エピローグ
大会翌日。
謎の料理――ラーメン。 その名前は、昨夜のうちに魔界と天界のあいだを駆け抜け、今や誰もが知る“一度は食べたい料理”になっていた。
それは人間界でも変わらない。
アルネの実家である食堂は、その余波をもろに受けていた。 列は曲がりくねり、店の角を三つ折り返してなお、途切れる気配はない。
木盆に乗せたラーメンを両手で支えながら、アルネが客席をすり抜けていく。 動きは軽やかで、リズムがある。 ぱたぱたと揺れるチャイナ服の裾に、ちょっとした誇らしさが滲んでいた。
「おまたせネ」
声をかけると、中年の女性がぱっと顔を上げた。
「やっと食べられるわ……朝からずっと並んでたのよ」
言葉には苦笑が混じっていたが、視線はすでに器の上。 スープの湯気すら惜しむように、見つめていた。
「ふふふ、ごゆっくり」
アルネは満足げに胸を張り、くるりと回れ右をする。
厨房に戻ると、そこではタベルが寸胴鍋の前で静かに動いていた。 蓋を持ち上げ、ふわりと立ちのぼる湯気を覗き込む。 香味野菜の火入れを確認し、わずかに頷く。
迷いはない。 火加減も、香りの層も、すでに手の内だ。
「……すごい反響ね」
鍋の脇から、スムがぽつりとつぶやいた。 誰に向けた言葉でもなかったが、その声は店の空気に確かに沈んだ。
そのとき—— 「チリン」と、小さな鈴の音が入り口から鳴った。
アルネの手が止まり、タベルは寸胴から目を離さぬまま、視線だけを入口へ。
開け放たれた扉の向こう。朝の光を背に、ふたつの影が店内へと差し込む。 ゆっくりと。だが、ためらいはなかった。
「あら〜、においにつられて来ちゃったわ♡」
聞き覚えのある、悪戯っぽい声。
「……来たわよ」
現れたのは、極彩色の髪を揺らすエバリア。紫のチャイナ服のスリットが鋭い。 そのすぐ後ろには、凛とした佇まいのニリエルが白金の髪をなびかせ、続いた。彼女は色違いの白だ。
客席の数人が、思わず手を止める。 まるで舞台から抜け出してきたような派手な装いと容姿。 その異質さに、場の空気がわずかにざわついた。
厨房に戻ると、タベルが寸胴の湯気越しにぼそりとつぶやいた。
「……あいつらか」
「騒がしいのは嫌いネ」
アルネが口元に手を当て、げんなりした顔をする。
だが、そんな空気もどこ吹く風といった様子で、エバリアがコツコツと踵を鳴らしながら、カウンターへ近づいてきた。
「というわけで、あたしたち——これからも共同戦線で行くことにしたわ♡」
ニッと笑って、エバリアが指をくるりと回す。
「何がというわけなんだ」
「タベルの“ありのまま”を広める。それが最善と判断したの」
今度は、ニリエルが落ち着いた口調で続けた。
タベルはひと息置き、鍋の様子を確認しながら呟いた。
「じゃあもう、魔王討伐とか、どうでもいいのか?」
「そうよ」
ニリエルが即答し、エバリアがさらに声を重ねた。
「タベルは、自分らしいことをこのままやってくれればいいの♡」
「ふーん……」
タベルはゆるく相槌を打った。けれどその表情は、どこか読み取れないままだった。
「というわけで〜」
エバリアが人差し指を立てる。
「このラーメン、天界と魔界に同時配信させてもらうわ♡ いいでしょ?」
タベルは少しのあいだ無言だったが、やがて肩をすくめた。
「好きにすればいいさ」
「はい♡ 了解いただきました〜♡」
その瞬間、エバリアはパチンとウインクをする。
もちろん、店の誰にも見えない——透明で自動制御された天界・魔界仕様のデバイス。
「じゃ、ラーメン二人前お願いしま〜す♡」
数秒のうちに、ラーメンを作るタベルの姿が、異世界の画面に流れはじめた。
アルネがちらりと伺うように見るが、タベルは特に返事をせず調理を続けた。
茹で上がった麺を手際よく湯切りし、スープの中に滑らせる。
その動きはもはや熟練職人の所作。
「アルネが作った最高のラーメンだ」
ごとん、タベルは湯気の上がる器を、ふたりの前に置いた。 香味油がきらりと表面を照らし、白濁したスープの中央には、規則正しく並べられた具材が浮かんでいる。
「これが……“ラーメン”……?」
ニリエルが首をかしげる。 その音の響きすら、まだ舌に馴染んでいない様子。 器の中には細長く、やわらかそうな食べ物が、まるで生き物のようにスープに潜んでいた。
「これ、このまま食べて……いいのよね?」
「そうネ」
アルネが誇らしげにうなずく姿を横目に、ニリエルが恐る恐る麺をすくい上げる。 それは、見た目の奇妙さとは裏腹に、湯気とともに鼻孔をくすぐる芳醇な香りを放っていた。 スープの香ばしさと油の甘さ、薬味の爽やかさが渾然一体となって迫る。
「……えいっ」
勢いで口に放り込む。
——ズッ。
一瞬、動きが止まった。
「…………」
「…………」
二人が、顔を見合わせる。
「……なにこれ」
「……すごい……っ」
「なにこれなにこれ!? なにこの食感!? なにこの伸びる感じ!? あったかくて……スープが……全体に染みて……っ!」
エバリアが突然立ち上がる。
「うまっ!! うま〜〜〜〜〜いっ!!!」
器を抱えてその場で回転しはじめる。奇抜な服がふわりと舞う。
「この“麺”って……食べ物なの!? こんなの初めて〜♡」
「こんなの、魔界にも天界にもないわよ!」
ニリエルの目も真剣だ。箸を止める気配がない。
「食感、香り、スープとの一体感……しかもこの麺の食感がすごくいい」
「魔法かってくらいの完成度だよ、これ……!」
天界・魔界仕様の透明なデバイスが、二人の実食の様子をリアルタイムで映し出していた。 麺を啜る音、ふわりと立ちのぼる湯気。タベルの手元の丁寧な所作まで——すべてが、異世界の画面に流れていく。
その瞬間、両界のSNS上に火がついた。
止まらない投稿の嵐。鳴り止まない通知音。
フォロワー数のカウンターは跳ねるように更新されていく。
まるで、熱狂そのものが生き物になったかのような勢いだった。
「……ふふ♡」
エバリアがちらとデバイスを見やって、前髪をくるくると指に巻く。
「見て、この伸び方。うん、やっぱり間違ってなかったわね♡」
グラフは急角度で跳ね上がり、コメント欄はとっくに読みきれない。画面が勝手にスクロールしていく。
「あなたって、やっぱり凄いのね」
隣で、ニリエルがぽつりとこぼす。 素直な賞賛というより、どこか実感が追いついていないような声。
「王道以外が評価される世界だなんて、天界じゃ考えられなかったから」
「でもきっかけはアンタのとこのトップよ」
エバリアは笑う。小さく肩をすくめて、チャーシューをつまんだ。
「けど、あたしは信じてたの」
「何を?」
「“面白ければ勝ち”って理屈♡」
「単純すぎない?」
「単純がいちばん強いのよ、バズる世界では」
ニリエルは苦笑を浮かべたまま、スマホの画面を見つめる。
今や“勇者のラーメン”のハッシュタグは、魔界・天界の双方でトレンド入り。 奇跡でも起きない限り、崩れそうにはない。
「それに……人間界が、救われたんだよね」
ぽつりと、ニリエルが呟く。
「そうね。バズり一発で、世界の存亡がひとつ消えた」
エバリアは口角を上げ、ラーメンのスープを一口啜った。
その間も、タベルは厨房の奥で黙々と作業を続けていた。 鍋の火加減を整え、鍋縁の脂を布で静かにぬぐう。 小さな水音が、誰にも気づかれずに響いている。
「……で、天界のトップは、何て?」
エバリアが目だけで問いかける。
「“騒ぐには遅すぎた”って」
「さすがって感じね」
二人の言葉は軽く、けれどそこに宿るのは確かな「変化」だった。
「……流れって案外変わるものなのね」
「でしょ? あたし、最初からそう言ってたじゃない」
「最初は言ってなかったわ」
「あれ、そうだっけ?」
「そうよ」
ニリエルは、厨房の方へ振り返った。
ラーメンの湯気の向こう。寸胴鍋の前に立つタベルの背中は、いつもと変わらない。変わったのは、世界のほうだ。 その静かな背中が、それを物語っていた。
#勇者、タベル。ー 自称異世界勇者召喚インフルエンサー女神に呼ばれたけど、俺は食にしか興味ない ー 松本もか @mookaa
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