第3話「いつもの日常」その①


人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇である。

――チャールズ・チャップリン



 リアとこころは手錠を嵌められたままに、黒いバンで移動をしていた。サイドウインドウは外部からは全く見えないように施しがされていた。私語は厳しく禁じられており、同じ車内にいるはずのこころとは会話することは全く出来なかった。

 

(刑務所体験ツアーか?手錠まで掛けやがって…。)

 

 乗り心地の悪いバンは突然動かなくなる。どうやらそれは施設に到着した為であった。車から出てみると、一番最初に出迎えてくれたのは、巨大とも言えるゲートであった。そのゲートは目の前にしてみると、あまりの威圧感に圧倒されるほどであった。

 

(地獄の門か…、果たして生きて帰れるかな?)

 

 リア達の命がけの潜入任務は、門をくぐり抜けたところから始まった。



 時を遡ること12時間前、リア達は昨日の出来事のあとに、WFU北海道支部で報告した。ルカの証言は施設内部の多くの情報があった。子供達の暮らす環境が劣悪、いじめや虐待、さらに、能力者に人体実験を行うという非合法な研究を行っている、といった内容だった。これでWFUと日本の警察、政治が動く口実になる…筈であった。茉莉花はこの件について熱心に解説するも、WFUの調査官達への手応えは無く、彼らの表情は強張ったままであった。

 

「――内部の実態はこれで明らかです!この証言さえあれば、WFUや警察を動かすことが出来るはずです!」

 

 彼女の演説も、調査官は誰一人聞く耳を持たず、結局無駄に終わってしまう。

 

「…ダメだ。ルカ一人の証言だけでは、警察は動かないだろう。」

「どうしてですか!?」

「警察が動かす条件がかなり厳しくなってしまったようでね。どうやら我々の動きがバレたようで政治的介入があったようだな。」

 茉莉花はこの話に非常に落胆した。というのも、リアとこころをこの悪評高い施設に送り込みたくは無かったためであった。こころは条件について尋ねてみる。

 

「どういう条件…でしょうか?」

「以前は内部の実態の調査だけで良かったんだが、今はWFUで独自での長期間の調査、介入の口実に繋がる内部での騒動の工作、収容者の証言、そして非人道的実験が行われているという決定的証拠が必要だ。」

「だいぶ厳しいな…。WFUだけで動くことは出来ないのか?」

「いや、ダメだ。そもそも本来ではこの手のことで治外法権は認められていないから、まず我々だけで検挙するのは法律上無理だ。もし検挙したいのであればやはり日本側が動く必要がある。」

「なるほどね。」

 

 調査官はようやく本題に移れるというふうに、リア達に話を始めた。

 

「そして、君達に言い渡したいことがある。」

「1日だけの任務であると伝えていたが、その条件変更に伴い…、1ヶ月に変わった。」

「1ヶ月!?」

 リア達は直前の任務変更に驚いた。こころはこれを聞いて柔和な雰囲気から一転してかなり不安そうにしていた。茉莉花は聞いていられず、思わず立ち上がった。

「あたしは反対です!1ヶ月も潜入任務は危険すぎます!」

「君は…茉莉花君、だったね?君の任務はただの彼女達の護衛だ。口を挟む立場に無いはずだが?」

「くっ…」

 

 茉莉花は苛立ちながら椅子に座る。

 

「バレずに証言や証拠を集め、そして最後には介入する口実を作るために内部で騒動を起こすか…。ライオンの群れに素手で戦うのを強制されてるようなもんだな。」

「だったら…。」

「乗った。私はそういう任務を望んでたんだよ…!」

 

 茉莉花は心配そうにリアの方を見たが、今までの無気力な雰囲気から一転、闘志をメラメラと燃え上がるようなやる気に満ちた状態になっていて呆れかえった。こころもリアに影響を受け、彼女も任務に肯定的になり始めていた。

 

「リアが行くんだったら、わたしも行きます…。正直、怖いけど。」

 調査官達は二人の反応に満足したようで、全く感情のない事務的な励ましをする。

 

「じゃあ君達、頑張りたまえ。任務、頼んだぞ。」

 

 こうして、調査官達は部屋を退室していった。茉莉花は彼らに向けて舌を出してやりたかった。

「あいつら、あなた達二人にこんな事を押し付けて、ホッント最低だわ。」

「落ち着けマリーカ。任務が直前になって変わるなんてWFUじゃよくあることだ。ただ、私は大した能力者じゃないからいいが…こころは大丈夫か?能力者のクラスとしてはC相当だろ?」

 能力者にはクラスが設定されており、上からA,B,C,D,Eという序列となっている。上に行くほど強力かつ危険な能力者である。弱小の能力であるDクラス以下は比較的自由に動くことが出来るものの、Cクラスからは制約が出てくる。さらに、このような施設ではクラスの高い能力者は厳しい扱いを受ける危険性があった。

 しかし、こころは頷く。リアと一緒なら乗り越えられると信じていたからだ。

 

「大丈夫、多分。…もし、大丈夫じゃなくても、リアが助けてくれるよね?」

「フッ、簡単に言ってくれるね。分かったよ、。」

 

 リアは機嫌よく引き受ける。こころは相棒という言葉に大変喜び、急にリアの方へ駆け寄り、彼女の両手を掴んで踊りだした。

「フフッ、相棒♪相棒♪相棒♪」

「ど、どうしたんだよ、急に…。」

 こころの大変な喜びように、リアは大変困惑したが少しばかりした後にこころは急に冷静になり、恥ずかしがりながら踊りをやめた。

 

「ごめんね。リア。嬉しくなるとつい踊りたくなっちゃうの。」

「どういう性格だよ…。」

 こうして3人は部屋を出ていき、朝に向けてホテルへと戻っていった。その道中、夜間の道で3人が歩いているとリアは唐突に笑みを浮かべ、独り言を言っているようであった。

「フフフッ、しかしそんな危険な任務だとは…、ゾクゾクするねぇ。」

(どういう性格…?)

(リアも人のこと言えないわよ…。)

 

 

 何故か二人同時に施設に入るのではなく、先にこころから入り、そしてリアは入口前で待たされる事になった。こころは入館する直前にリアに不安そうに視線を送る。

 (絶対に約束は守るからな。こころ…。)

 こころに心の声が通じたのかはわからないが、彼女は安心したように、その中へと入っていった。

 

 この施設は2つの建物で構成されており、一つがA棟、もう一つがB棟という名称が付いていた。どうやら、この施設に入った者はまずA棟から行くようであった。そして中に入ると、そこはロビーになっているようだが、収容施設の受付というより、まるでオフィスのエントランスロビーのようであった。まず、リアはエントランスから長く、まるで病院のようにアルコール臭があり、そして清潔感のある通路を歩かされ、そして一室に通された。そこでは部屋の全てが白に統一されており、そして机と椅子と一つの資料しかないほどに物が無かった。背広を着た二人の男と一人の女が既に着座しており、彼らにその机の反対側の席に着座するように促された。まず最初に女性面接官に別室に連れられ、身体検査と何故か遺伝子検査をさせられた。そして再び部屋に戻り、聞き取りや各資料によりその経歴や財務情報…とにかく、何から何まで全て調査された。ちなみに名前はWFUとの協議により、ここでは「ベル・ヴァランス」という偽名で通すことになった。


 かなりの長時間の取り調べな上に、面接官達は全員高圧的な態度であったために不満はいくらでも出よう状況であったものの、ここで行動を取って不利な立場に置かれるのはマズいと危惧したリアは、ひたすらに我慢し、大人しくしていた。ただ、彼女の性分では無かったために、それは大いなる苦痛を伴う行為であった。

 

 なんとか2時間ほどの調査や面接を終えたリアであったが、そして部屋を出て、同伴の女性面接官と警備員2名と共に再び通路をひたすらに歩かされた。そして、ロッカールームのような部屋にたどり着き、そこで全て脱いで、施設が用意した指定の下着と指定の服を着るように言われる。下着はすべて白に統一されており、服は青い作業着のようなものであった。リアは着替えを済ませると、面接官に手首を出すように指示され、その通りに出すと、いきなり何かを嵌められた。それは能力抑制装置であった。

「ここではこれを取り付ける事になっているわ。」

 

 能力抑制装置とは細胞片を摂取して特定の装置に取り付けることにより、能力者の能力を抑制させる装置である。どうやら遺伝子検査の際に一緒に細胞片を取られたようであった。リアはそれを付けた途端、急に体の力が抜け、全身に汗が流れるほどに苦しみだした。

 

(くっ…。この装置の出力、かなり高いじゃねえか!人によっては能力過剰使用オーバードーズを起こしちまうレベルでよ…!)

 

 リアが苦しんでいると、面接官に肩を叩かれ、こう諭された。

「慣れればどうってことはないわ、ベル。辛いのは最初だけよ。」

(能力者じゃない奴が何を知ってるんだよ…。)

 

 しばらくしてなんとか歩けるようになったリアは、ロッカールームからすぐに連れられ、その側の渡り廊下からB棟へ向かった。そして、階段を3階ほど降り、ある部屋へ案内される。それは鉄格子で囲まれており、プライバシーもへったくれもないような部屋であった。

 

 (拘置所かよ…。)

 

 リアは調査官にこの部屋に押し込まれて、そのまま二重の鍵で扉をロックされた。

「1時間ほどしたらこの施設の管理官に呼ばれる事になっているから、それまでここで待っていなさい。」

 警備員達に少し話した後、警備員1人とともにこの拘置所から出ていった。そして警備員1名とリアが沈黙とともにその場に残された。リアは沈黙に耐えかねたのもあるが、こころの所在が心配であったため、一応ダメ元で警備員に尋ねてみる事にした。

 

「あの…。私と一緒に来た、えいちゃんはどこに行きました?」

 瑛とは、こころの偽名であった。

 

「悪いが、ここでのお前との応答は禁止されている。」

 

 案の定この対応であった。そしてそれ以降、彼にいくら話しかけても、口を閉ざしたままで、その後は一言も喋ることは無かった。


 しばらく待っていると、再び先ほど出ていった二人が戻ってきた。そして何も喋らないまま、そのままある部屋に連れて行かれた。そこは管理官室と呼ばれる場所で、見るからに高級そうな家具に、悪趣味なオブジェや金細工が部屋中を埋め尽くしていた。管理官は部屋に居るようではあったが、椅子に着座しているようで外見は分からなかった。

 

「彼女はメビウス。この施設の管理官を勤めている方よ。…管理官、連れてまいりました!」

 

 今までは椅子の背もたれに隠れて姿が見えなかったが、彼女はその呼びかけによって立ち上がり、リアの方へのっそりと歩いてきた。

 「お前が例の入居者かい。さっきの子と違って生意気そうなガキだねぇ…。」

 それは50代半ばの女性であった。ファッションはかなり独特で、軍服をわざと着崩して自分好みに合わせたような感じであった。左手には鞭を持っていて、今にもリアに向けて使ってきそうであった。

 

(おいおい、なんだコイツ…拷問官か?)

 

 リアはこのような人間はアニメやゲームでしか見たことがなかったため、一瞬夢の中ではないかと疑った。が、そう思っているとメビウスから話かけてきた。

「お前の名は?」

「ベル・ヴァランス。」

「ベル・ヴァランス?贅沢な名だねぇ。今日からお前は番号"2237"だ。名前の事は今日から忘れな。」

「え?」

 メビウスは突拍子もない事を言いだしたために、リアは流石にただの冗談だと思っていた。メビウスは強い口調で彼女に言った。

「忘れろと言ってるんだ!"2237"!!」

 

 

 リアは部屋の一通りの紹介もなく、この後すぐに教室の方へと向かわされた。教室の内部はシンプルで、白を基調とした部屋に、日本の昔の学校のように、木製の机や椅子がある構造で、そこには2~30人ほどの生徒が、人種や性別、国籍も関係なくバラバラに席に座っていた。入ったところで特に自己紹介もなく、そのまま教室に居た教官にリアの席に案内させられる。席には彼女のナンバー、”2237”が刻まれたタグが置かれており、それを付けるように指示する紙も付属されていた。彼女は仕方なく取り付け、身につけた。リアは辺りの雰囲気を見るものの、収容された生徒たちは皆反応も無く、ただ暗澹あんたんとしていた。

 その後は特に問題も無く授業を終えて、夕食後に生徒に教えてもらいながら自分のナンバーが扉の上に付いており、そこが自分の部屋らしかった。中に入ると、そこは3畳もないほどに狭い個室で、小さいデスクとランプ、チェア、そしてベビーベッドよりはマシなサイズのベッド、そして着替え用の服を入れるクローゼットしか存在しないという本当にシンプルな部屋であった。彼女は精神的疲労が溜まりに溜まっていたためか、狭っ苦しく寝心地の悪いベッドに一瞬で寝入り、1日を終えた。

 

 これから一日の流れを順に紹介していく。まず、驚くほど煩い起床ラッパによって起こされる。起床後、素早く布団を片付け、身支度を行う。その後すぐに食堂へ行き、朝食を30分以内に済ませると、すぐに教室へ行き授業が行われた。その授業は今どきとは思えないようなスタイルで、その内容もこの施設に都合の良いようなものであった。45分の昼食を挟んで、再び長い授業を受けた。そして授業が終わると夕食を30分で済ませて、そして身支度をして就寝…。というあまりにも時代からかけ離れた生活を強制させられるのであった。

 

 規則も驚くほどに厳しく、服は常に青い作業着を着ることを強制され、会話は一部の場所を除いて禁止された。友人を作ることも許されず、ましてや不純異性交遊なんてもってのほかであった。もし規則を破ったら、1畳にも満たないほどに小さい懲罰房に連れて行かれ、そこで1日中過ごすのである。

 

 そしてこの施設の最大の特徴としては、時計がどこにも存在しないことだ。この施設に居るものは一日のルーチンから予測するか、窓の外の状態を見て、今何時かを推定しなければならなかった。いつ終わるかもわからない、この長い授業を時間も分からずに受けなければならないのである。リアは、2日目にして、もうこの任務の過酷さを認識し始めていた。

 

(もうこの時点でも既にヤバいのに、告発出来ないのかよ…。)

 この時点でも実態は深刻であるのだが、それでもなお警察を動かすことが出来ない事に驚きを隠せなかった。

 

 2日間は無難に乗り越えたリアであったが、3日目に突如として事件が発生する。昼食休憩のすぐ後の授業中でリアは満腹感によりウトウトしそうになっていた。すると突然、静かな教室を切り裂くように、つんづくような音を出しながら勢いよく扉が開いた。そこから屈強な二人の教官が入ってくる。周囲の人の表情がそれを見るが関わるまいとすぐに視線を外した。そしてその中で”2104”と呼ばれる少女は彼らを見て、涙を流しはじめ、ガタガタと震えだした。彼女は通り過ぎるのを必死に祈るが、無慈悲にも二人の教官はその少女の前に立った。

 

「”2104”。久々だな。今回はだ。我々に付いてきなさい。」

「イヤ、もうあんな所は…。触らないで!」

 

 教官の一人が腕を掴もうとするが、少女は抵抗する。するともう一人が拳を振るい、少女の顔にめがけて殴りつけた。その反動で彼女は椅子とともに崩れ落ちた。

 

(おいおい…。完全に暴力振るってるじゃないか、しかもか弱い子に対してグーパンかよ。)

 

「来い!お前は今日の日だ!断る権利など無い!」

 逃げられないように二人で少女の両腕を強く握り、廊下へ引っ張っていく。彼女は必死に抵抗するも、教員の力には全く及ぶことはなかった。

「イヤ、イヤ…誰か助けて…。」

 その言葉に誰もが目を背ける。もし助けたりなんかしたら、教官達に何されるのか分かったものではないのだ。

 

「イヤアアァァァァァ!!」

 

 彼女は教官二人に連れられ、教室の外へと連れ去られた。外に出てもなお、彼女の絶叫が廊下中をこだまする。リアは、この件で一つ確信を得る。

 

(なるほど、ここは”地獄”だな…。)

 

 ルカの言葉に納得する。そう、この場所を地獄と呼ぶ表現に、偽りは無かったのである。

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