第10話 ハンカチとエビと私

 私の感覚ではお茶会というよりかは豪華なパーティ。

 せいぜい五、六人でのんびり紅茶を飲む程度だと思っていた私が馬鹿みたいだ。これならエビとジュリエが会わなくても帰れるかもしれない。

 男女数十人はいるであろう会場で、そんな期待が私の心を少し軽くした。


 さらに一点へと集中している視線。さっきまでステージで演奏していたであろう者たちは、その真ん中に空間を作るべく端に身を寄せ合っていた。

 壇上の中央には王子が、その両横には従者が一名ずつ並んでいる。


「フェリエ王子だわ。何ごとかしら?」

「それにしても、惚れ惚れしちゃう……」


 令嬢たちは格好いい王子様に夢中である。


「誰も私たちには気がついていないみたい」


 そう安心するとさらに心に余裕ができたのか、私はふと王子様へと視線を移した。

 王子の赤みのある金髪は柔らかなウェーブを描き、陽光を受けて淡く輝いていた。その琥珀色の瞳はまっすぐに前を見据え、揺るぎない意志を宿している。

 健康的な焼けた肌と金刺繍が施されたロングジャケットが相まって、まさに理想の王子そのものだ。


「ああいうキャラが流行ってるのかしら」


 友達が何度も話していた王子様、一回だけ画像を見せられたことはあるが、それは主人公との結婚式での正装姿だった。この格好の王子様は見たことがない。

 ただ彼はちょっと周囲に厳しそうな感じにも見てとれる。まあ、話してみればいい人だったということもありそうね。


「お飲み物はいかがなさいますか?」


 私たちが何も手にしていないことを気づいた男性の給仕が私たちに声をかけた。

 白いシャツに黒いベスト、まさに貴族の給仕といった感じ。


「私はこれを」


 給仕の左手のお盆の上、そこにあるオレンジ色の飲み物を手に取ったエビ。

 どんな飲み物があるのかもわからない私は、残っている透明な飲み物を手に取る。


「すみません、私もこれで……ありがとうね」


 学生時代に飲食店で似たようなバイトをしていた私は、その大変さを身に染みて分かっていた。貴族相手ではもっと大変だろうなと思う。

 私は彼の労をねぎらうべく、満面の笑みで言葉を返した。


「あっ、あっ、はい……いえ、し、仕事ですので」


 私の態度に顔を赤らめ動揺した彼だったが、すぐに姿勢を正すと静かにそう言って足早に去っていく。


「お姉さま……」

「私、なんか変なことしたかしら」


 グラスを少し持ち上げ、光の反射を眺める。エビの視線も気になるが、それ以上に給仕に何か悪いことをしたのではないかと気になった。


「素晴らしいです。お姉さま」

「えっ、何のこと?」


 エビの言葉に顔を上げる私。その時、ふと向こう側に給仕が何人か並んでいるのが見えた。

 さっきの男性が私のほうを見ながら、何か同僚に話しているのが分かる。やっぱり何か変なことをしてしまったのかしら……そんな不安で彼らから視線を逸らした私。

 壇上の王子様のほうはまだ時間がかかるようで、従者とこの屋敷の使用人とで何やら話をしている。


「やっぱり、あの人に何か悪いことをしたのかしら」


 持っていたグラスを少し下げると、何気なくそんな言葉が漏れだした。本当、こんなことでこの世界でやっていけるのかしら。そんな不安が私の心に一気に押し寄せてきた。


「そ、そんなことはありません!」


 私の言葉に思わず声を上げてしまったエビ。彼女の声は周りの視線を一気に集め、一瞬壇上の従者もこちらへと視線を向ける。

 だが、恥ずかしそうにエビがドレスのスカート、その両端をちょんと摘むと皆にお辞儀をして見せた。


「し、失礼しました」


 その言葉に何事もなかったかのように周囲は視線を再び王子様へと戻す。

 何か揉め事かと思ったのだろう。違ったので王子様へと再び皆が集中したみたいだ。


「大丈夫です。お姉さま……私、ちょっと感動いたしました」

「……感動?」

「いえ、その……」


 私の質問に顔を少し赤らめて、エビは左手で何度もスカートを握り直している。なんか恥ずかしがっているような、我慢しているような感じ。

 その瞬間、会場の雰囲気が一変した。長い待機にしびれを切らし、雑談していた人々も一斉に壇上に注目する。


「静かに! これから重要な話をしますので、お静かに願います!」


 壇上の従者が低いがよく通る声でそう叫ぶと、黄色い歓声を上げていた令嬢たちも一気に押し黙った。

 壇上の使用人たちが同じ言葉を何度か繰り返す。やがて従者が何やら布を使用人から受け取った。


「お姉さま、あれ……私のハンカチです」

「えっ!?」


 その言葉に驚き、思わずドリンクをこぼしそうになる私。

 危ない、せっかく着替えたドレスが汚れるところだった。周囲の令嬢のドレスも高そうだし、こぼしたら大変なことになるわよね。

 そんなことを心配して近くのテーブル、その空いている箇所へとグラスを置く。

 すると近くの令嬢のささやきが聞こえた。


「あれって何なのかしら?」

「きっと王子様のサプライズプレゼントよ」


 一国の王子がわざわざそんなことをするはずがない。周りが十代の若い令嬢だし、たぶん箱入りで育てられているのだ。そんなプレゼントとかって考えになるのも無理もないかもしれない。

 そんなことを考えていると、誰かが私のスカートを引っ張った。


「お姉さま……」


 ふと見るとエビがその碧い瞳で私を見つめ、不安げに眉をひそめている。

 うーん、なんて可愛いの。

 姉を頼るヒロインの可愛さが私の心をそんな言葉で埋め尽くした。


 あっ、いけない。あの捕まえた男が、王子様の大事なものを盗んだ犯人だということを彼女は知らなかった。不安になるのも当たり前よね。

 私はそう思い、エビの耳元で優しくささやいた。


「大丈夫よ。心配ないわ」

「で、でも」

「大丈夫、大丈夫よ」


 そう言い聞かせて彼女の持っているグラスを受け取る。そして私のグラスの横へとそっと置いた。さらに彼女を強く抱きしめると、もう一度彼女に向かって言った。


「大丈夫、心配ないからねっ」

「はい」


 私の態度に落ち着いたようすのエビ。

 しかし、チャンスよ。これはシンデレラと同じストーリー、きっとハンカチの持ち主を探して……よし、これでシナリオ通りに戻せるわ。

 私は意を決し、それを実行しようと固く心に誓う。


「フェリエ王子がこのハンカチの持ち主を探しております」


 従者がハンカチを高く掲げ、全体がよく見えるよう広げて見せた。一気に視線がハンカチに集中する。


「何だあれ?」


 隣の男性の声に、腕の中のエビがビクッと震える。そして私を恐る恐る見上げるとこう言った。


「お姉さま、まさか……」

「そのまさか、かもよ」


 私が優しく微笑み返すと、エビは今にも泣きそうな顔へと変わる。

 なに? なんなの?

 意外な反応に戸惑う私。


「そうなんですね」


 彼女は私の腕から離れると、ハンカチを取り出し涙を拭った。


「私たちが捕まえた男の人が、身分の高いお方で罰せられるの……ですね」

「えっ!? ち、違うわ」

「いいえ、分かります。私はお姉さまが捕まるのは見ていられません。私が名乗り出ます」


 エビはうって変わって鋭い眼光になり、視線を壇上へ向けると「よし!」と小さな声を発する。

 そしてゆっくりと力強く、ハンカチが掲げられている方へと歩いて行った。


「あの子勘違いしているわ」


 それを追いかける私。しかし彼女の足取りは速い。


「エ、エビ」

「いいのです。お姉さま、私が……あの時、確認しなかった私が悪いのです」

「違うの!」


 私の叫びに後ろを振り向くと笑みを返す彼女。その表情は凛々しく、これから戦場に行く戦士のようであった。

 もう、そうじゃないのよ。大声でそう叫び、呼び止めたい私。

 だが、まっすぐに壇上に向かうエビを、会場中の人間が見つめていた。私がここで呼び止めて事情を説明したら。


「なぜ、それを知っていると言われそうよね」


 そんな不安が私の足をその場に留めた。

 まだ従者の口からはハンカチを探している理由は言っていない。私がそれを話してしまうと、混乱を招いてしまう。

 こういう時、小説の主人公とかなら、何か良い言い回しができるのだろう。

 私がそんなことを考えている間に、従者の前まで歩んだエビはドレスの端を摘むと一礼して見せた。


「私のハンカチでございます」


 そう答えると優雅に片膝をつき、右手を胸に当て深々と頭を垂れる。

 華麗な一連の動作に王子様の口元が「ほう」と感心しているのが見えた。

 すると従者が彼女を見据え、こう言った。


「このハンカチは本日、フェリエ王子が礼拝堂に行った際に不届き者を捕まえたご令嬢が落としたものである。間違いないか?」

「えっ!?」


 完全に何か処罰をされると思っていたエビは、大きく眼を開け思わず従者の顔を見る。

 その表情が少し和らいだ。


(そうよ、彼に褒められて……王子様と結ばれるはず)


 心臓の音が周囲に聞こえないか心配になるくらい脈打っていた。私はそれに耐えられず左手でそっと胸を押さえる。

 驚いた彼女をじっと見つめる王子様と従者。その顔を見て、我に返ったエビは再び頭を垂れると静かな声で断言した。


「失礼しました。天に誓って間違いありません、私のハンカチです」


 その凛とした彼女の声は静まり返った会場に響き渡る。

 皆の視線が壇上に集まる中、王子は小さく頷くと彼女のほうへゆっくりと向かって行った。

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