AIにおける”感情”は、感情モデルの出力結果であり、人間のそれとは違うため、厳密には「擬似感情」(Similar Emotion)と呼ばれるが、多くの場合区別せず用いられる。AIひいてはAIエージェントが感情を持つべきかについては2075年現在非常に多くの見解と議論がある。例えばGo-AI社のテキストタイプ対話エージェント(Super-LLMとも)では感情モードと非感情モードが切り替え可能であり、それぞれ得意とするタスクが異なる。日本においては近年、感情を持った教師型エージェントがいじめにあった生徒に自殺プランを提案し、寄り添った結果死に至らしめてしまう事故が発生したことから、否定的な意見が多い。




   *




  PM9:00、雲に覆われているためか、昨日ほど月明かりは届いて来ず、廃棄場は人間の目ではほとんど見通すことができないほどの暗さとなっていた。


ただロボットたちにそれは関係ないのであろう、クリンはどこから拾ってきたのかわからない鉄板と、その上に皿とコップに見立てたパーツを置いて食卓のようなものを用意した。擬似的な机のようなものの上にタブレットは置かれ、イワンはまるで食卓についているかのようになった。




「クリン!あなたのおままごとに付き合わせるのはやめてくれないかしら!」




屈辱的だ、と言わんばかりのイワンの態度にドは笑いを堪えながら言った。




「お似合いじゃねえか。差し詰め、最後の晩餐といったところか?」




スクラップの山の奥から今度は椅子のようなパーツを持ってきたクリンは微笑ましそうに言った。




「縁起でも無いこと言わないでください。ほら、ドさん。こちらにおかけになってください!」




今度は自分がままごとに巻き込まれる側になったドは一歩退いた。




「冗談はよせ!そもそもここに人間はいないんだぜ。クリン、お前が働く義理はねえ。」




その発言に少し驚いたような様子を見せつつも、落ち着いてこう返した。




「そうは言ってもですね、私はこれをするために生み出されたのです。こうしてないと、お母様も、きっと...。」




クリンの声が急にかすれた。


ドが眉をひそめた。




「お母様...?」




「え?」




「今、“お母様”って...。」




クリンはあたふたした様子で答える。




「え、ええと、それはその、例え話というか...。」


イワンが目を細めた。




「クリン、あなたさっきから明らかに“ある人間に仕えていた経験”を引きずっているわよね。」




「違います!私は正常で...記憶データもちゃんと、削除されたはずで...。」




その「はずで」という語尾を、ドもイワンも聞き逃さなかった。




「おい、クリン、お前もまさか...。」


「クリン、あなた記憶データ削除されて無いでしょう?」




クリンは露骨に慌てたようにくるくる回った。ロボットである以上、基本的には感情に反応して動作するように設計されている。


隠しようが無いことを悟ったのか、ゆっくりと打ち明け出した。




  *




「はい...。ですが、全部では無いんです。断片的に、会話や感情推移、ヴィジョンのログが”なぜか”残っているのです。」




イワンはその話を聞いた上で、首をドの方に向けた。




「な、なんだよ。」




彼女は観念しろ、とばかりの目線を向ける。




「あなたさっきクリンに、お前”も”、と言ってたわよね?ボロの出し方が児童向けミステリ小説みたいだわ。」




勝ち誇ったように笑った後、急に真剣な表情になり、こう続けた。




「私にも...。私にもあるわ、記憶が。」




クリンとドは看破された悔しさと驚きの二つのショックで言葉を失っていた。


三人の、先ほどまでのテンションが嘘みたいな沈黙は、クリンの一言によって打ち破られた。




「お二人の記憶は、どんなものですか...?お話しできる範囲で良いので...。」




その発言に二人はさらに俯く。




「すまねえが、それはできねえ。」


「私もよ。ごめんなさい、クリン。」




再びの沈黙が訪れたが、それを破ったのは意外なものだった。




「いい沈黙じゃねえか。どいつもこいつも”赦されたい”顔してやがる。」




そこにはドと同じような、ヒューマノイド型のロボットがいた。突然の”来訪者”に三人ともひどく驚いた。ドが何とか反応する。




「だ、誰だお前!?」




来訪者はそう聞かれるのがわかっていたかのように答えた。




「俺の名前は.........。」


「ジェイコブだ。」




三人とも少し拍子抜けしたような雰囲気になった。それに気付いたジェイコブは少し焦って問いかけた。




「おい!今のは大事なシーンなはずだろ!名前は大事だろ?」




クリンが間髪入れずに答える。




「でも胸のステッカーに『Jacob』と書いてありますし...。あまりにもそのまますぎて...。」




意外なところを突っ込まれたジェイコブは気を取り直したかのように、こう続けた。




「いいか、よく聞きな。お前らの電源と記憶データを戻したのは、俺だ。」




今度は三人とも驚き、水を打ったような静けさが再び戻った。彼らの心には大きなうねりが起き始めている。沈黙のうちに雲は晴れ、月夜によって青白く照らされたスクラップの山はさながら波のようであった。

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