第2話 秘密のレッスンと不意打ちの優しさ
結局、あの後の訓練は、セドリックの独壇場だった。
レオンハルトも学年トップクラスの実力者らしいけど、セドリックの前ではまるで子供扱い。木剣が宙を舞い、あっという間に勝負は決した。
あまりの強さに、周りの生徒たちはドン引き。レオンハルトは顔を真っ赤にして、捨て台詞も吐かずに去っていった。
(す、すごすぎる……)
助かった、という安堵と、彼のあまりの格好良さに、私はしばらくその場に立ち尽くしていた。
授業が終わって、寮へ戻るための渡り廊下を歩いていると、少し前を歩いていたセドリックが、ふと足を止めて私を振り返った。
夕暮れの光が、彼の輪郭をキラキラと金色に縁取っている。
「殿下」
「は、はい!」
思わず敬語になってしまって、慌てて口を押さえる。
そんな私を見て、セドリックは少しだけ、本当に少しだけ、表情を和らげたように見えた。
「先程は、申し訳ありませんでした。私がしゃしゃり出たことで、殿下のお顔に泥を塗る結果となってしまいました」
「そ、そんなことはない! 助かった、礼を言う」
「……ですが」
セドリックは一歩、私に近づく。
真剣なサファイアの瞳に射抜かれて、息が詰まる。
「このままではいけません。グランヴェル騎士学園では、実力が全て。アルフレッド殿下が、周囲から侮られるような状況は、断じて看過できません」
彼の言葉は、正論だった。
今日だって、彼がいなければ、私はみんなの前で大恥をかいて、兄の名を汚していたはずだ。
王子なのに、護衛に守られてばかりなんて。
「……すまない」
私が力なく俯くと、セドリックは少しだけ黙り込んだ。気まずい沈黙に、泣きそうになる。
やっぱり、私じゃダメなんだ。こんな大役、無茶だったんだ。
「――今夜、日付が変わる頃に、東の中庭へお越しください」
「え?」
予想外の言葉に、顔を上げる。
セドリックは、相変わらずの無表情。でも、その瞳の奥には、確かな意志の光が宿っていた。
「誰にも知られぬよう、私が剣の基礎をお教えします。殿下が、ご自身の身を、そして誇りを守れるようになるまで」
二人だけの、秘密のレッスン……!
(こ、これって、少女漫画でよく見る展開では!?)
心の中で、盛大なツッコミを入れる。
でも、私の返事は、もう決まっていた。
「……あぁ、わかった。必ず行く」
こくり、と頷くと、セドリックは「お待ちしております」とだけ言って、再び前を向いて歩き出した。
彼の広い背中を見つめながら、私の胸は、期待と不安と、そしてほんの少しの甘い痛みで、いっぱいになっていた。
***
真夜中。寮の部屋をこっそり抜け出して、月明かりだけが頼りの廊下を、忍び足で進む。
約束の場所、東の中庭に着くと、先に着いていたらしいセドリックが、噴水の縁に腰掛けて、静かに私を待っていた。
騎士服じゃない。襟の詰まっていない、ラフなシャツ姿。
いつもきっちり結い上げられている髪も、少しだけ後れ毛が落ちていて、なんだかすごく、無防備に見える。
その普段とのギャップに、思わずドキッとしてしまった。
「来たか」
「あ、あぁ。待たせたな」
月の光に照らされた彼の姿は、まるで物語の中の王子様みたいで、私の方が偽物の王子様だってこと、忘れちゃいそうになる。
「では、早速始めましょう」
セドリックは立ち上がると、どこからか用意していた木剣を二本、私に差し出した。
「まずは、正しい構え方からです。足は肩幅に開き、重心を低く……そう、もっと腰を落としてください」
言われるがままに、慣れない体勢をとる。ぷるぷると足が震えて、全然力が入らない。
「こ、こうか?」
「いえ、違います。背筋が曲がっている」
はぁ、とセドリックが小さくため息をついた。
(うぅ、ごめんなさい、物分りが悪くて……)
私がしょんぼりしていると、セドリックは私の背後へと回り込んだ。
「失礼します」
ひんやりとした空気が、すぐそばで動く気配。
そして、不意に、彼の体が私の背中にぴたりとくっついた。
「―――っ!?」
「力を抜いて。私が支えます」
耳元で、彼の低い声が響く。吐息がかかるくらいの近さに、全身の血が沸騰しそうなくらい、顔がカッと熱くなった。
(ち、ち、ち、近い近い近いっ!)
彼の逞しい腕が、私の腕を優しく包み込む。骨張った綺麗な指先が、木剣を握る私の手に、そっと重ねられた。
「剣先は、相手の喉元へ。視線は逸らさず、真っ直ぐに」
背中には彼の胸の固い感触。首筋には彼の吐息。私を包むように香る、清潔な石鹸と、彼自身の、少しだけ甘くて落ち着く匂い。
もう、頭がどうにかなりそうだった。
剣のレッスンどころじゃない。心臓がうるさすぎて、彼の声がちゃんと聞こえない!
「殿下? 聞いていますか?」
「は、はい! 聞いておりますです!」
また変な敬語! って、なんで私が彼のことでこんなに一喜一憂してるの――っ!?
私がパニックになっていると、セドリックが私の手を引いて、剣を振る動きを教えてくれる。
「そうです。その感覚を、体に覚えさせてください」
「う、うん……」
何度か素振りを繰り返すうち、少しだけ、本当に少しだけ、様になってきた気がした。
(あれ、なんだか、楽しいかも)
私が夢中になって剣を振った、その時だった。
ぐらり。
急に体勢を崩した私は、「きゃっ」と、完全に女の子の悲鳴を上げてしまった。
(しまった――!)
そう思うのと、セドリックの胸に、正面から倒れ込んでしまったのは、ほぼ同時だった。
「危ない!」
どさっ、と重い音がして、私は彼の胸に顔を埋める形になる。
とくん、とくん、と、彼の心臓の音が、思ったよりも速く聞こえた。
そして、その瞬間。
――ぷちん。
何か、小さな、でも決定的な音がした。
男装のために、胸を押し殺すようにきつく巻いていた晒が、倒れた衝撃で、少し緩んでしまったのだ。
まずい、まずい、まずい!
焦って身を起こそうとする私を、セドリックの腕が、がっしりと抱きとめて離さない。
「殿下……?」
彼の怪訝そうな声。
どうしよう、どうしよう! まさか、胸の膨らみに気づかれた……!?
私が恐怖で固まっていると、セドリックは、驚くべき一言を口にした。
「殿下……。失礼ですが、何か甘い香りがしませんか?」
彼の鼻先が、私の髪に触れるか触れないかの、ゼロ距離まで近づいてくる。
花の蜜のような、甘い香り。それは、私がいつも使っている、薔薇の香油の匂い。
王子様が、こんな女の子みたいな香りをさせてるなんて、おかしいに決まってる。
絶体絶命のピンチ。
嘘と秘密だらけの学園生活は、まだ始まったばかりなのに、もうここで、終わっちゃうの――?
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