男装王子は恋を隠す――堅物護衛に正体バレたら即アウト!?

☆ほしい

第1話 偽りの王子と堅物騎士

目の前にそびえ立つのは、歴史と気品を詰め込んで固めたような、壮麗な白亜の門。

アストリア王国最高峰の学び舎――グランヴェル騎士学園。

王侯貴族の子息たちが、未来の騎士、そして国の指導者となるべく集う場所。


(ここが、今日から私の『城』……ううん、戦場なんだ)


ごくり、と喉が鳴る。心臓が早鐘を打って、少しだけ息が苦しい。

ぎゅっと拳を握りしめ、私は自分に言い聞かせた。


『リリアンは、今日からアルフレッドになるのよ』


病弱な双子の兄、アルフレッド。私の、たったひとりの片割れ。

大事な王位継承のための式典を目前に倒れた兄の代わりに、瓜二つの私が男装してこの学園へやってきた。

すべては、アストリア王国の未来のため。そして、何より大好きな兄の居場所を守るため。


私が王子だってバレたら、即、国家を揺るがす大スキャンダル。

――絶対に、失敗なんて許されない。


「殿下、門が開きます。お心の準備はよろしいでしょうか」


凛、とした低い声が、すぐ隣から降ってくる。

はっとして顔を上げると、そこには私の護衛騎士様――セドリック・ヴァレンタインが、彫刻のように美しい横顔で前を見据えていた。


きらきらと陽光を反射する、プラチナブロンドの髪。空の色を閉じ込めたような、澄んだサファイアの瞳。寸分の隙もなく着こなされた純白の騎士服は、彼が王家直属の近衛騎士の中でも、特に選ばれたエリートであることを示している。


(うっ……。今日も今日とて、顔面が眩しすぎる……!)


生真面目で超堅物。だけど、国内最強と謳われる若き天才騎士。

それが、セドリック。

――そして、何も知らずに、偽物の王子(わたし)に絶対の忠誠を誓ってくれている人。


「あ、あぁ。問題ない」


慌てて声のトーンを落として、兄の口調を真似る。練習してきた、自信に満ちた王子の声。……のはずなのに、自分でもびっくりするくらい、上擦って聞こえた。


セドリックが、すっと私に視線を移す。

射貫くような真っ直ぐな瞳に、心臓がドキッと跳ねた。


(ま、まさか、もう怪しまれてる!?)


「少し、顔色が優れないように見受けられます。もしや、まだ本調子では……?」

「い、いや! そんなことはない! むしろ絶好調だ!」


ぶんぶんと大げさに首を振って見せると、セドリックはわずかに眉を寄せた。その表情に「あ、やりすぎたかも」と、今度は冷や汗が背中を伝う。

もう、心臓がいくつあっても足りない!


そんな私の葛藤なんてお見通しだと言わんばかりに、セドリックはふわりと、どこか安心させるような優しい声色で言った。


「ご無理なさらず。このセドリック・ヴァレンタイン、命に代えても殿下をお守りします」


――きゅん。


そんなこと、まっすぐな瞳で言わないでほしい。

護られているのは、あなたの本当の主(あるじ)じゃない、偽物の私なのに。

ズキッ、と罪悪感で胸が痛む。でもそれと同時に、彼の言葉一つひとつが、不安でいっぱいの私の心を温かく満たしていくのも、確かだった。


このドキドキも、胸の痛みも、全部ひっくるめて、王子様の仮面の下に隠し通す。

私は覚悟を決め、大きく息を吸って、グランヴェル騎士学園の門をくぐった。


***


「あれが、アルフレッド・フォン・アストリア王子……」

「病弱で、ずっと王宮の離宮から出られなかったっていう……」

「なんて儚げで、綺麗な方……!」


教室へ向かう、シャンデリアが輝く廊下を歩くだけで、周囲の生徒たちからの視線が突き刺さる。

(ひぃぃ……! 見られてる、すごく見られてる……!)

兄のために用意された特注の男子制服は、やっぱり私には少し大きくて、袖口から覗く自分の手の華奢さが気になって仕方がない。男の子にしては線が細すぎるって、思われてないかな? 声が、高いって思われてないかな?


不安で俯きそうになる私を、またしても救ってくれたのはセドリックだった。

彼が私の半歩後ろを歩くだけで、その威圧感……ううん、気高いオーラで、他の生徒たちがサッと道を開けてくれる。まるで、私を守る無敵の結界みたいだ。


「アルフレッド殿下、ようこそグランヴェルへ」


教室の前に着くと、待ち構えていたかのように、一人の男子生徒が声をかけてきた。

ウェーブのかかった艶やかな赤髪に、自信に満ちた猫のような緑の瞳。貴族らしい、華やかな刺繍の入った制服を着こなしている。


「私は公爵家のレオンハルト・フォン・ベルンシュタイン。このクラスの級長を務めている。よろしく」


レオンハルトと名乗った彼は、優雅にお辞儀をしてみせる。だけど、その瞳は笑っていなかった。むしろ、獲物を品定めするかのように、私を頭のてっぺんから爪先まで、じろりと見ている。


(な、なんだか、すごく探られているような……)


「病弱で臥せっていると伺っていたが、案外お元気そうで何よりだ」


声は甘いのに、言葉にはチクリと棘がある。

(これは、試されてるんだ……!)

ここで怯んだら、アルフレッド王子の名が廃る。私は背筋を伸ばし、練習してきた完璧な王子様スマイルを顔に貼り付けた。


「あぁ、君がベルンシュタイン公爵家の。噂は聞いている。よろしく頼む、レオンハルト」


精一杯の余裕を見せてそう返すと、レオンハルトは少しだけ目を見開いて、それから面白そうに口の端を上げた。

一瞬、緊張が緩んだその時。

すっ、と私とレオンハルトの間に、セドリックが音もなく割って入った。


「レオンハルト様。殿下は長旅でお疲れです。ご挨拶はそのくらいに」


絶対零度の声。サファイアの瞳が、レオンハルトを冷たく見据える。

うわ、こ、怖い……! 味方でよかった!

レオンハルトは一瞬怯んだように見えたけど、すぐに肩をすくめて「これは失礼。ではまた後ほど、殿下」とひらひらと手を振って、教室の中へ消えていった。


嵐が去った後、私はこっそりセドリックの背中に向かって「ありがとう」と呟いた。

聞こえたのか聞こえなかったのか、彼は何も言わずに、ただ静かに教室の扉を開けてくれた。

その大きな背中が、なんだか今日一日で、すごく頼もしいものに見えていた。


***


最初の授業は、なんと、剣術の訓練だった。


「け、剣術……!?」


思わず素っ頓狂な声が出た。セドリックが「殿下?」と不思議そうにこちらを見る。

「い、いや、楽しみでな! 腕が鳴る!」

なんて嘘八百を並べながらも、私の心臓はバクバクと暴れまくっていた。


(ど、どうしよう……! お姫様として育てられた私が、剣なんて握ったこともないのに!)


広大な訓練場には、すでにたくさんの生徒たちが集まっている。みんな、当たり前のように木剣を手に、素振りをしたり、準備運動をしたり。

その光景が、なんだかすごく遠い世界のことみたいに見えた。


「では、二人一組で乱取り始め!」


教官の号令が非情に響き渡る。

(だ、誰か、優しそうな人は……!)

私がきょろきょろと相手を探していると、ぬっと目の前に影が差した。


「殿下。よろしければ、俺がお相手いたします」


にやり、と意地の悪い笑みを浮かべて立っていたのは、さっきの赤髪の貴公子、レオンハルトだった。

彼の後ろには、取り巻きらしき生徒たちが数人いて、にやにやとこちらを見ている。

完全に、ロックオンされてる……!


「おぉ、レオンハルトか。光栄だ」

顔は笑顔、心は号泣。もう、どうにでもなれ!

私とレオンハルトが、訓練場の中央で向かい合う。周りの生徒たちが、面白そうに私たちを遠巻きに囲んだ。


「殿下、ご病み上がりと伺っておりますので……こちらは、一本先取でよろしいですよね?」

「の、望むところだ!」


強がるので精一杯。木剣を握る手が、ぶるぶると震えているのが自分でもわかる。構え方なんて知らない。とりあえず、みんなの真似をして剣を前に突き出してみるけど、足はガクガクで、今にもへたり込んでしまいそうだった。


レオンハルトが、フッと鼻で笑ったのが見えた。

まずい。完全に、見くびられてる。

彼がゆっくりと間合いを詰めてくる。一歩、また一歩と。

私の心臓は、警告音みたいにうるさく鳴り響いていた。


そして。

「では、参ります!」

レオンハルトの姿がぶれたかと思うと、彼の木剣が風を切って、真っ直ぐに私の脳天めがけて振り下ろされた。


(――っ!)


速い! 避けられない!

思わず、ぎゅっと目を瞑った。

アルフレッド兄様、リリアンはここまでです……!


――キィンッ!!!


甲高い金属音のような音が響いた。

だけど、待てど暮らせど、衝撃はやってこない。

おそるおそる目を開けると、信じられない光景が、目の前に広がっていた。


私の目の前に、仁王立ちする純白の背中。

きらりと光るプラチナブロンドの髪。

セドリックが、いつの間に現れたのか、レオンハルトの木剣を、鞘に収まったままの自分の剣で、ぴたりと受け止めていたのだ。


「そこまでだ」


地を這うような低い声。

訓練場が、水を打ったように静まり返る。


「せ、セドリック……!?」

「アルフレッド殿下は、まだ本調子ではあらせられない。初日の稽古で相手に不足なくば、この私が代わろう」


セドリックは私を振り返ることなく、レオンハルトを射殺さんばかりの視線で睨みつけている。

その圧倒的な強さと、絶対的な存在感。

そして、守られた、という事実。

私の心臓は、さっきとは全然違う意味で、今にも張り裂けそうなくらい、ドキドキと音を立てていた。

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