第11話 王子様と私
「殿下!」
従者の後ろからの呼びかけに、王子は軽く左手をあげる。しかし、振り向くことはなく壇上を歩き続けた。
下まで一メートル程度の段差があったが、左手を床につき、ふわりと軽やかに飛び降りてみせる。
「キャーーーー」
その姿に会場の若い令嬢が黄色い歓声をあげた。だが、それを気にすることなく、王子はエビへと近づくと前にかがんだ。
何が起きるのか。会場は先ほどまでとは違う、静けさと緊張の中にいた。
「顔を見せてくれる?」
王子の柔らかい言葉に、エビは一瞬戸惑いつつも徐々に頭を上げていく。
その途中で彼女の耳元に顔を近づけると、フェリエ王子は何やら話し出した。
その話を聞いたエビはコクッと小さく頷くと、何やら意を決した顔で立ち上がる。その行動に驚きの表情を浮かべる王子。
「残念ながら、その不届き者を捕まえたのは私ではございません」
その言葉に従者二人は「なに!?」と声を上げ、彼女へ向かおうとする。だが、それをまたもや左手で制した王子は、エビの瞳を見つめると言った。
「じゃ、誰が捕まえたのかわかるかい?」
「それは」
エビはそこまで言うと、後ろを振り向き私を指差した。その行動に驚き、すぐに隠れようとした私。
だが、周囲の人々が道を開けるように一歩下がった。
「い、いいえ。不届き者を捕まえたのは彼女で……」
私が言っていることは間違ってはいない。靴が飛んでいって、男の頭に当たって転んだのは事実。だが、それは偶然で最終的に取り押さえたのはエビだ。
それに王子とエビが婚約してくれないとストーリーも変わってしまう、それでは私が困る。
「私、エビ・キャンベルのお姉さま、エリナゼッタ・キャンベルが、不届き者を捕らえました。間違いありません」
エビの言葉に王子は私のほうを見つめる。
「彼女は君だと言っているけど」
そう彼の瞳が私を見据える中で、エビが再び片膝をつくと頭を垂れた。
「お姉さまは決して自分からは不届き者を捕まえたとは言いません。それはお姉さまが……」
そこまで言うとエビは押し黙り、私のほうへと振り返る。
二人の視線が集中する中、それにつられるように周囲の者が私を見る。
どうしよう……何か言わないと。私がそう思っていると、王子の一言が周囲の視線を再びエビに向けさせた。
「どうした? 聞こうじゃないか」
彼のその質問にエビは答える。
「はい。お姉さまは何をされても完璧で、聖女のように優しいお方です。何をなさっても奥ゆかしく、手柄は求められません。だから本日も名乗られないのです」
ここで立ち上がると、さらに身振り手振りを交え彼女は語り出す。
「ああ、心優しいお姉さま。学園では平民の生徒を庇い、侍女を助け、先ほども給仕にねぎらいの言葉をおかけになった、その姿はまさに聖女のようで――さらに不届き者を私よりも先に追いかけ、毅然と立ち向かったお姉さま。お姉さまは――」
さらに彼女が両手を前に組み、天に祈るようにそう語り出すと会場中が私のほうへと注目した。
ど、どうしよう……エビ、彼女の手柄だと言わないと。
私は動揺と恥ずかしさから、どうにかなりそうな自分を抑え前に進む。
そして、エビの背後まで近寄ると、その演説を遮り私は口を開いた。
「不届き者を捕まえたのは、彼女で……」
そこで王子が前に出て、私の口を指で塞いだ。
彼は琥珀色の瞳で私を見据えると、顔を私に近づけてくる。その仕草に胸の鼓動が早まる。
その行動に思わず後ずさりしそうになったが、彼の右手が私の腕をぐっとつかんだ。
「君にも理由があると思うが、ここは君が捕まえたことでいいんじゃないかな」
心臓のドキドキが酷くて何を言っているか分からなかったが、そんなことをささやかれたように思う。私はその言葉に横に目をやった。するとエビは声が聞こえていたのか、満足そうにこちらを見つめている。
「はい」
私が小さく頷くと彼は微笑みを浮かべ、左手を取ると高く掲げる。
泥だらけのエビに求婚する王子だって聞いていたから、どんな王子かと思ったけど……そうよね、一国の王子だし馬鹿なわけがないわよね。
私はそんなことを考えていた自分が恥ずかしくなり、顔を左手で覆って立ち尽くしていた。
「ほら、みんなに手を振って」
恥ずかしさで火照る顔と心臓の鼓動。それらでどんな表情をしているのかも分からず、私は下を向いたまま左手を離し、小さく振る。
「本当に奥ゆかしいんだね」
彼は耳元で柔らかく言葉を発すると、そのまま私の左手にはめていた手袋を外した。
そしてその場に跪き……手の甲にキスをした。
「えっ、えええええ!!」
あれっ?
その瞬間、天井を見上げた私と、必死な顔で私を呼ぶエビ。そのまま私は王子様の腕の中に抱きかかえられて……。
そこで私の意識は途切れたのだった。
☆
「お姉さま。お姉さま」
どのくらい経っただろうか。私は遠くに聞こえるエビの声で目を覚ます。
大きなベッド……私はその中央に横たわっていた。
「お姉さま、気づかれたんですね」
エビの声が今度ははっきり近くで聞こえた。周囲には高級そうな壺やら絵画やらが並んでいる。
「ここはどこ?」
「えっ!? あっ、ステリー伯爵家の別邸です。お姉さま」
その言葉にさっきまでの出来事を思いだす。そうだ、エビが「捕まえたのは私だ」と言って王子様にキ、キスをされて……。
私は同時に左手の甲を見て、顔が熱くなるのを感じる。
「どうして、フェリエ王子はあんなことを」
「お姉さま、お、王子様と……素敵です」
そう言ってそのまま私の首に抱き着くエビ。私が目を覚ましたことと、王子様と会えたことで彼女は嬉しいのだろう。自分の顔を私の顔にすり寄せ、とても嬉しそうにはしゃいでいた。
「ねえ、エビ。私、どうしてベッドで寝ているのかしら?」
エビは私の言葉に、私の首から手を離すと椅子に座り直した。
「お姉さま。王子様が手の甲にキスされたことまでは覚えていらっしゃいますか?」
「うん……恥ずかしいけど覚えているわ」
「その後、気絶したお姉さまは王子様に抱えられ、ここに運ばれたのです」
「えっ、フェリエ王子が!?」
「そうです」
一国の王子に抱きかかえられ、ベッドに運んでもらったってこと!
私はその言葉に嘘ではないかと思ったが、エビのまっすぐ真剣な眼差しに嘘はないと確信した。
「お姉さま」
「はい!?」
急に私の右手をエビの両手で包まれたので驚いてしまう。
「王子様と……その……婚約とか」
「こ、婚約!?」
寝ている間にそんな話になっていたの!?
私は驚きのあまり大声を上げてしまう。それに呼応するように、扉が開くと数人の伯爵家の使用人が入ってきた。
「何かありましたか?」
「な、なんでもないわ」
一人の執事に私が返事をすると、その後ろからアメリアが入ってきた。
「お、お嬢様……ご無事で何よりです」
ベッドのすぐ横まで駆け寄り、うっすら涙を流しながら私を見つめるアメリア。
彼女はそのままお辞儀をすると、伯爵家の使用人たちに声をかけた。
「お嬢様は大丈夫です。ステリー伯爵にもご迷惑とご心配をおかけしました。後日、改めて侯爵様からご挨拶に上がるとのことです」
「わかりました。そのようにお伝えします」
本来なら私が言わなきゃいけないことなのだろうけど、アメリアがいてくれて助かったわ。
私はそっと胸を撫でおろす。
「お姉さまと王子様が……」
エビは相変わらず、ぶつぶつと呟いてる……あっ、そうだ。
「ねえ、アメリア。エビから聞いたんだけど……」
「なんでしょう、お嬢様」
「その……私、王子様と婚約したの?」
「えっ!? いえ、していませんよ。あっ、『彼女をよろしく頼む』とは言われましたけど」
「あっ、そうね。エビが勘違いしてるんだわ。ごめんね」
「いえ、大丈夫です。もうすぐお医者様がお見えになるそうなので、それまでここでお休みになって下さい」
「い、医者……そんな重傷なの?」
「いえ、念のためです。王子様の側近の方が手配してくださいまして」
「そうなのね。じゃ、ここで待っているわ」
もう、王子様と婚約なんて嘘じゃない。エビが何か勘違いしたのね。
私はそのことに安心したのか、そのままぐっすりと寝てしまったのだった。
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