思い出は自販機から

クライングフリーマン

ウチには、自販機が2台あった。

 ウチには、自販機が2台あった。

 K社製とC社製だった。

 母は「紅茶派」で、C社の「紅茶〇伝」よりも、K社の「午〇の紅茶」を好んだ。

 ウチは、実質的に店舗付き住宅だった。

 ひい爺さんが引っ越して来た時は、ただの借家(借地借家)だったが、ひい爺さんがキッカケを作り、爺さんが始めたのが八百屋だった。

 父と母が、半世紀近くの多くの時間を使い、賄った食料品店だった。

 父は、後年で言うトレンディに敏感で、自販機設置もその一環だった。

 C社の自販機が一番長く、確か三代目だったと思う。

 最初はレンタルだったのが、「買い取り」に変更になった。

 ところが、自治体の条例で、「道の幅を超えた設置は道路交通法違反だから対処するように」という、「お触れ」が出た。

 そこで、自販機を設置させているメーカー各社は下請け会社に命じて奥行きの短いモノに順次変更した。

 父は怒った。

 雨戸の前に設置していた自販機を返却して新たなレンタル契約で設置するか、何とか工夫して道路からはみ出ないようにするかしかなかった。

 父は後者の方を選んだ。

 何と、雨戸を自力でカットしたのだ。

 後から設置したK社の自販機は、新基準の奥行きで問題なかったのだが、C社の自販機は、「何を今更」案件だった。

 外からは分からなかった。

 それが、悲喜劇だった。

 父が亡くなり、借地借家だった当家は、「貸主」さんに返却することになった。

 外側になるK社の方を、K社に引き取って貰ったのだが、鉢植えの台にしていた板を、業者さんに無理を言って、廃棄物として処理して貰った。

 翌月。今度はC社の自販機を引き取って貰う直前になって、大変な事実が発覚した。

 てっきり内側から閉じてあると思った「雨縁(あまえん)の空間は、自販機撤去後、何も無い空間になってします。

 しまった。

 あの板は、処分してはいけない板だった。

 父がカッティングした板などを「瓦礫処分」しないで「再利用」していたのだ、「鉢植えの台」として。

 幸い、父が一時的に今の扉として使っていたドアがあったので、内側から固定した。

 そして、撤去後の作業として、外から打ち付ける板をホームセンターで購入し、サイズを合せて切っておいた。

 C社の自販機は、買い取りであっても、きちんと回収してくれた。代金の一部は、売上金の一部を充てた。

 業者さんが掃除をして帰った後、すぐに「穴埋め作業」をした。

 ほんの数分で作業は済んだ。

 内側で、しっかり固定したから、台風が来ても平気だ。

 応援に来た妹が「お前には無理だ」と私が言ったから、むくれていたが、かつて「大道具」でメシ食ってたから、スムーズに作業が出来たのだ。

 お昼休み頃で、誰も通らない時間帯だった。

 作業後の状態を見ても、妹は理解出来なかった。

「プロの仕事」だから。

 何年後だったろうか。貸主さんは、「更地」にした。

 実は、隣家は「借地借家」ではなく、「借地」だった。

 隣家先代は、家だけ借家主(当時は借家主借地主が別だった)から購入して新築の家を建てたのだ。

 先代が亡くなり、借地が返却され、当家と併せて「更地」になった。

 再利用の計画が無いのか、今は「更地」に地面が見え、近所の家の壁が丸出しになっている。

 もう歴史は終っているのだ。

 自販機の下を覗き込む子供がいたのを思い出す。

 自販機と共に、幻になった。

 ―完―

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思い出は自販機から クライングフリーマン @dansan01

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