17話 え……?
バンシィの紫色の結界を、越える。
なんとなく息を止めたが、そんな必要は無く、紙よりも薄いゼリーの膜を破るように、バンシィの結界の中に入ることが出来た。
しかしその後すぐ、ネリとアンネリースさんと僕の固有結界が、ガラスのように砕ける。
空気が冷たく刺さった。
無言の緊張がみなぎった。
それが合図だったかのように、バンシィが絶叫する。
「オァアアアアアッッ!!!」
大鎌の両手を振り上げた“彼女”の叫び声は、どこか哀しげだったが、しかし心と鼓膜をビリビリと痛め付けた。
ネリとアンネリースさんは、すぐに片手を広げ、ルーンを刻む。
——【Snowveil Cleaver / Cryon】
(
——【Icicle pike / Cryon】
(
ネリの『
アンネリースさんの『
二人の魔法は白煙をあげ、同時にバンシィに襲い掛かった。
バンシィの脇腹と右肩で、氷の刃と槍が弾け、氷片が飛び散った。
バンシィの体から、真っ黒な血が、何かの配管が破られたかのように、吹き出る。
しかし“彼女”は痛みに怯む様子も無く、両手の大鎌を、大上段に振りかぶった。
あの大鎌が落ちてきたら……どう考えてもやばい。
アンネリースさんが指示を放つ。
『ネリ! 分かれて!!』
その号令と同時にネリとアンネリースさんは交差し、それぞれ逆方向に加速を始める。
ネリの重鎧が、『滑宙』による強烈な重力によりギシギシと
大鎌の「ごお」という音が迫り、体中の体毛が逆立った。
そしてそれは、僕の頭がさっきまであった場所に落ちる。
暴風が、巻き上がる。
草原に、長い亀裂が走った。
大量の土埃が、僕達を覆う。
しかしネリは怯まず、土煙を引き裂きながら、さらに加速を続ける。
「シアン……!! 捕まってろ!!」
と言ったネリは、腰の固定具にぶら下げた
さらにネリは体制を大きく傾け、速度を増して旋回する。
重力が僕の右側に押し付けられ、「ううっ!!」と呻き声が漏れた。
しかしその急旋回のお陰で、土埃と蒸気が晴れる。
目の前に小さい丘が迫る。
小さい丘の向こう側には、バンシィの真っ黒い影が、城門のようにそびえていた。
速度を落とさず、丘を駆け上がる。
気付くと、僕とネリは丘を越え、宙を舞っていた。
僕はネリの重鎧の踵から突き出たソリのような金具で、足を踏ん張った。
そして奥歯を噛み締める。
バンシィの巨大な右腕が、目の前に迫る。
その右腕は、骨で出来た橋のようだった。
ネリはその“橋”に、
火花が飛び散る。オレンジ色の剣閃が、空中に飛散した。
「ガァアアア!!」
バンシィは悲痛な悲鳴をあげた。
彼女の右腕から、黒い飛沫が吹き上がった。
着地したネリのブーツの下のソリが、「ザザザザザザ」と草花を撒き散らした。
僕たちの後を追って、バンシィの黒い液体が「ばたばた」と落ちてくる。
再びバンシィの叫び声が、大地を揺らす。
「キィアアアアアッ!!」
そこに、アンネリースさんの伝想が被さった。
『ネリ!!』
その声で、僕は振り返った。
8m先に巨大な刃があった。
その刃は、草原を薙ぎながら近づいてくる。
それは、バンシィーの無傷の左腕の大鎌だった。
「!?」
ネリもその刃に気付き、『滑宙』の軌道を変えようとする。
しかしバンシィの左腕は速く、僕達まであと2mに近付いていた。
斬られる!?!?
いや、潰される!!!!
殺される!!!!
その瞬間、僕とネリの前に、黒の重鎧と紺色のマントが割って入った。
“その人”は、激しい火花を散らし、
「アンネリースさん!!!!」
アンネリースさんの必死の防御で、バンシィの攻撃の勢いは少しだけ弱まった。
彼女から、悲痛な吐息が漏れる。
「ッッ!!」
しかし、防ぎきれなかった。
アンネリースさんの
不自然な体制で吹き飛ばされたアンネリースさんが、空中の僕達とぶつかる。
しかし、バンシィの大鎌の勢いは止まらず、薙ぎ倒された僕達3人は、空に舞い上がった。
その衝撃で……僕の意識も、真っ二つに斬られた。
———
————
——
自分の呼吸音で目が覚めた。
息は荒いままだった。
激しい心音が、頭の中でこだましていた。
目の前は、長い雑草と蒸気で覆われている。
アンネリースさんとネリは!?
身体を起こそうとする。
痛い。
全身の骨が軋んで、どこが痛いのか分からない。
しかし今は戦場だ。
だから起きないと。
肘と膝で体を転がし、両手で地面を押した。
右肩が激しく痛む。左肘も痛い。
垂れた汗が頬を伝って、乾いた土に吸い込まれた。
何度も肘をつきそうになった。
「ぬううううっっ!!」
と叫んで、なんとか上半身だけで起き上がった。
痛みで意識が朦朧としかけた。
でも今は戦場なんだ。
それどころじゃない。
目線を上げて前を見る。
その瞬間、心臓がさらに激しく脈打った。膝もさらに震えた。
ビルのように天を突くバンシィが、無慈悲に
ネリが破壊した右腕はだらりとしていたが……しかし左腕の大鎌は健在で、地面に墓標のように突き立てられている。
フードの奥の骸骨のような眼窩の奥の瞳は、なぜか哀しみや憂いをたたえている。
その瞳は真っ直ぐと僕を見ていた。
バンシィの頭の後ろに、後光のような赤い輪が浮かぶ。
何度か見たその輪は、バンシィの魔法の
そしてバンシィと僕の間には鎧と装備が砕けて、ボロボロになったアンネリースさんとネリが倒れていた。
つまりアンネリースさんもネリも倒れて、結界すら失った僕は、次の
しかもおそらく……いや間違い無く、ネリもアンネリースさんも……死んでしまう。
僕の脳裏に、白い線に貫かれて消失した詩歌が思い浮かんだ。
またしても僕は、大切な人を守れず全てを失ってしまうのだろうか……。
しかも次は、僕の命を何度も救ってくれた……ネリとアンネリースさんすら守れず……。泣きながら死ななくちゃいけないんだろうか?
だから僕は片膝を立てながらつぶやく。
「……それだけは……いやだ……」
痛い足を引きずりながら、立つ。
「……それだけは……許せない……」
片足でなんとか歩く。
「……彼女たちだけは……殺させない……」
足が痛くて痛くて、涙が溢れてきた。
バンシィの口に魔素が集結し始める。赤黒い光線が渦巻き始める。
「……もう僕は……何も失いたくない。だから……すべてを食い破って……泥だらけの血だらけになっても……生きてみせる……」
足を引き摺りながら歩きながら、“破滅の魔法”を錬成するバンシィを見ながら思い出す。
そうだ……。僕はオーバークロックが出来るんだ。
それをするためにここに来たんだ。
僕が【羞恥で悶える】ことが出来れば……僕はみんなが恐れ慄くような戦闘能力を手に入れることが出来るんだ。
だから僕はアンネリースさんとネリを越えて、バンシィと正対する。
僕達を焼き尽くそうとする。バンシィに向き合う。
そして言う。
「ここは……理不尽で無茶苦茶で、意味不明な世界だけど……でも、僕はここの人達が好きになっちゃったんだ。だから……」
そう言って僕は、自分のチノパンツに手を当てる。
止金を緩める。
バンシィの赤い魔素が弾けた。もう時間がない。
「だから……僕はここのルールに従ってやる……。ここのルールに従って、全てを食い破って、僕は本当に欲しい物を手に入れるんだ。だからやってやるっ!!」
僕はバンシィを睨みつけたまま、一気にズボンを下ろした。
もちろん、パンツは履いていない。なぜなら、手に入らなかったからだ。
だから僕の下半身は丸出しになり、風が股の間を通って、めちゃくちゃすーすーした。
不安になった。なんか縮んだ気がする。
「僕は何をしているんだ??」……と思ったけど、今は迷っている場合じゃ無い。
とにかく僕は、オーバークロックしなくちゃいけないんだ。
恥ずかしさが極まり、顔が真っ赤になる。
しかし数秒立っても、何も起こらなかった。
一方でバンシィの
あれ? 僕死んだ? 下半身丸出しで?? え? 僕って……ダサ過ぎ……?
——と思ったその瞬間……。
「……え……?」
という澄んだ女の人の声が、僕の裸のお尻のほうから聞こえた。
だから僕も、「え……?」と言いながら後ろを向く。
そこには、目覚めたアンネリースさんが横座りしていた。
アンネリースさんのブルーの視線が、僕の股の間で揺れていた。
アンネリースさんの顔が真っ赤になった。
もちろん、僕の顔も真っ赤になる。
『世界が終わった』と思った。
その瞬間、羞恥が全身を駆けめぐり、僕の脳を突き刺す。
巨大な真っ白なルーンが、僕たちの空間を蹂躙した。
【Overclock】【Overclock】【Overclock】【Overclock】【Overclock】【Overclock】【Overclock】【Overclock】
そしてそのルーンは、一気に収束して白い線になり、僕の胸を刺し貫く。
僕の額の右端に十字の傷が走り、鮮血が飛び散った。
あまりの激痛で、一瞬意識が飛んだ。
そしてその瞬間、世界が無音になり、真っ赤に見えたけど……
——それが額から流れた血のせいか……
——あるいは、アンネリースさんに見られてしまったせいなのか……
——はたまた、バンシィのクライングブラストのせいなのか……
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