第10話 黒薔薇の不吉な招待状
机の上に置かれた、一輪の黒い薔薇。
そのビロードのような花びらは、まるで夜の闇を固めたみたいで、不吉なほどに美しかった。
『次の舞台でお待ちしております』
差出人のない、美しい筆跡で書かれたメッセージ。
私の馬術大会での勝利を讃える言葉なのに、背筋にぞくりと冷たいものが走る。
これは、祝福じゃない。
宣戦布告だ。レオンハルトとはまた違う、もっと陰湿で、粘つくような悪意を感じる。
(だ、誰なの……!?)
恐怖で固まっていると、部屋の扉がコンコン、とノックされた。
「殿下、セドリックです。お休みでしょうか」
「せ、セドリック!」
私は慌てて黒薔薇とカードを手に取ると、扉を開けた。
そこにいた彼に、震える手でそれを見せる。
「これ……部屋に……」
セドリックは、黒薔薇とカードを受け取ると、そのサファイアの瞳を鋭く細めた。
「……何者の仕業だ。殿下の部屋に、許可なく侵入するとは」
彼の全身から、ピリピリとした怒りのオーラが放たれる。その気迫に、私の恐怖が少しだけ和らいだ。
「心当たりは?」
「……全く。ですが、殿下のご活躍を快く思わない者がいることは確か。明日より、警備を一層強化いたします。決して、殿下がお一人になる時間がないように」
「う、うん……」
力強く頷く彼に、私はこくりと頷くことしかできなかった。
守られている、という安心感と、彼をまた面倒事に巻き込んでしまったという申し訳なさで、胸の中がぐちゃぐちゃになる。
黒薔薇が放つ、甘く、退廃的な香りが、これから始まる新たな波乱を、静かに予感させていた。
***
馬術大会での、私の奇跡的な(と周りには見えている)勝利は、あっという間に学園中の噂になっていた。
今まで「病弱で影の薄い王子」だと思われていたのが一転、「ミステリアスで、いざという時にとんでもない力を発揮する、すごい王子様」みたいな、なんだかキラキラしたイメージに変わってしまったらしい。
廊下を歩けば、女子生徒たちから「まぁ、アルフレッド殿下だわ…」「素敵…」なんて、きゃあきゃあと黄色い声援まで飛んでくる。
(いやいやいや! 中身はただの女の子なんですけどー!)
心の中で絶叫しながら、私は必死に練習した王子様スマイルを顔に貼り付けて、優雅に手を振って見せる。
そんな私の隣で、セドリックは眉間に深いシワを刻んで、周囲の女子生徒たちに「近寄るな」オーラを全開にしていた。
そんなある日、学園長から、全校生徒に向けて正式な発表があった。
「――諸君! 今年も、我がグランヴェル騎士学園の伝統行事、『聖夜の舞踏会』を開催する運びとなった!」
その言葉に、講堂中が「わぁっ!」と華やいだどよめきに包まれる。
生徒たちは、誰をパートナーに誘うか、どんなドレスやタキシードを着るか、そんな話で早速盛り上がっている。
ただ一人、私を除いて。
(ぶ、ぶ、ぶ、舞踏会ですってーーーー!?)
顔から、サァッと血の気が引いていく。
ダンス。それは、淑女の嗜みとして、私も一通りは習ってきた。
でも、それはあくまで、男性にリードされて踊る、女性としてのダンス。
男性として、女の子をリードして踊るなんて、やったこともない! できるわけがない!
私が絶望で真っ青になっていると、追い打ちをかけるように、学園長が続けた。
「そして、舞踏会の幕開けを飾る『ファーストダンス』は、伝統に則り、我が国の王子、アルフレッド殿下にお願いする!」
全校生徒の視線が、一斉に私に突き刺さる。
(終わった……。私の学園生活、ここで、完全に、終わった……)
私は、その場で気を失いそうになるのを、必死に堪えるので精一杯だった。
***
当然、私はまず、黒薔薇の犯人だと疑っていたレオンハルトを問い詰めた。
「レオンハルト! 舞踏会の件、君の差し金だろう!」
中庭で、取り巻きと談笑していた彼に詰め寄ると、レオンハルトはきょとんとした顔で私を見た。
「舞踏会? あぁ、ファーストダンスのことか。あれは伝統だ、俺の差し金じゃない」
「じゃあ、この黒薔薇は!?」
私が懐から黒薔薇を突きつけると、彼は眉をひそめた。
「黒薔薇だと?……ふん、気障な真似をする奴がいたものだ。だが、残念ながら俺じゃない。そんな回りくどい嫌がらせは、趣味じゃないんでね」
その反応は、嘘をついているようには見えなかった。
それどころか、彼は面白そうに口の端を上げると、こう言った。
「だが、面白い。一体どこのどいつが、可愛い王子様にちょっかいを出しているのか……この俺も、探ってやろうじゃないか」
敵の敵は味方、とはいかないだろうけど、なんだか少しだけ、彼の意外な一面を見た気がした。
一方で、もっと直接的に私の心を抉ってくる問題もあった。
「セドリック様! 聖夜の舞踏会、よろしければ、私と踊っていただけませんこと?」
例の、上級生のイザベラ様が、頬を染めて、セドリックにパートナーの申し込みをしていたのだ。
その光景を、私は木の陰から、こっそり見てしまっていた。
(ど、どうするのセドリック……!?)
私の心臓が、ドキドキと嫌な音を立てる。
セドリックは、少しだけ困ったように眉を寄せると、イザベラ様に丁寧に頭を下げた。
「お誘い、光栄です、イザベラ様。ですが、当日はアルフレッド殿下の護衛任務がございますので、お受けすることはできません」
……断った。
ホッと胸を撫で下ろした自分に、まず驚く。
でも、次の瞬間、ズキッ、と胸が痛んだ。
(そっか……。護衛任務がなければ、セドリックは、彼女と踊ったのかな……)
私という『偽物の王子』のせいで、彼から、楽しいはずの舞踏会の機会を奪ってしまっている。
その事実が、重い石みたいに、私の心にのしかかってきた。
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