第二章 第六話「友情のその先」
あと二十分、あと十分、あと五分。時間が過ぎたら雨が降る。
雨雲を感知して、いつ雨が降るかの情報を正確に伝えてくれるサイトを見ながら、スピカは廃駅の待合所で誰を待つのでもなくただ雨が降ってくれるのをじっと待っていた。
ぽつ、ぽつ。
ポツポツポツポツ。
「わ、本当に…降ってきた」
これはすごい、と現代の技術に心の中で拍手をした。
次第に勢いを増していく。
雨は好きだ。ポツポツと屋根や草花を叩く音。排水溝に雨水が流れ溢れていく音。少し湿っていて寂しげな香り。傘に打ちつけて跳ね返るような、飛び跳ねるように楽しげな…。
「傘…?」
こんな廃駅に誰が来たというのか。振り返って見てみたいが目が合うと嫌なので、あえて気づいていないような顔をする。その足音は次第に近づいてきて、スピカの目の前で止まった。
「もしかして、望月さん?」
名前を呼ばれて初めて顔を上げた。
そこには透明な雨傘をさした一人の青年が立っている。
黒髪がほんの少し湿って毛先がくっついている。滴る水が彼の頬に流れ彷徨う。なぜだろう。潤んだ瞳から彼が言うはずのない言葉が次々と浮かんでくる。わたしは別に悪いことをしたわけではないのに、記憶から掬い上げられた後ろめたさが、脳裏を右往左往に泳ぎ回る。
ううん、悪いこと、したじゃない。困らせて連絡もしないで、最低だ。早く謝らないと。
「ごめんなさい」
「えっいやええっなんで謝るの?君…やっぱり望月さんなんだね?」
スピカは小さくコクリと頷く。
スピカの言葉に青年は動揺しながらも、手早く傘を畳んで待合所に入る。
「たくさん迷惑かけちゃったから…あのときは急に出ていっちゃって…連絡もあれからしてなくて…だから…」
「いいって誰が悪いとかないよ、僕の方こそ望月さんの気持ちをちゃんと考えられてなかったよね、ごめんね」
「そんなこと…ない。けどありがとう。天野くん」
ちゃんと話せてよかった。
この人が優しい人でよかった。
楽しかったよ。
嬉しかったよ。
こんなわたしと遊んでくれてありがとう。
また遊びたい。次はいつ遊ぼうか。
そう素直に言えたらいいのに、先のことを考えるといつも関係を続けるかどうかばかり考えてしまう。
しかしながらどうして彼はここに来たのだろう。こんな辺鄙な廃駅に何があって来たのだろう。そういわれるとわたしも似たような立場だから他人のことは言えないのだけど…。
そう考えていると、朔の方から尋ねてきた。
「望月さんはどうしてここに?」
「ええと、考えごとをしてて…」
「そっかぁ、ここ、意外と穴場だもんな。いやまさか望月さんに会えると思わなかった!…これも誠司のおかげかな」
「友達と来てたの?」
「ううん、僕の方から会いに来たんだ」
スピカは周囲を横目で見回す。だが、周りを見ても誰もいない。
「…もう会ったの?」
「うん、さっきお花を手向けてきた」
「あ…ごめん気付けなくて」
「謝ることないよ、まさか女の子も来てくれた〜と知ったら誠司も飛び上がって喜んでるだろうし」
「ほんと?それならよかった」
彼の冗談がなんだか優しくて、ほんの少し笑顔がこぼれた。
朔が何か思い出すように上を見上げる。
「僕が六歳の夏休み、誠司とこの辺で鬼ごっこするのが日課でさ。その日はじゃんけんであいつが鬼で僕が追われる側になった。別に何も特別なものなんてない平凡な日だった」
「あいつが追いかけてきたときにちょうど踏切が鳴ってさ、僕はギリ抜けれて。猶予ができてラッキー!とか思ってたんだ。なのにあいつ…振り返ったらそのまま走ってきてて。止まれって何回も言ったのに…もうその頃には遅くて」
「…そう、だったんだ」
スピカはどう返事していいか分からず、ただじっと聞いていた。
「うん。突発性難聴。後から知ったんだ。誠司の親御さんから教えてもらった。ついさっきまで普通に会話してたのに。どうしてこうなっちゃったんだろうって、ずっと自分を責めてたよ。あのとき一分でも違ってたらとか…それからしんどくなって、周りの目が僕を非難しているように見えて、苦しくって。でもその日、夢を見たんだ。君に救われる夢を。」
そう言って朔はスピカを見つめた。
「えっと…」
ま、まずい。またこの話題…。
どう切り抜けようかを考えていると、それを察知したかのように朔が立ち上がる。スピカはびっくりして体を少しだけ飛び上がらせた。
「もう誤魔化しても意味ないからな!その髪!その目!学校の時と違いすぎる!それが…それが本来の望月さんだね!?」
「…!あ」
スピカは水溜まりに映る自分の姿を確認する。
忘れてた──!
あまりにも学校を休んでたからカラコンも染め直しもせずに来てしまったんだ。そもそも彼と会うなんて考えてもいなかったし…。
もう、逃げられない。
これは事実と認めたようなもの。
そういえば、番人に聞いた夢の記憶のこと。ちゃんと返事を聞き取れてなかった。どうして彼は覚えているの?私が覚えてるのはそりゃ私が魔力を持っていたからで…。ってことは彼も多少なりとも魔力を持ってるってこと?
なんだか頭の中がぐるぐるする…。
スピカの今の精神状態は良好、ではなかった。
橘ゆりのこと。母のこと。自分のこと。
どうしたら救える?
このまま夢救導士として生きていくの?
子孫を残さないといけない?
あの人はどんな気持ちで使命を絶ったのだろう。
考えても考えても分からない。まるで長くいりくんだ階段が段数をどんどん増やしていくようだ。追いつこうと走るたびに、段数はさらに加速しながら増えていく。沈んだ心がさらに疲れて、もう走れなくなってしまう。
もう、苦しいんだ。誰かにこの秘密を話したい。いっそのこと話してしまいたい。
でもそれを、醜い弱さを誰かに見せちゃっていいの?
使命を忘れたの?お父さんとの約束でしょう?
自分の内の感情が二面性を持ったように問いただす。
話したい。
聞いてほしい。
わかってもらいたい。
「…助け…」
無意識に口からでてしまった言葉にスピカは間違いだと訂正するが、朔はもう一度座り直して優しく問いかけた。
「間違えたっていい、なにか困ってることがあるなら力になりたい。だから知りたいんだ、望月さんのこと。もっと知りたい、教えてほしい。僕は、どんな望月さんも好きだよ⋯あっ」
間違えたと言って恥ずかしがる朔の前に、スピカが「ありがとう」と感謝を伝えた。
それを聞いた朔は、顔を赤らめながら真剣な眼差しで言った。
「…やっぱり間違いじゃない。好きなのは本当だから」
スピカも段々と頬が熱を増している気がして、彼の顔をじっとは見れなくなってしまい、思わず目を逸らした。
「ずっと気づいてた」
「え?!」
「夢で会ったことがあること」
「あ、ああ」
朔は、そっちか…と思いながら無理矢理落ちつく。だが夢のことがやっぱり本当だと分かった途端、ハッとした表情で驚いた。
「いや現実味がなくて、そうかな〜とは思ってたけど改めてわかると今がまさに夢なんじゃないかって思えてきて」
「夢かもしれないし夢じゃないかもしれない」
「え?」
「わたしにとって夢は現実だから、みんながどんなものを普段見てるのかわからないの」
「それって…望月さんは夢を見ないってこと?」
「うーん、完全に見ないわけではないけど…。夢は見に行くもので、その夢にでてくる人は、みんな苦しそうなの。良い夢を見たことってあんまりないかも」
「僕も君のいう苦しそうだった人ってこと?」
「うん」
「その人達を助けるのが望月さんの仕事?」
「うん」
「どうすれば助けられる?」
「その人の夢の中に入って色々治療するの」
「望月さんは?」
「え?」
「どうすれば望月さんを助けられる?」
「へ?」
頭にハテナが大量に浮かびあがるように、スピカは目が点になってしまった。
何を言っているんだ、この人は。
「さっき助けてって言ってたでしょ」
「あ…あれは違くて…」
「違くないよね?」
朔が手を掴んでくる。彼の手の熱が、彼の緊張を直接感じさせる。ほんの少し暖かくて、脈うつ鼓動が聞こえてくるようだった。なんか恥ずかしい…こんな気持ちは初めてだ。
スピカは抱え込んでいたものを全て朔に伝えた。
橘ゆりのこと。
夢救導士のこと。
自分自身のこと。
話しすぎてしまったかと、後悔した。こんなに話をしてしまったら、今後のことが心配になる。今後彼と接するときに毎回こんな目で見られるのだろうか。
そう考えて不安になるが、それはすぐに冷めた。
そうだ。代償で重症を負えば存在自体を消せるかも
「だめだ」
「え?」
「なんていうか…話を聞く限り、君は絶対に自己犠牲を選ぶと思ったんだ。だけどそれはやっちゃいけない。いや…やってほしくないんだ」
まるで心の声を盗み聞かれたようで驚いた。
「し、しないから大丈夫だよ」
「本当に?」
「うん…じゃあさ、もしわたしが代償を払ってみんなのことも忘れちゃったら…どうする?」
朔は何かを勘ぐったかのように心配そうな顔を浮かべてスピカを見つめてくる。
「そんなの決まってる。もう一度、声をかけるよ」
「…」
「それで、もう一度話すんだ。夢のことも。君と話した今日のことも」
「…ありがとう、ありがとう。じゃあ待ってるね」
「えっ」
そう言ってスピカはその場から立ち去った。
あのとき朔の横に座っていた少女は、朔の手を握り返して微笑んでいた。その瞳は潤み、滴る雫は宝石のように美しく、この世のものとは思えないほどだった。
だがその日、朔は初めて等身大の一人の女の子を知った。
彼女は美しくて、儚くて、どこか危うい存在だった。
少しでも心の内に触れれば崩れてしまいそうな関係。
それでも勇気をだしてよかった。
初恋の人が、彼女でよかった。
天野朔は、彼女が立ち去ってしばらくしてから立ち上がった。
気づけば雨は止んでいて、雲は空のどこかに吸い込まれ、青空が顔を出していた。
傘を左右に揺らしながら雫を落とす。屋根下の乾いたコンクリートに、じんわりと水滴が染み込んでいく。
日向に出ると、太陽が眩しくて目を瞑った。ゆっくりと慣らして瞼を開ける。
すると青空の中心に、大きな虹が見えた。
大丈夫だよ、と言ってくれているようで、少しだけ力が湧く。
心の奥に、望月スピカという小さな灯火をしまい込んで、不安と希望の入り混じったその光を、決して手放さぬように。
──朔は静かに帰路を辿った。
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