第二章 第五話「救済と代償」

「まずは夢救導士にかかる代償の基本的な規則性を紹介しますね。そのあとに、橘ゆりさんと──」



「あなたのお母様のお話をしましょうか」



番人は広げた両手を下ろし、大きく拡大された画面を操作し始める。スピカは固唾を呑んでそれを見つめた。

番人が語り始める。


「まず、前提としてこの世は森羅万象。なにか欲しいものがあればそれに対価を支払うでしょう。物を購入するにも交渉を成立させるのにもね。稀に対価のいらない善良な方も存在しますが、基本的に僕たちの生活には対価交換がつきものです。これは代償も同じ。代償にはいくつか段階や夢救導士によって違いがあるのをご存知でしたか?」


番人はスピカを見て尋ねてくる。


「いいえ、詳しくは…」

「感情が昔より薄くなってきた…と感じたことは?」

「あ…」


それはわかる。昔の方がもっと明るくて何をするのにも感情的だったような気がする。でもこれは代償と関係があるの?ただ人として成長過程で変わっていったというようにしか思えない。仮に代償がこれで済むなら、別にいいとさえ思えてくる。

番人は話を続ける。


「代償には救う対象によって支払う代償の重さが異なります。これを見てください」

画面に、表や文字がまるで教科書のように映し出された。

そこにはこう記されていた。


・救う対象…小さな不安

精神の深度:浅い夢層

支払う代償の重さ:微量の体力・集中力


・救う対象…幼少期のトラウマ

精神の深度:中層

支払う代償の重さ:感情・感覚の一部喪失


・救う対象…自殺願望・自己否定

精神の深度:深層夢界

支払う代償の重さ:記憶・寿命・存在の一部


・救う対象…夢の扉が完全に閉じた者

精神の深度:深層最下層

支払う代償の重さ:夢救導士としての資質喪失/永遠の消失リスク


「これが全夢救導士に共通する代償です。一般的なものとしては前半の二つがよくある事例ですね」


スピカは呆気に取られていた。後半二つの内容があまりにも重いと感じたからだ。たかが一人の人間の心を救うのに、命をかけなければならないのか。そう考えてしまう自分に少し嫌気がさした。自分だって救われた経験があるというのに。それにはきっと少なからず代償が伴っていたはずだというのに。


「そして、代償には個人差もある。夢救導士それぞれの体質によってもその重みは変わってくる。生まれつきというものですね。ちなみにスピカちゃんは僕が見る限り『記憶・感情』に関わる代償が多いタイプですよ」

「そうなの?」

「はい。これは、僕が管理者として長年記録を取り、分析した結論です。お父様も同じ傾向ですね。そして、お母様は──」

「お母さん?」

「ええ。君のお母様は、君以上に身体的に脆く、しかも“代償のタイプ”も重かった。本来であれば、深層部の仕事をさせるべきではなかったのですが……」


「…お母さんは、深層部へ行ったの?」


「…そうだ」

アルクトゥルスが眉間に皺を寄せて拳を握りしめながら俯いた。

「オレが体調を崩し、倒れて一週間入院して意識が朦朧としていたとき。あいつは全ての迷い夢を救っていたんだ。絶対に開いてはいけないと言っていたのに、後半のページにまで気づいて足を踏み入れた。」

「ご自分を責めないでください。管理者の僕にも責任があります。彼女を、止められなかった。」


番人はもう一度画面を見て説明を再開する。

「お母様が触れた夢は最下層の迷い夢です。そしてお母様のタイプは、『記憶・存在』。完全に存在が消失してしまったのです。その体も意識も、今もどこかに存在しているのかさえ特定できませんでした」


番人はスピカを振り返り、こう忠告した。

「誰かを救うにはそれ相応の覚悟が必要です。救われる側の気持ちも考慮しなければなりません。生半可な気持ちでこの仕事をしては、思いもよらぬところでこの身を失うリスクがあります。なので、あなたが救おうとしている橘ゆりさん──いえ、アルレシャ家のご子息、セレスティア様も、同じように深層部にいる可能性が高い。今のままでは無防備で戦地に入るようなもの。そんな無茶をしては、あなたのお母様、デネボラ様と同じ轍を踏むだけです」


「セレスティア…お父さんが言っていたのはこのことだったのね」

「そうだ…彼女もまた、最下層を経験した者か…」


「そうです。ですが珍しいことにセレスティア様は無事にご帰還されたのです。僕も驚きましたよ、こんな人が生まれてくるなんて、夢救導士の未来は明るいと嬉しくなりましたからね」

スピカと父は驚いた。父もそこまでは知らなかったらしい。なぜ無事だったのにも関わらず夢救導士としての資格を失ったんだろう?今は純粋な一人の人間として生きているようだけど…。


番人は続けた。


「実をいうと、夢救導士としての素質は失ってはいないのです。彼女は、代償ではなく自ら選択をしたのです。自由に生きたいと。」


「そんなことが…できるの?」


「ええ。ですがここ二百年はそんな事例はありませんでした。気がつけば若い世代は皆、自由を求め資格を放棄する者や自ら代償に立ち向かい重傷を負う者が増加したのです。彼女は君たちのように慎重で建設的な星とは異なり、感受性が豊かで変化を求める星のもとに生まれた。今まで何百年も繋げてこれたのが奇跡でした。時代は変わってこの一族も絶滅しようとしている。僕はそれが心残りで仕方がない。」


「だからと言って娘はやらないぞ」

「そんなに僕のことが嫌いですか?」


スピカはまた何か居心地の悪い気持ちになる。そうだ。子孫を残すには誰かと結ばれなければならない。わたしにはそんな願望はないし、むしろ自由に生きたい。だからこそ、橘ゆり──セレスティアさんの気持ちもわかる。しかしお父さんや番人、この異世界を守護している人にとってこれは、この感情は…自分勝手というのだろうか…。

でも今はそんなこと気にしてる場合じゃない…はずなのに。頭の中には、こうしなきゃ、ああしなきゃ、こうあるべきだ、って考えが次々と浮かんでくる。これは全て私の意思とは違う。世界の理想だ。私の理想ではない。


考え込んでいると、番人が優しく声をかけてくれる。

「すみません、少々脱線してしまいましたね。つまり何が言いたいかというと、危険だから覚悟して準備をしてください──ということです」


「こちらこそ、教えてくれてありがとうございます。でも何を準備したらいいか…」

「簡単です。誰かを思う気持ちを強く持つこと。人間の持つ強い思いが力を何倍にも高めてくれる」


「…誰かを、思う気持ち」

スピカは小さく呟き、絶望した。

はたして今の自分にはそんな感情が残っているのだろうかと。感情がこの十数年でどれだけ失ってしまったのかはわからないけれど、あまりにもスピカにとって不都合だった。助けられないかもしれない…と思った。

あの人はわかっていたのかもしれない。わたしには無理だということの根本的な理由まで。それでも──。


「…わかりました。それでもまだできるか…いいえ、できるようにします。」


大事なのはきっと諦めない心だから。そう、頭ではわかっていても心の内は胃が痛くなるような重圧と焦燥感でいっぱいだった。


それからもうこんな時間だと現実の時刻を確認た二人は、番人と別れを告げ、踵を返す。

スピカは不意に気になっていたことを思い出して、空間が閉じる直前に急いで尋ねた。

「そうだ…あの!番人さん!」

「はい?」

「なんで救われた迷い人が…わたしを覚えていたの?」

「それは…」

番人が返答しようとした矢先、空間は完全に閉じてしまった。


「君への思いが尋常なくらい強い、もしくはその人に魔法を扱ううえでの素質があるのかもしれないね。どちらにせよ素敵な出会いに変わりはないよ。…どうか…ご武運を」


そう呟くと番人は、静寂に包まれた宮殿にコツコツと足音を響かせながら消えていった。


 異界は昼夜問わず、静かな深海のように暗く、広いようで狭い水槽のよう。今宵もまたひとり、この異界を守護する使命を果たす。番人にとってそれが誇りなのか不自由なのかは重要じゃなかった。ただただこの長い長い人生を見届けるという、ある種の生きる理由を見つけていたからだという。


 そしてまた、夜が明ける──。

スピカは、解決の糸口を見つけられるのか。

彼女を“強く思う”人物は、一体誰なのか。

番人は、まるで歌劇の観客のように、静かに物語の行く末を見守っていた。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る