やりすぎ悪魔とオーガホーンステーキ
旅立ちの朝は、意外なほど清々しかった。 タベルはアルネを連れ立って穏やかな陽の中、のんびりと街道を歩く。
ギルドで一騒ぎ起こしたその晩、ニリエルの「一番強い人を採用!」の一声に、アルネが全員を叩きのめしたのだ。 特にタベルに絡んだ戦士ことハッサンは、念入りにボコボコにされていた。
それはもう親の仇のごとく。同情の余地はない。
そして今朝。別れ際、ニリエルがやけに晴れやかな顔で言い放った。
「はいこれ、勇者マップ。テンプレだけど、テンプレってのはつまり成功例ってことだから!」
タベルが怪訝そうにそれを受け取り、アルネは露骨に「なんじゃこりゃ」顔。
見れば、"勇者が最初に訪れる村"とか"宿屋で重要な出会いがある予感?”とか、赤字でデカデカと書き込まれている。
「手作り?」
「それはどうでもいいでしょ? あなたはそれを辿るだけでいいから」
タベルが地図を畳んで腰の袋に突っ込む。使うかは未定。
そんなわけで、新メンバーとともに気楽なグルメ旅……もとい、魔王討伐の旅が始まった。
◇◇◇
「勇者が最初に訪れる村」として勇者マップにも載っている、第一の村ヴェルテ。
石畳の通りにはパン屋や雑貨屋、食べ物の屋台まで並んでいる。
広い草原で羊が鳴いている。鳩も鳴いている。ついでに、どこかの子どもが二人を指差して「ゆうしゃ?」と訊いてきた。
実にのどかだ。
「勇者ってそんなに観光資源なんだな」
「定期的に現れては魔王に挑んで、たいてい途中で消息を絶つんじゃないアル?」
物騒な冗談を言いながら、タベルとアルネは村の食堂を探していた。
目指すのは、当然「地元民が集まる店」。
観光客向けのオシャレなカフェなど、眼中にない。
「骨つきオーガホーンステーキって看板が出てるネ」
アルネが指差したのは、大通りから少し奥、どこか古めかしい木造の建物だった。
年季の入った木板に、手書きで色々と書いてある。
タベルはこの世界の字は読めないが、多分メニューだろうと一人納得する。
「骨つきか……この店構えもいい」
タベルが呟く。が、すぐに首をかしげた。
「ところで、オーガホーンって何だ?」
「……タベルは本当に異世界から来たアルね」
アルネは驚いたように目を丸くたが、すぐに得意げに胸を張る。
「オーガホーンは、角がすっごく立派な魔物ネ。でっかい体にクルンとしたツノを持ってて、もふもふの茶色い毛並みが特徴ネ。凶暴性はなくて、どっちかっていうと草を食べてるような穏やかなヤツネ」
「魔物、なのに穏やか?」
「そうアル。性格が大人しいから、田舎の方ではよく家畜として飼われてるネ。毛は防寒着になるし、乳も出すし、肉はうまい、家畜の代表ネ」
「なるほど……」
タベルは軽く顎に手を当てた。
「そういうの、この世界では“魔物”でも普通に活用されてるんだな」
「分類は魔物でも、ガラの悪いギルドの連中より世の中に貢献してるかもしれないネ」
「それは皮肉か?」
「どう思うネ?」
アルネはくすりと笑い、ドアを押して中へと入っていった。
◇◇◇
──村の西側、同時刻。
草花の揺れる草原を、極彩色が切り裂くように舞っていた。 サラリとしたボブカット。空気を弾くような光沢を帯びている。
胸元のカットが潔いほどに大胆な白いボディスーツ。
その上にネオンピンクとイエローの魔紋がきらめいていた。
エバリアは、陽光の下でモデルのようにポージングしながら、ぐるりと一回転。
「──っはぁ〜ん♡ この空! この光! この空気の粒子感! ……撮れ高、確定よね〜っ♡」
カメラはない。だが、彼女の視線の先には“世界”がある。 その“世界”に向けて、彼女はパチリとウィンクした。
『#魔界の使者エバリア登場 #勇者討伐 #この後すぐ!#チャンネルはそのまま♡』
タグを呪文のようにつらつらと唱える。
ギラギラのネイルが軽く弾かれた。
空が歪み、地面が裂ける。
ドゴォン!!
突如現れた巨大な黒い影が、荒い鼻息とともに大地を踏み鳴らす。
複雑に絡み合う縄のような筋肉、手前に湾曲した二本の鋭い角。
その牛のような巨体は燃えるように熱を帯びていた。
「召喚、完了〜♡ さあ行ってらっしゃい! 全力で駆け抜けてね♡」
魔物は鼻息荒く、猛スピードで村の方向へ駆け出した。 灼熱の黒い塊が、緑の草原を焼き払いながら加速していく。
「目指すは勇者タベル〜♡」
その時──
雷鳴が空に一閃。
白い羽根が風に舞う中、天からニリエルが降臨した。
「ちょっと、初回から飛ばすなって言ったでしょうが!!」
怒鳴り声と共に、今にも頭から湯気が出そうな勢いで、指を突きつける。
「最初はスライムとかそういうのでいいのよ!」
「えー、だってそれじゃ面白くないじゃん、こっちも数字稼ぎたいしー」
彼女はまったく悪びれる様子なく胸元に手を当て、紅い瞳でニリエルを見上げ──ちろりと舌を出す。
「#女神の逆鱗に触れてみた♡ #エバリア炎上中」
「ふざけてる場合じゃないわよ!!」
女神と悪魔の口論が始まった頃、村の方角からはすでに悲鳴が上がっていた。
地鳴り。魔物の雄叫び。逃げ惑う村人。
──そして、村の平和は、この日いったん終了となった。
◇◇◇
店内は木造の素朴な造りで、壁に掛けられた手描きのメニューと、天井から吊るされたランタンが温かな空気を醸し出していた。脂ののった肉の焼ける匂い。タベルの食欲は一気に高まる。
「いらっしゃい。うちはオーガホーンステーキ一択だが、それでいいかい?」
カウンター奥から顔を出したのは、丸太のような腕をした髭面の店主だった。
「一択なのになぜ聞くネ?」
「それが店の礼儀ってもんさ」
店主は意味ありげにニヤリと笑い、奥の鉄板へと視線を投げる。
そこには、T字の骨が中央に走る、分厚いステーキが火にかけられていた。
タベルは黙って頷き、空いている丸椅子に腰を下ろす。
その手が、自然と髪留めを探っていた──。
「さぁ、どうぞ」
店の男がカウンター越しに鉄製の皿ををそっと差し出す。
ジャーっと脂の跳ねる音。香ばしい香り。
鉄板中央に鎮座していたのは、T字の骨を境に両側で異なる質感を見せる、野性味あふれる塊肉だった。 板にじわじわと広がる肉の脂、わずかな煙とともに香りが立ち込める。
肉の焼ける音が、まるで一種の儀式のように耳を打つ。
皿の片隅には、うっすら肉汁を吸ったパンや野菜が添えられている。
目の前の料理から「今すぐ食べてくれ」と聞こえて来た気がした。
タベルは一度だけ、ゆっくりと息を吐いた。
目を伏せ、黒髪を手早く後ろで束ねる。
──戦闘態勢。
「いただきます」
フォークとナイフを手に、T字の骨の根元へと静かに刃を滑らせる。 その刃先は何の抵抗もなく、吸い込まれるように肉に沈んでいった。
「おおっ!」
――柔らかい。これだけでも、十分に驚きだ。
肉の繊維が、口に入れる前からそのやわらかさを伝えてくる。
ナイフを引くたび、断面から赤みを帯びた肉汁が、惜しげも無くあふれた。
ナイフでひと切れを口に運ぶ。
舌に触れた瞬間、じんわりと広がるのは、ナッツのようなコクと香り。
その奥から、ラム肉のような野性味がふわりと立ち上る。だがそれは、ただの“臭み”ではない。むしろ輪郭のはっきりした深みとして、味わいに奥行きをもたらしていた。
脂は甘く、しつこさがない。噛んだ瞬間にサッと溶ける。舌の上に残るのは、繊細で品のある余韻。 まるで上質なスープを飲み込んだような滑らかさと、満足感。
「これは、いい肉だ」
思わず漏れた独り言。
それも無理はない。味付けは至ってシンプル――ほんの少しの塩と、主張しすぎない香辛料。 しかしそれが、驚くほどの精度で肉本来の旨味を引き立てている。
肉の旨味が、舌の上で幾重にも層を成して現れては、すっと引いていく。
そして最後に、ほんの微かなスモーク香が鼻腔をくすぐる。
全てが計算されたように滑らかに、自然に、次の味へとつながっていった。
ゴクリ。
飲み込んだ後も、口の奥にじんわりと残る後味が心地よい。ただの余韻ではなく、体に染み込むような感覚があった。
「これが……オーガホーン……」
声に出してみて、少し笑った。まるで名酒を口にした後のような、静かな高揚感が胸の奥にある。
興奮しているのに、どこか落ち着く。矛盾した感情が、不思議と同居していた。
ふと、目線を落とす。
ステーキの隣には、カリッと焼き上げられたパン。
手に取ってちぎってみると、外側は香ばしく硬く、中は湯気が立つほどしっとりと柔らかかった。
ちぎったパンを鉄板に押し付け、肉汁をたっぷりと染み込ませる。
パンの小麦の香りと、脂の芳醇な香りが混ざり合って、まるで別の料理のように立ち上がった。
「これが旨いんだよな」
笑顔で口に運ぶと、パンの中に染み込んだ脂がジュワッと弾けた。
塩気、コク、香り、温かさ。全部が混ざり合って、口いっぱいに広がる。 肉を食べたあとでさえ、しっかりと存在感を放つ味。
「やっぱいい……」
笑みがこぼれた。肩の力が抜ける。 ただのパンなのに、これほどまでに幸福感を与えてくれるのか。いや、“ただの”なんて言葉はこのパンに失礼な気がする。
タベルはパンに向かい、すまなそうに頭を下げた。
そして、もう一度肉をカットする。
次のひと口が待っていると思うだけで、心がじわりと満ちていく。
この時間が、もっと続いてほしい。そう思った――
しかし、幸福な時間とは得てして長くは続かない。
店の外から、甲高い悲鳴が飛び込んでくる。 何かが割れるような音と、人々のざわめき。それは次第に、店内にも波のように広がっていった。
「何ネ?」
アルネが、フォークを持ったまま身を乗り出す。
「タベル! 何か様子が変ネ!」
「いや、普通に旨いが?」
「料理の話じゃないネ!」
その瞬間、バンっと店の扉が勢いよく開かれた。 駆け込んできた誰かが、息も絶え絶えに叫ぶ。
「ま、魔物が出たぞ!」
その言葉が引き金だった。
ざわついていた店内が、一気にパニック寸前に突入する。椅子が倒れ、料理がひっくり返る音。叫び声、足音、怒鳴り声――。
奥の鉄板の上で、まだ肉がじゅうじゅうと音を立てている。
「みんな! 落ち着いてくれ!」
髭面店主の叫びも虚しく、入り口に殺到した客は散り散りに走り出した。
店内に残ったのは、タベル、アルネ、店主の三人。
「タベル、どうするネ!? 戦うか!?」
アルネは金の目を見開き、必死の形相で問いかける。
彼は静かに食器を置き、ゆらりと立ち上がった。
「食事を邪魔する奴はゆるさねぇ……」
落ち着き払った声とは裏腹に、彼の目は怒りに燃えていた。
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