリンゴちゃんは部室へついているはずだし、なんとかして大切な後輩を守らなくては。


 今日も今日とて、演劇部の部室では皆さん思い思いの練習をなさっている。今日の全体練習は30分後。生徒会所属の生徒の事情などを加味かみして演劇部の全体練習はすこし始まるのが遅いのだ。全体練習が始まるまでの間、みなさん思い思いに談笑なさっている方もいれば、熱心にご自身の役の練習をなさっている方もいる。

 かくいう私はというと、暇つぶしに、今度の演劇に使う小道具作りに勤しんでいる。次の演劇は1か月と2週間後の学園祭。すこし大がかりな小道具を作るため、時期的には少し早めに小道具作りを始めているのだった。

 いつもはヒカリちゃんがすでに来ていて、練習を始めているのですが、今日はまだ来ていないようだった。

 「黒内さん、キョロキョロしちゃってどうしたんですか?やっぱり、星宮先輩が心配なんですか…?」

 「木下さん…いえ、別にそういうわけでは。」

 「いや、私にはわかるんです。その表情、物憂げに誰かを探す姿、まるで少女漫画のワンシーンみたいです!王子様がやってくるのを今か今かと待っているお姫様のようなその雰囲気…」

 「あの、ほんとうにそういうのではないのですが。」

 この方は木下きのしたマリさん。2年Dクラスの文系女学生です。

 そこまで仲が良いというわけではありませんが、演劇にやる気がない私と同じで、あまり舞台に立ちたいという意思がないらしく、去年から私たち二人は演劇のたびに小道具作りをしているのだった。

 以前どうして演劇部に所属したのか聞いたところ、「キャッシュがたくさん手に入るから」、とのこと。なかなかシャイな方で、ご自身のことを積極的に話そうとはしないが、小説や漫画に詳しく、キャッシュの使い道はおそらく、読みたい本を購買部で取り寄せるためだと思われた。

 「少女漫画、お好きなんですね。」

 「え?!は、はい!中でも私のおすすめはヘルサイドローズという作品で…」

 お好きな話を始めると止まらない、という特徴もございます。

 「ほかの学校、学園には漫画研究会、という部活があるようですが、そのような部活に興味はなかったのですか?」

 「…夢華和に漫研はないじゃないですか。それに、漫研で読む漫画を手に入れるにも結局はキャッシュが必要です。」

 「漫画研究会としての活動が認められれば、漫画購入費という名目で一定のキャッシュを与えられるのではないでしょうか。」

 「だとしても、です。私には漫画好きを5人以上集めるなんて大挙は成し遂げられません。」

 夢華和で新しい部活を立ち上げるには、最低5人の所属生徒、部活動所属生徒の実績もしくは教頭先生を納得させる新部活動発足書を書き上げることが必要となる。漫画研究会となれば実績、つまり所属生徒制作の漫画が何かしらに受賞するか、漫画を教頭先生に評価していただく、もしくは新部活動発足書ほっそくしょで教頭先生を納得させる必要があります。けれど、私にはすべて難しい条件に思えてしまうのでした。

 「そうですね、たとえ人数の問題がどうにかなっても、教頭先生を納得させることは難しいでしょう。」

 「…そうだ!黒内さん、私と一緒に漫画研究会に所属してくれる生徒を」

 「お断りいたします。」

 「そうですよね。星宮先輩目当てでこの部活に所属してますもんね。」

 「そういうのではないですって。」

 そのとき、部室にヒカリちゃんがやってきた。息も絶え絶えで汗をかいている姿はどこかなまめかしさすら感じさせる美しさに感じた。けれど、いつも一番最初に部室にやってくるヒカリちゃんが少し遅れてきたことにどこか違和感いわかんを覚えました。

 「リンゴちゃん!」

 ヒカリちゃんは私の名を呼ぶと、いきなり抱きついてきました。のでしょうか。こんな夢を見てしまうなんて、どれほどヒカリちゃんのことが好きなのでしょう。

 「ヒ、ヒカリちゃん?ど、どうしたというのですか?」

 「リンゴちゃん…無事でよかった…」

 だんだん冷静になってきた私は、ようやく状況を理解して、一気に赤面してしまった。

 「ひ、ひか、ヒカリちゃん?ど、どうして抱きついて、え、え、え?」

 「3年生に何かされたりしていない?変な男の人に暴力振るわれたりとか、事故に巻き込まれたりしてない?」

 ヒカリちゃんはひどく動転しているようで、その焦りっぷりに逆に私は冷静になった。

 「安心してください、ヒカリちゃん。私は何ともないですから。落ち着いて、何があったのか話してくれますか?」

 ヒカリちゃんは私から離れて、深呼吸を始めました。もっと抱き着いてくれてもよかったのに。

 「ううん、リンゴちゃんに何ともないなら、大丈夫。ぜんぜん気にしないで。」

 「いえ、気にしないなんて無理です。お話ししてください。何があったのか。」

 「いやいや、ほんと、何でもないから、気にしないで?」

 絶対に何かを隠している。でも、今それを追求するにはあまりにも情報が足りていない、そう感じた。

 「やはり、仲良きことは素晴らしきこと…お二人の愛はまさにゆ…」

 「木下さん、今はそういうこと言ってる場合ではないですから」

 「あはは、木下ちゃん、あまりしゃべったことがなかったけど、面白い子なんだね。」

 「え!?そ、そんな~星宮先輩にそんな風に褒められるなんて…恐縮きょうしゅくです~…」

 ヒカリちゃんに褒められたという事実に照れている木下さんに、思わず嫉妬しっとしてしまいそうになったが、やっぱりさっきのヒカリちゃんのお言葉が気になる。まるで、私が誰かに危害を加えられるかのような言いぐさでしたが、私には全く心当たりがないのだから。

 「さ、そろそろお芝居の練習しよう!今回は二人とも端役はやくかも知れないけど、頑張り続ければ、いつかきっと、主役が回ってくるからね!」

 さすがはヒカリちゃん。ヒカリちゃんのそのまっすぐで曇りないお言葉に一種の感動すら覚えるのだった。

 「はい!私、頑張ります!」

 「…黒内さん単純ね。」

 木下さんの方からぼそっとなにか聞こえた気がしますが、その言葉を聞き取る力は、感動と疑念ぎねんの渦にもまれる私に残っていなかった。

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