忘れていた感覚

「……足りない」


 タベルのつぶやきに、対面の少女の眉がわずかに跳ねた。

 金の瞳が光る。すっと背筋を伸ばし、アルネは静かに言った。


「これはワタシの中でもかなりの完成度アル。野菜と肉の比率、火の入れ方、皮の厚み、どれも──」


 その声音には怒気もあったが、それ以上に“本気”が滲んでいる。

 尖った耳先まで真っ赤にし、睨みつける少女。

 ちょっと頭を撫でてやりたい気持ちにもなったが、そこは抑えた。腕を組んだまま、タベルは少し首を傾けて餃子を見る。


「分かってる。非の打ちどころはない。だからからこそ気になった」

「もったいぶらないでさっさと言うネ!」

「ザックリ言ってしまえば、“パンチ”だな」

「……つまり戦いたいってことネ?」

 アルネの目がスッと細まる。


 見た目は子ども、殺気は本物。しかし、こういうノリにいちいち反応しては、話が進まないことをタベルは知っている。


「いや、そういう物理的な話ではなく」

「じゃあ何ネ?」

「パンチが足りない──つまり記憶に残らない味だ」

「記憶に残らない……」

 一瞬、アルネの表情が曇った。

 が、タベルはためらうことなく続ける。

「もう少し塩が効いてたら──いや、効かせていたら、最初の一噛みで“来る”はずだ。記憶にも、腹にも」


 その言葉にアルネがまばたきした。

 そのまましばらく何も言わず、視線を落とす。


アルネの頭の中で、何かがぎし、と軋んだ。


 ……いつからだろう。

 このギルドの食堂に来てから、誰も彼もが自分の料理を「腹を満たす燃料」としてしか扱っていなかった。

 味を語る者も、作り手の意図を汲もうとする者は誰もいない。


 だったら、ただ出せばいい。そう思っているうちに、気づけば、何も考えなくなっていた。感じなくなっていた。


 料理をしてるつもりだったけど──
それはもう、料理じゃなかった。

 ただの作業。


「“料理”ってのは、“食べる相手”がいて初めて、意味がある」

 タベルは静かに言った。


 餃子を見つめるアルネの目に、かすかな揺らぎが差す。

 その揺らぎは、かつて自分が“料理”という言葉に込めていたものの残像だった。


「……分かってたはずネ」

 いつの間にか、料理に自分自身の想いを混ぜることを忘れていた。


 だからいま、目の前のこの男が──

 味を見て、言葉をくれて、足りない部分をちゃんと伝えてきたことが、思っていたより、ずっと刺さってる。

 料理人としての心を思い出させてくれた気がする。かつてここに来た人間でそんな者は誰ひとりいなかった。


 ──こんな感覚、いつぶりだろう。

 忘れていた何かが、自分の中で静かに灯り直すのを感じながら、アルネは、目の前の男を見た。


「アンタ、何者ネ?」


 アルネの金の瞳が、真正面からタベルを射抜いた。

 タベルは小さく笑い、髪をほどく。


「俺は……そういや、なんだろ──」

 ──その瞬間。

「世界を救う勇者じゃボケェェェェェ!」


 どこからともなく、派手な女の声とともにドロップキックが飛んできた。


 タベルの後頭部にクリーンヒット。

 周りのテーブルや椅子を巻き込み、勢いよく吹き飛ぶ。


「悠長に食ってんじゃないわよ! 登録しろって言ったでしょ!?」

 髪型も服装も、どこにでもいそうな町娘風。おまけに羽も輪っかもない。

 だがタベルはすぐ分かった。その声、その手口──ニリエルだ。


 うっすらと砂埃が舞い、時が止まったかのように静まり返るギルド内。

 その視線は突如現れたニリエルに注がれている。


「オホホホホ! 通りすがりの町娘でーす!」

 彼女の乾いた声が高らかに響いた。


「いやいやいや、その設定無理あんだろ!」


 ニリエルは地べたに転がるタベルの元に近づくと、女とは思えない力で襟首をねじり上げ、顔を寄せる。

 ほんのりと甘い花の匂いが、タベルの鼻腔をくすぐった。


「神の顔を知ってる人間なんてほんの一握りよ。ここにはいないからセーフ!」

 そう囁くと、タベルを引きずりながらギルドの登録カウンターへと向かう。完全に通りすがりではない町娘が、他人を引きずって受付に押し込む──

 ギルドの職員も一瞬、目をしばたたかせた。


「……え、えーと、初めての登録ですね。で、では、水晶に手をかざしてください」


 鼻息の荒いニリエルの勢いに動揺しつつも、職務を全うしようと頑張る健気な受付嬢。ギルド内の全視線が突き刺さる中、タベルは、しぶしぶ手をかざした。


 すると──

 ぱっと水晶が光り、浮かび上がった文字が、ギルド全体に響き渡るように読まれた。


「職業:勇者」


 一拍、静寂が流れた。

 老人の奏でる楽器が間抜けにポロンと鳴る。

 続いて、どよめき。


「ゆ、勇者だって!?」

「本物かよ?」

「まじで!?」


 タベルは顔をしかめ、ニリエルを横目で睨む。

「おい……“登録しろ”とは言ってなかったろ」

「ギルドに行けってことは、そう言ったも同然よ!」

「そんなの知らねぇよ」

 タベルのツッコミにも耳を貸さず、ニリエルはどこからともなくエメラルドの塊──天界スマホを取り出し何やら操作していた。


「#勇者登録完了 #救世主降臨 #仲間募集中 ライブ配信スタート!!」


 彼女はスマホを掲げ、手を大きく振る。


「異世界から召喚された勇者タベル様でーす。ただいま仲間募集中! 強い人、集まれーー!!」

「誰が募集した!?」

「そういうもんなのよ!」


「どけーー!!」

 ざわめきをなぎ倒し、怒れる熊のような勢いで男が現れる。

 ごつい体格、粗い革鎧──先ほど、絡んできたあの戦士だった。


「よぉ勇者さんよ。仲間が必要なんだろ? だったらオレなんか最適じゃないか?」

 タベルは呆気にとられて男を見る。


「オレの名はハッサンだ。ここいらじゃ力で有名だし、メリットは十分。どうだ?」


 手のひらの返し方が鮮やかすぎて、むしろ清々しい。
さっきのガラの悪さはどこへやら、やけに爽やかな笑顔を浮かべている。


 タベルは鼻を鳴らす。

「……さっきは絡んできたよな?」

「あ、あれはちょっと試しただけだ。なにより戦場で生き残るには、判断の速さが重要で──」

「待つアルね!!」

 甲高い声が割り込む。


 カウンターの奥から、漆黒のチャイナドレスが舞うように飛び降りてきた。

 地面に軽やかに着地すると、金の目をギラリと光らせながらタベルの前に立ちはだかる。

 アルネだった。


「ワタシを連れてけネ!」

「……なんでだよ」

 タベルが一歩後ずさる。

「アナタ、ワタシの料理を真剣に味わったネ。分析して、改善点を指摘したネ。そんな奴、今までいなかったアル!」

「だからって──」

「……ワタシ、もう一度修行するネ。アンタの舌を納得させるためネ!!」

 どこか真っ直ぐなその言葉に、騒いでいた周囲も少し静かになる。

 タベルは困ったように頭を掻く。


「いや、一人のほうが気楽でいいんだけどな……」

「却下アル」

 
「異議なし!」


「#初仲間加入?」


 すでにニリエルは配信に夢中。SNSにタグを付けながら、ライブチャットに手を振っていた。


「おいニリエル! 勝手に決めんな!」

「うるさいわね。私は口出すけど責任は取らない主義なの」

「一番タチ悪いやつじゃねえか……」


 タベルがこめかみを押さえる。


 アルネはカンフーの構えをとりながら、「ワタシ、戦闘もいけるネ」と真剣な顔。

「オレだって腕は立つぞ!」
ハッサンも負けじとデカイ図体をアルネの前に食い込ませ、筋肉をアピールする。


「ちょっと、二人とも固すぎない? それに戦士二人って勇者パーティってもっと、こう、キャラ被らない方が……」と、ニリエルがブツブツと呟いたが、誰にも聞かれなかった。


 そのまま議論はまとまることなく、空中にぷかぷかと浮いたまま──


「じゃあ俺も連れてけよ、勇者さんよ! 俺だって腕には自信あるぜ!」

「なんだよ順番待ちか? 次はオレだろ!」

「料理なら得意だぞ! 食ってから決めろ!」


 気づけば、酔いの勢いに任せた冒険者たちが次々に参戦し、ギルドはお祭り騒ぎと化していた。

 飛び交う罵声と悲鳴。割れる食器や飛び散る料理。

 どさくさに紛れてウエイトレスを触ろうとする者まで。

 めちゃくちゃな空間の中、老人の奏でる曲はいつのまにかアップテンポなものになっていた。


「キタキタ、この感じ最高よっ! やっぱり勇者は人気者じゃないとね!」

ニリエルは腰に手を当て大きく頷く。


 
「……ドリフかよ」

 タベルはボソリと一人つぶやき、卓に戻る。

 その騒ぎを止める者は誰もいなかった。


 ◇◇◇


「現地から生配信なんてニリエルちゃんやる〜♡」


 エバリアはぱちぱちと手を叩きながら、空中に浮かぶ映像の前ではしゃいでいた。
 画面の中ではニリエルが、タグ付きで視聴者に手を振り、コメント欄はお祭り状態。

 通常、魔界から天界SNS『ヘイロー』にアクセスすることはできないはずだが——


「ま、裏ルートって便利だよね♡」


 誰に言うでもなく、バエリアは笑う。
その口調には悪びれる様子は微塵もなく、ただ気まぐれに近道を使っただけといった軽さがあった。


 部屋は、いかにも魔界の派手好きが好みそうな内装。
黒地に紫の刺繍が入ったカーテン、宙に浮かぶ照明は宝石型で、淡く色を変えながら瞬いている。


 壁には金縁の鏡が何枚も飾られており、どこから見ても自分の姿が映るようになっている。シルクのソファは無意味に大きく、クッションの数もやたらと多い。

 その真ん中に座ったバエリアは、ピンクの爪先をひょいと伸ばし、軽やかに背伸びをした。


「じゃあコッチもそろそろ準備しないとね♡」


 満足げに小さく息を吐くと、映像をスッと手のひらで閉じる。その動作は、まるでこれから舞台に上がる女優が、照明の準備を確認するようだった。

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