第二章 第四話「異界の番人」
どうして私には不可能なのだろう。
どうしてあの人は笑っていたのだろう。
スピカは己の不甲斐なさに震えた拳を握り締め、静かに歯を食いしばった。
私が無力なせいで、あの人に気を遣わせてしまったのだろうか。傷を負った迷い人に。
今すぐにでも助けに行きたい。けれど今の自分が行ったところで、また彼女に気を遣わせてしまうだけなのかもしれない。もう自分にできることはないのだろうか。
そうスピカが考え込んでいると、スピカの父・アルクトゥルスは沈黙ののち、夢術の書よりも少し大きめの本をゆっくりとめくり始める。目的のページまで辿りつくと、大きく頑丈な手を翳し、なにか短い呪文のようなものを唱え始めた。
すると、空中にプロジェクションマッピングのような立体の画面が浮き上がってきた。それをアルクトゥルスは手慣れた手捌きで操作する。その画面上には、宇宙や図形が映っている。
この光景を目の当たりにして、スピカは呆然としていた。こんなにも便利なものがあったとは。まさに現代の科学をも超えた特大発明品だ。科学と比べてはいけないか。これは紛れもなく魔法百パーセントで起動している。電気は一切つかっていない。なぜ今まで知らなかったのか。それは少し考えてみれば分かることだった。
───体も、心も、考えも。私が大人に近づいたから見せてくれたんだ。
期待されている嬉しさと、これ以上は頑張りたくないという相反する感情が頭の中を駆け巡る。
スピカは自分の左腕を右手でぎゅっと掴んだ。
さらに夢救導士として成長するために教えてもらうことは、決して容易じゃないというのはなんとなくだけど分かる。だからこそ怖い。この先、私はこのままずっと同じなのかなって。
眉を下げて俯いているスピカの肩に父が左手を載せた。顔をあげると、父は画面上方を指さしている。その方向に目を向けると、そこにはまるで星のような小さな点がいくつか並んでいた。それぞれに色が灯っている。薄茶色、青色、金色。これらが何を意味しているのかは、正直のところ見当もつかなかった。
スピカは呟くように問う。
「星?」
「そうだ」
「…お前の星はどれだと思う?」
父は相変わらずの無表情で尋ねてくる。
どれって、ここの中に私の星があるの?
私は星の一部なのだろうか。未だに信じられない。
スピカは言葉を失ってしまった。学校でも習わない、初めての知識を前に何も思い浮かばない。
わからないのだ。今まで近くに星の光を感じてはいたけれど、自分がこのどれに属するのかなんて知らなかった。ましてや人間社会で暮らしていくことがほとんどなので、自分がどこまでファンタジーな世界の人間なのかも曖昧だった。
「わかんない、どれが私なの?」
スピカが尋ねると、アルクトゥルスは落ちついた声音でこたえた。
「オレやお前が生まれた星は、あの茶味がかった星だ。乙女座⋯ともいうべきか。」
「おとめ座⋯しってる。そうだったんだ」
「ああ」
「じゃあその隣の星は?あれはなに?」
スピカは興味津々だった。自然と笑みが溢れる。
そんなスピカを横目で見てから、父は少し考えたあと順に説明してくれる。
「金色に輝いているのが獅子座。空のように蒼い星が、うお座だ。他にもあるが、これらはもう星の
「存在してない⋯?消えちゃったってこと?」
「いいや、星自体は変わらず存在している。消えることは決してない。だが、それぞれ星には守護者がいるだろう。オレとスピカのように、乙女座には乙女座の守護者がいる。だが他の星はもう何年も前に子孫が途絶えた。もしくは自ら資格を失ったんだ」
「そう⋯だったんだ」
子孫が途絶えればこの血筋は永遠に蘇らないものとなる。骨となり火葬されたのち埋葬されて魂は天へと還る。生まれ変わりだって実際あるはずがない。あっても魂や精神だけだろう。先祖代々繋いできた細く頑強な糸を、わたしは頑張りたくないからという理由で危うく切り離してしまうところだった。
今まで以上に背筋が伸びるような、凍ってしまうような心地がする。
「そうだ、お母さんは?お母さんも私たちと同じ星の守護者だったんでしょ?」
父は眉間に皺を寄せて俯く。
「そうだ。お前の母親…デネボラは、骸にもなれずひとり、星の海へ消えていったんだ」
「消えた…?どういうこと?」
スピカは混乱していた。母はどうして消えてしまったのか?母の身に何があったのか?本当に、今の私には知らないことばかりだ。もっと知りたい。けれどこの先を知ってしまえば、この身に鉛のようにずっしりとした羽織を纏いながら、老いるまで生きていくことになるのだろうか。
そう思うと、体が重力で下へ引っ張られるように気持ちと共に沈んでいくのがわかった。変わり…たくない。
けど、このままじゃあの人を救えない…!
そう思うことで、どうにかこの場に立つことができた。まだ私の中にはこんな感情があったのか。少し驚いた。
アルクトゥルスは画面を見上げて、片手に携えた本をパラパラとめくり、あるページで止まると今度は長い呪文を唱え始めた。隙間から見えたページには夢コードとどこか似ているが、おそらく別物の長いコードが刻まれていた。
「…この件に関しては、お前に合わせなければならない者がいる。向こうで全てを話そう。…手を」
スピカは父の差し出す手を掴む。すると迷い夢の時とは違うすっきりとした感覚の空間に入り、みるみるうちに吸い込まれていくようにしてある空間に投げ出された。
「うわあ!…いてて」
スピカは気づいたら瞑っていた瞼をゆっくりと開けて上半身を起こし、床についたままの自分の手を見る。
「…お父さん?」
顔を上げて辺りを見渡すと、そこは海に浮かぶ城のようだった。正しくは宇宙に浮かぶ城というべきか。私たちが落ちてきた場所は船着場のような構造で、そこから小さく灯った光ひとつひとつが道に沿って私たちを導くかのように輝いている。ライトには見えないからこれも魔法…。宇宙にこんなもの建築できる術なんて見当もつかないし、また魔法とやらなのだろうか。すごい、すごい世界だ。
「スピカ、怪我はないか?」
父が心配してこちらに駆け寄ってきた。
「平気、何ともないよ」
「途中で手を離してしまってすまなかった。」
「いいよ、それよりここすごく綺麗」
二人でもう一度景色を眺める。
「ああ。この場所は地球とは別の空間の夢界、元素も空気もほとんど似ているがな。夢ではないから現実と変わらないんだ」
「へえ…」
スピカは情景をじっと見つめて目を細めた。
「まるで一時間も経たずにモンサンミッシェルに足を運んだ気分」
アルクトゥルスもまた、目を細めて小さく「すまなかったな…」と呟く。それはあまりにも小さかったのでスピカの耳に入ることはなかった。
*
父に案内されるまま、スピカはその後をついて行く。城内に足を踏み入れると、美しいステンドガラスや壁画が出迎えてくれる。足音はわたしとお父さんのだけ。人の話し声も外の音も感じ取れない。そう。この場所は、まるで誰も住んでいないように思えるほど酷く静かなのだ。それでいて掃除が行き届いているように思える。誰もいないのになぜ?ああそうか、掃除も魔法の力でどうにかできるのかも。
ふとスピカは考えた。そんなに万能な魔法がいくつも存在するのなら、私はなぜ夢の魔法しか使えないのだろう、と。実際のところ掃除や洗い物をする魔法があったら便利だし、呼吸の魔法があれば海の中でもずっと泳ぎ続けることができるはず。他のものも勉強すれば使えるようになるかもしれない。これが明るみになってないのはおそらく身勝手に使う前例があったからだろう。これはあくまでもただの推測でしかないのだけれど⋯。
スピカはひとりごとのようにぼんやりと考えながら、父とともに足を進めた。
しばらくすると開放的な広間に出た。中央には噴水と背の高い植物が飾られている。よく見てみると、どれも見せかけではなく本物だ。やはり全部が魔法とは思わないほうがいいのかもしれない。
スピカはそれらに気を取られながら歩いていると、目の前に大きな扉が聳えていることに気づかず、頭をぶつけてしまった。
「いてて…これ、扉だったのね」
「足元や上を見て歩くのもいいが、目の前を見落としてしまっては成せるものも見失ってしまうぞ。気をつけて歩きなさい」
「…はい」
父はその扉に掌を翳し、軽々と開けてみせた。よく見ると自動で開いている。つまりこれは…。
「魔法…」
スピカがそう呟くと、扉の向こう側の人影がこちらに向かってくる。そしてスピカに向かって歩きながら話し始めた。
「残念、ハズレ。その扉は人間がこれまで築き上げてきた科学によるもの。ですよ、スピカちゃん」
扉の向こうにある広間の中央に、その影が立ち止まる。その小さな衝撃で、黒いマントのフードが頭から離れる。あらわになった銀色のセミロングの髪は後ろ髪をほんの少し団子縛りに結っており、残りの後ろ髪は肩に触れるくらいの長さで下ろしていた。
青年のようだった。年は同じくらいに見える。でも何だかすごく強い威圧感を感じる。なぜだろう。
スピカは戸惑いながらも急いで言葉を探す。
「えっと…あなたは?」
青年は何も付いていない腕を見て、なぜか意気揚々と頷く。
「うん。ちょうど時間だね。ではでは、ごきげんよう。レーヴ家の御二方。僕はこの星の海に住む”
番人と名乗る男は軽く挨拶を済ませると、ある場所へ連れて行きたいと言ってスピカとアルクトゥルスを案内してくれる。
その道中、番人の後ろで歩くスピカは、小声で隣の父に尋ねた。
「ねえ、この人いくつなんだろう。私とあまり変わらないと思うんだけど…」
すると番人が突然立ち止まり、こちらを振り返る。
「スピカちゃんのご想像にお任せします。僕はまだ若く先行きが輝かしい人間ですから」
わ…聞こえてたんだ。耳も相当いいみたい。
何だか良いように言っているけれど全然何もわからない。変わった人だな…。
スピカがそう思っていると、父が呆れたようにため息をついた。
「スピカ、この方はオレの上の上のそのまたずっと上の代から生きておられる方だ。この見た目も、人間離れした生命力も。魔法を自由に使いすぎた結果だ。いいか?絶対に真似するなよ。」
「はい。あ、だからか」
「何が『だからか』ですか?…はあ、これでスピカちゃんが僕を見る目が変わってしまう。君好みだったらもしかしたらと思ったけど…。だって君がこーんなに小さい時から、お話できるのがそれはそれは楽しみでしたので」
「だから合わせたくなかったんだ」
アルクトゥルスは呆れたように呟く。
番人と聞いたからどんな怖い人かと思ったけど、話しやすそうな人で少し安心した。
しかし歩き始めてから既に五分は経っているはず。私たちはいったいどこに向かっているのだろう。この先に何があるのだろう。
歩みを進めていくと、壁がガラス張りのようになっていて宇宙が見渡せるプラネタリウムのようなひらけた空間に出た。
スピカは尋ねる。
「ここは?」
「銀河監視艦、僕の仕事場です」
番人が振り返る。その背後の空中に映し出された画面には、各部族の状況や任務が表示されている。その中にスピカたち夢救導士の項目もあった。
「僕は毎日こうして全宇宙に関わる方々の管理を努めています。近年はその対象も減少傾向ではありますが…」
「それって…」
「はい。ご存知かとは思いますが、少子化です。まるでどこかの国家のようですね」
決して見て見ぬふりしてはいけない問題。けれど何だか居心地が悪い。だからあなたも子孫を残しなさいと言われているようで、どこか胸の辺りがモヤモヤする。
番人は続ける。
「だから僕のように長寿の実験を成功させる個体ができれば…」
「それだけはやめてくれ」
父が潔く却下する。
「番人、あなたはいったいどれだけの代償を払ってその力を得たんだ」
「それを聞いたら興味を持ってくれるのでしょうか?」
「はあ…」
父は深いため息をついた。
代償。何をするにも人智を超える事象があれば、それに見合った代償が伴ってくる。それは夢救導士としても関わってくるものだからわかる。けれど、まだ知らないことも沢山ある。それが分かればあの人を助ける方法が見つかるかもしれない。
スピカは身を乗り出すように番人に尋ねた。
「あの、わたし…代償について知りたいんです。迷い夢に囚われた橘ゆりさんを助けたいんです!だから…」
「もちろん!教えます。君のお父様からもそのことについて依頼を受けたからね」
「どうすれば助けられる?」
「まあまあ、まずは順を追ってお話しましょうか」
番人は空中に表示された画面をひょひょいと自分の前方に移動させて操作し、それを拡大してこちらに見えるようにしてくれる。
そして二人をそれぞれを見つめてから、ゆっくりと両手を広げた。羽織から神聖な模様の礼服が垣間見える。
「まずは夢救導士にかかる代償の基本的な規則性を紹介しますね。そのあとに、橘ゆりさんと──」
「あなたのお母様のお話をしましょうか」
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