第9話 鞍なしのプリンセス

ファンファーレが高らかに鳴り響き、創立記念馬術大会が始まった。

全校生徒が見守る中での選手宣誓は、心臓が口から飛び出しそうなくらい緊張したけど、セドリックの言葉を胸に、なんとかやり遂げた。

観客席のレオンハルトが、つまらなそうに私を睨んでいるのが見えたけど、もう怖くなんてなかった。


そして、いよいよ、模範演技の時間がやってくる。

私はナイトシェイドに跨がり、ゆっくりと馬場へと足を踏み入れた。

大丈夫。罠だった飼い葉は、セドリックが昨夜のうちに、全て無害なものと交換してくれた。

ナイトシェイドも落ち着いている。私と、彼の心を繋ぐ手綱は、今、確かにここにある。


最初の障害物、クリア。

次の、水濠も、クリア。

順調だ。私とナイトシェイドの呼吸は、ぴったりと合っている。

会場が、どよめきと賞賛の声で満ちていくのがわかる。


そして、最後の大きな障害物が、目の前に迫る。

これを飛び越えれば、終わりだ!


「いくぞ、ナイトシェイド!」


私が合図を送ると、ナイトシェイドは力強く地面を蹴った。

黒い体が、美しく宙を舞う。

――その、瞬間だった。


バチンッ!!!


鞍の下から、何かが断ち切れる、嫌な音が響いた。

次の瞬間、私の体を支えていた鞍が、ぐらり、と大きく傾いたのだ!


(うそ……!?)


腹帯だ! 鞍を馬体に固定する、命綱とも言える革のベルトが、切られたんだ!

レオンハルトの罠は、飼い葉だけじゃなかった!


体が大きく傾き、地面が、すぐそこに迫る。

観客席から、悲鳴が上がるのが聞こえた。

(もう、ダメだ……!)


諦めかけた、その時。

私の脳裏に、セドリックの声が、はっきりと響いた。


『馬と対話するのです』

『あなたは、もう一人ではありません』


そうだ。私は、一人じゃない!

私は咄嗟に、意味をなさなくなった手綱を離し、ナイトシェイドの黒いたてがみを、両手で強く、強く掴んだ。

そして、心の中で叫ぶ。


『ナイトシェイド! お願い、私を信じて! 私を、ゴールまで連れて行って!』


その想いが、通じたのだろうか。

ヒヒン、と力強くいなないたナイトシェイドは、驚くべきことに、崩れかけた体勢を見事に立て直した。

そして、鞍のない私の体を背に乗せたまま、風のように、ゴールめがけて走り出したのだ!


会場は、割れんばかりの拍手と、信じられないものを見たというような歓声に包まれた。

観客席のレオンハルトが、鬼の形相で立ち尽くしているのが、視界の端に見えた。


ゴールラインを駆け抜けた瞬間、張り詰めていた緊張の糸が、ぷつりと切れた。

意識が、ぐらりと遠のいていく。

その、私の体を、馬で駆けつけてきたセドリックが、彼のたくましい腕で、優しく、でも力強く、抱きとめた。


「……お見事でした、私の、王子様」


耳元で、彼の、少しだけ震えた、感極まったような囁きが聞こえた。

その言葉に、私は安心して、意識を手放した。


***


最高の勝利を手にした、その夜。

寮の自室に戻ると、机の上に、見慣れない封筒が一つ、置かれていた。

差出人の名前はない。


そっと封を開けると、中から出てきたのは、一枚のカード。

そこには、美しい筆跡で、こう書かれていた。


『見事な馬術でした。次の舞台でお待ちしております』


そして、カードと共に、ひらりと床に落ちたのは、一輪の、ビロードのように艶やかな、黒い薔薇だった。


次の、舞台……?

これは、誰からの手紙?

レオンハルトじゃない、別の誰か……?

不吉で、だけどどこか甘美な招待状が、私の心に、次なる波乱を予感させていた。

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