武闘派料理人と炎竜餃子
かしこまった場は苦手だった。
「異世界より召喚されし、勇者タベルよ。汝に託すは魔王討伐の大義──」
年老いた国王の朗々とした声が広間に響き渡る。
タベルは小さく肩をすくめるだけだった。
当初、タベルはフラフラと王宮に訪れた時点で門兵に捕えられていた。
その直後──天界のニリエルが青ざめながら信託を送り直した事はいうまでもない。
慌てふためいた神官たちにより誤解は解かれ、今に至るというわけだ。
「──民の平和を、ここに願う」
「……ま、やれるだけはやってみるさ」
タベルの軽口にざわめきが走ることもなく、形式的な儀は淡々と進んだ。脇に控えた宰相が、用意された革袋を差し出す。
「これは準備金。勇者殿の活動に役立てられよ」
タベルは受け取った袋のずっしりした重みを手のひらで確かめる。
「これだけありゃ、しばらく食費には困らなそうだな」
にやりと口端を上げた。
「必要あらば、王都の冒険者ギルドを頼られよ」 宰相は手短に告げた。
「ああ、分かった」
タベルは袋を片手に、くるりと踵を返す。 背筋は伸びていたが、どこか肩の力は抜けている。
──こうして勇者タベルの異世界での最初の使命は与えられた。
だが、その足取りはあくまで気楽なものだった。 何はともあれまずは飯。
それが彼の信条だった。
◇◇◇
外の鋭い日差しとは対照的な、薄暗い店内。
昼下がりのギルドは、割と雑だった。
立て付けの悪いスイングドアがキィキィと音を鳴らし、埃っぽい風が時折、通り抜ける。
誰もそれを気にしない。直すのが面倒だからだ。
ざらついた木のテーブルにはガラの悪い戦士や傭兵たちが集まり、安酒を流し込んでは低い声で冗談を飛ばし合っていた。笑い声と罵声の境目は曖昧だ。
賭け事に負けた男が悪態をつくと、隣の仲間がそれを肴にジョッキを傾ける。
店の奥で何かの楽器を演奏する老人。
その音だけが平和に響いていた。
壁の掲示板には魔物討伐やら護衛依頼やらが所狭しと貼られているが── 今それを真剣に見ている者は少ない。狩りと戦いの合間、腹を満たし、暇をつぶす場所。それがここの本分だった。
ギルドに併設された食堂の厨房からは肉と香辛料の匂いが流れ出し、ウエイトレスたちが下品な声にからかわれながら皿を運んでいる。客の大半は彼女らの腰つきの方に関心がありそうだった。
キィー……
耳障りな音を鳴らし、スイングドアが重々しく開いた。
風の音では無い。誰かが入ってきたのだ。
喧騒が一拍だけ止まる。 ジョッキを口に運ぶ手が宙に浮き、誰ともなく視線が入り口に向いた。
「……じゃまするぜ」
風に吹かれる長髪の男が一人。タベルだ。
勇者と書かれた黒Tシャツ、無駄に長い足取り、口元には爪楊枝が転がる。
「……」
店内に広がる微かな緊張感。 派手でも威圧的でもないのに、不思議と視線がそちらに引き寄せられる。まるで場末の雀荘に「プロ」が入ってきたような。そんな感じだった。
彼は酒場の静かなざわめきを肩で受け流すように進む。
カウンターに座る耳の長い受付嬢が慌てて立ち上がり、「登録は──」と口を開いたが、まっすぐ食堂エリアへと向かう。
その足取りに一切の迷いは見受けられなかった。
古びた木製の椅子を引き、ドサリと腰を下ろすと、通りすがったウエイトレスにすぐさま声をかける。
「オススメをくれ」
その物言いに威圧感はない。 けれど、軽すぎるわけでもなかった。 「この男、ただ者じゃないな」と察するには十分すぎる貫禄。
酒場のざわめきは戻りつつあったが── ちらちらと彼を盗み見る目は、まだいくつも残っている。タベルはそんなものにも構わず、のんびりと卓上の水差しを手に取り、乾いた喉を潤す。
ゴトリ。
ウエイトレスが湯気の立つ皿を卓に置いた頃、わざとらしく椅子が鳴った。
さっきから視線を投げていた大柄の戦士が立ち上がったのだ。
この店で名前を知らない者はいない──そんな面構え。
いかつい顔に無精髭。頬には「男の勲章」と言いたげな刀傷がザックリと入っていた。
周りの連中も「またか」という顔でジョッキを置き始める。タベルが視線をゆっくりと持ち上げると、目の前の男が唇の端を吊り上げていた。
「……見ねぇ顔だな」
明らかに威圧を目的とした低い声。
男はゆったりとタベルの卓に手を置き、上体を僅かに乗り出す。
そのまま殴りかかってきてもおかしくない風貌。
鎖帷子の隙間から覗く腕は、樹木を思わせるほど太く、拳は岩のようだった。
タベルは椅子の背にもたれたまま、その目を受け止めた。
「なんだ? ここは一見さんお断りの高級店だったか?」
声は静かだが、芯がある。
「そんな立派なもんじゃねぇよ。ただ──味がイマイチだから忠告してやろうと思ってな」
「そうか……だが、それは俺が判断する」
「こんな料理より、これの方が旨いぜ?」
男は床に落ちていた豆の皮を拾い上げ、指でつまんで見せた。
「お前のバカ舌じゃそう感じるのかもな」
緊張感とともに微かに店内がざわつく。
近くの卓では、カードを切っていた手が止まり、酒を飲んでいた者が杯を口元で固めた。
男の笑みが少し広がる。
「口が達者だな。だが、ここじゃ口より『コレ』が通りやすいぜ?」
言うが早いか、ごつい指が腰にぶら下げた剣へ伸びかけた。
タベルの目が細まる。
椅子をゆっくりと引き、無駄なく立ち上がった。
空気が一段、重たく沈む。
鳴り止む老人の演奏。
二人の間に静かな火花が散る。
──まさに一触触発、その時だった。
「ここでの喧嘩は、厳禁アル」
凛とした声が、隙間風のように二人に割り込む。
下に顔を向けると、卓の脇に小さな影が立っていた。
どう見てもこの場に相応しくない。というより酒場に居てはアウトな存在。
二人よりはるかに小さい少女。
耳のトンガリを見るに、エルフというやつなのだろうか。
しかし、油断なく睨みつける金の瞳と、細身で引き締まった体つき、その佇まいには“無駄”という概念が存在しない。
それは胸も含めて、だ。
金髪は頭の高い位置で両サイドにまとめられ、纏うのは漆黒のチャイナドレス。
深めのスリットから伸びた筋肉質の脚は、力強く地面を捉えていた。
「やるなら表出ろネ」
声は平坦だが、揺るがぬ力が宿っている。
手には小さな体にそぐわない巨大な青龍刀。
その鋭い切先のような剣幕に、場の空気が僅かに冷えた。
「アルネだ」と、ざわつきに混じる誰かの声。
戦士は肩を揺らし、少女へ向き直った。
「脅したって、どうせ料理以外にその刃は振るわないだろ? 料理長さんよ?」
戦士はいやらしい笑みを溢す。
アルネは刀を軽く立て直すと、スリットから無駄なく左脚を滑らせ、カンフーのような構えを取った。
刃は振らぬが、素手ならやる──そう言わんばかりの勢い。
「オマエなんか、これがなくても十分ネ!」
足先が音を立て、空を切る。 戦士は反射的に身を仰け反らせた。
「おー怖い怖い……っと。誰がアルネとマジで張り合うかよ。冗談だよ、冗談」
気の抜けた笑い声と共に、戦士は手を挙げてた。
「本気になったらいつでも受けて立つネ」
「そっちよりも料理の腕磨いたらどうだ?」
ヘラヘラと笑いながら男が退散する。
周囲の冒険者たちも「ひとまず収まった」とばかりに元の会話へ戻りはじめた。
「……減らず口は嫌いアル」
アルネは青龍刀を担ぎ直し、踵を返そうとした──が、その前にタベルが口を開いた。
「待て」
アルネの足が止まる。 鋭く光る金の瞳が、再びタベルへ向けられた。
「何ネ?」
「……これはなんて料理だ?」
「炎竜餃子アル。ワタシの自信作ネ」
「竜って……あれか。ドラゴンってやつか?」
「当たり前ネ。炎竜の挽き肉と溶岩茸を包んだ餃子アル。ワタシの故郷の料理ネ」
アルネはそう言うと、刀の柄を軽く叩いた。
カン、と乾いた音が卓の上で響く。
「そうか……」
タベルはポケットを弄り、髪紐を手に取った。
手早く艶やかな黒髪を後ろで束ねる。 その仕草はまるで剣士が戦場に立つ前のようだった。
皿に視線を落とす。
赤い生地にくるっと包まれた小籠包のようなものが五つ。
竜の肉、溶岩茸。 聞き慣れない素材があって当然。何せここは異世界だ。
「むしろ──面白い」
静かに呟き、指先で餃子を一つ摘み上げた。
味の想像は全くつかない。
しかし、その重量感に思わず笑みがこぼれる。
中身がぎっしり詰まっている証拠だ。
「いただくぜ」
ひと口。
噛んだ瞬間、パンと張った皮の内側から、灼けた大地のような熱気を孕んだ肉汁がブワッと溢れ出す。
「熱っ!」
その熱さはまるで炎だ。 不用意に飲み込めば喉を焼きかねない。だが、それを恐れずゆっくりと舌先で受け止めると……その熱の内側に隠れていた肉の旨味が、静かにほどけ出した。
噛みしめる。
──肉だ。しかし、これはただの肉ではない。
粗挽きされた竜の肉。こんな肉は初めてだ。
繊維は荒々しく、筋張った野生そのままの弾力感。
そして鉄を思わせる濃厚なミネラル感と、舌を包み込むような深い脂の甘み── 牛や豚にはない、“生き物としての底力”が凝縮されていた。
そこへ絡む茸類特有のシャキッとした歯応え。これが溶岩茸なのだろう。 噛みしめた瞬間、舞茸のような香りと旨みがじゅわりと滲み出る。
二つが一体となることで、ただ重いだけの料理では終わらない。奥行きと陰影を与え、一つにまとめ上げている。
さらに、皮そのものにも工夫があった。 ただ薄いだけの皮ではない。 麦粉に混ざるのは、赤褐色の粉──おそらく何かのスパイスだろう。
赤みが炎を連想させる。噛み込むとほのかな刺激と香りが広がり、具材の旨味を一層引き立てていた。
「……面白ぇ」
これは異世界の料理だ。けれど、舌の奥底に訴えかけてくる何かは──人の根源的な「美味」そのものだった。この瞬間だけは、異世界であろうとなんであろうと関係ない。 美味いものを食べるとき、人は皆、同じだ。
もう一つ、そっと餃子を摘み上げた。
その手付きはもはや 探求者であり、職人であり、ただの“食いしん坊”そのもの。
──が。二つ目を噛み締めたとき、タベルの眉がわずかに動いた。
それはほんの僅かな違和感。
「……悪くねぇ。いや、充分、美味い……」
目の前の料理を貶すほどのものではない。だが、確かにあった。
旨味はある。肉も茸も絶妙だ。だが、まるで最後の一筆が足りず、名画が“未完成”のまま飾られているかのような──そんな焦れったさ。
タベルは指先に微かな逡巡を残し、その手を止めた。
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