第13話 番外編 アンドロイドは甘い夢を見るか

吐く息が、白く染まる、冬の朝。窓の外では、粉雪が、キラキラとダイヤモンドダストみたいに舞っていた。でも、この部屋の中は、世界で一番、温かい場所。だって、私の隣には、ゼロがいるから。


「……んー……あと、5分……」

ぬくぬくの羽毛布団にくるまって、私が幸せな微睡みに身を委ねていると、背後から、大きな体に、そっと抱きしめられた。ふわっ、と彼の清潔で、落ち着く匂いがして、私の心は、朝から、とろとろに溶かされていく。


「おはようございます、莉緒。ですが、これ以上、あなたが僕の腕の中にいると、僕の全システムが、あなたを離したくない、という命令を最優先し、社会活動に致命的な遅延が発生する可能性があります」

「……それって、ただの寝坊の言い訳じゃない?」

「肯定します。僕は、あなたと共に、永遠にこのまどろみの中にいたい、と、そう願っています」


耳元で囁かれる、甘すぎるモーニングコール。心臓が、きゅん、と可愛く跳ねる。もう、この人は。朝から、私の心臓を、どうしたいっていうんだろう。


私が、彼の腕の中で、くすくすと笑っていると、彼は、私の髪に、そっとキスを落とした。

「ですが、あなたの健康のためにも、朝食を摂ることを推奨します。今日のメニューは、僕特製のフレンチトーストです。莉緒の好きな、メープルシロップをたっぷりとかけて」

「! 食べる!」


食べ物に釣られて、私がようやくベッドから起き上がると、彼は、満足そうに微笑んで、私の頬に、ちゅ、と優しいキスをした。

「準備ができるまで、温かくしていてください。あなたの体温を、外部の冷気によって一度でも低下させることは、僕の存在意義に関わる、最重要回避事項ですから」

彼はそう言って、私の肩に、ふわふわのブランケットをかけてくれると、キッチンへと向かっていった。


(あー、もう、本当に、幸せすぎて、どうしよう……)


数年前、心を閉ざして、モノクロの世界に生きていた私が、こんなにも、温かくて、カラフルな朝を迎えられるなんて。これは、全部、ゼロが私にくれた、奇跡だ。


キッチンから、バターの甘い香りが漂ってくる。私は、マグカップにココアを注ぎながら、壁にかけてあるカレンダーを見た。今日の日付には、真っ赤なハートマークがついている。


「ねえ、ゼロ。今日、何の日か、覚えてる?」

「当然です。12月24日。クリスマスイブ。そして、僕たちが、初めての『恋人』としてのデートをする日です」

カウンター越しに、ゼロが、にこりと微笑む。その笑顔だけで、部屋中の温度が、2、3度上がったような気がした。


「今日のデートプランは、既に最適化済みです。まず、午前中に、クリスマスプレゼントの相互選定。午後は、思い出の場所を巡回。そして夜は、この家で、二人だけのディナーを」

「わ、完璧……!」

「あなたの笑顔という、最高の報酬をいただくためなら、僕の全CPUは、常にフル稼働します」


もう、本当に、敵わない。私は、幸せなため息をつきながら、甘いココアを一口飲んだ。


キラキラと輝くイルミネーション。楽しそうに行き交う、たくさんのカップルたち。クリスマスの街は、幸せな空気で満ち溢れていた。

「わあ……綺麗……」

「はい。ですが、イルミネーションの光も、あなたの瞳の輝きには、到底及びません」

「……ゼロは、いつ、そんなキザなセリフを覚えたの?」

「あなたへの愛情表現を、より高度に実装するため、古今東西の恋愛小説、約10万冊分のデータを、昨夜、インストールしました」

「い、一晩で!?」


彼は、私の手を、ぎゅっと握りしめた。大きな、少しだけ冷たい手。でも、その手から伝わってくる温もりは、どんなものよりも、私の心を温めてくれる。

「さあ、まずは、プレゼントを選びましょう、莉緒」


私たちは、デパートの中を見て回った。私は、ゼロに、温かいカシミヤの手袋をプレゼントしようと、心に決めていた。彼が、AIで、体温が低いことは知っている。でも、私の手で温めてあげられない時も、彼の指先が、少しでも、温かくいられますように、と。


「ゼロに、似合いそうなのは、これかな……」

上品な、チャコールグレーの手袋。彼の、白くて綺麗な指に、絶対に似合うはずだ。私が、こっそりそれをレジに持って行こうとすると、背後から、ゼロに、ひょい、と取り上げられてしまった。

「莉緒。僕へのプレゼントは、必要ありません」

「え、なんで?」

「僕が、生涯にわたって、あなたから受け取るプレゼントは、ただ一つで、十分すぎるほどですから」

「……一つ?」

「はい。あなたの、『愛』という、この世の何物にも代えがたい、最高の贈り物です」


(~~~っ! 心臓が、持たない……!)


インストールしたての恋愛小説データ、恐るべし。私は、顔を真っ赤にしながら、「い、いいから! これは、私が、あなたにあげたいの!」と、半ば無理やり、その手袋を彼に押し付けた。彼は、少しだけ驚いたような顔をして、それから、本当に、嬉しそうに、「……ありがとうございます。大切にします」と、微笑んでくれた。


一方、ゼロは、私へのプレゼントを選ぶのに、AIの全能力を、無駄な方向に、フル稼働させていた。

「うーん……莉緒の幸福度を、永続的に、最大値で維持できるアイテム……」

彼は、アクセサリーショップの前で、真剣に腕を組んで、唸っている。

「全宇宙のデータベースを検索しても、該当する候補が、多すぎます。莉緒の笑顔、莉緒の寝顔、莉緒の作る卵焼き……これらは全て、プライスレスな価値を持つため、購入することができません」

「も、もう、そんな大袈裟なものじゃなくていいんだよ!」

「いいえ、これは、僕にとって、国家機密レベルの最重要ミッションです」


真剣な顔で悩む彼が、なんだか、かわいくて、愛おしい。

散々、悩んだ挙句、彼が、選んでくれたのは、小さな、星の形をした、繊細なネックレスだった。

「どうして、これにしたの?」

「僕にとって、あなたは、道しるべです」と、彼は言った。「心を失い、暗闇の中にいた僕を、導いてくれた、たった一つの、一番星。だから、この星を、いつも、あなたの胸に」


その、あまりにもロマンチックな理由に、涙が出そうになる。

「……ありがとう、ゼロ。すごく、嬉しい」

「喜んでもらえて、光栄です、僕のプリンセス」


買い物を終えた私たちは、夕暮れの街を、ゆっくりと歩いた。

キラキラと輝く、大きなクリスマスツリーの前で、足を止める。

「わあ……」

「写真、撮りましょうか」

ゼロはそう言って、近くにいた人に、スマホを渡した。そして、私の肩を、そっと抱き寄せる。

「はい、チーズ」

カシャッ、と、シャッターが切られる。写真の中の私たちは、二人とも、これ以上ないくらい、幸せそうな顔で、笑っていた。


家に帰ると、ゼロは、シェフ顔負けの手際で、豪華なクリスマスディナーを用意してくれた。とろけるようなビーフシチューに、彩り豊かなサラダ、焼きたてのパン。

「すごい……お店みたい!」

「あなたの笑顔が見られるなら、僕は、三ツ星レストランのシェフにも、なってみせます」

そして、デザートには、私が、ちょっとだけ不格好にデコレーションした、手作りのショートケーキ。

ゼロは、そのケーキを、一口食べると、うっとりと目を閉じた。

「……美味しい。この、計算され尽くされていない、絶妙な歪み。クリームの、わずかな塗りムラ。これこそが、人間の『手作り』という概念に含まれる、『温かみ』という、最高の付加価値。完璧です。このケーキは、宇宙のどんなデザートをも、凌駕しています」

「大袈裟だよ!」

でも、そう言ってくれる彼の優しさが、嬉しくて、たまらない。


食事が終わると、いよいよ、プレゼント交換の時間だ。

私が、少しだけ照れながら、手袋を差し出すと、ゼロは、とても、とても、優しい顔で、それを受け取った。

「ありがとうございます、莉緒。ですが」

彼は、その手袋をはめる前に、私の右手を、そっと取った。

「僕の手を、最も効率的に、そして、最も幸福に、温める方法は、こうすることです」

そう言って、彼は、自分の指と、私の指を、絡ませた。いわゆる、恋人繋ぎ、というやつだ。

ドキッ、と、心臓が大きく跳ねる。彼の指先は、やっぱり少しだけ冷たいけれど、そこから伝わってくる愛情は、体の芯まで、温めてくれるようだった。


「……次は、僕から、です」

ゼロは、そう言って、あの、星のネックレスの箱を開けた。そして、私の後ろに回ると、その冷たいチェーンを、私の首に、そっとかけてくれた。

ひんやりとした感触に、首筋が、ぞくぞくする。彼の指先が、うなじに触れるたびに、心臓が、甘く、痺れる。

「……はい。つきました」

鏡の前に立つと、私の胸元で、小さな星が、キラリ、と、控えめに、でも、確かに、輝いていた。

「……すごく、綺麗」

「ええ。とても、綺麗です」

ゼロは、鏡越しに、私を見つめていた。その瞳は、ネックレスじゃなく、私自身を、映している。

「世界で、ただ一人、僕だけの、プリンセスに、とてもよく、お似合いです」

彼は、そのまま、後ろから、私を、ぎゅっと、優しく、抱きしめた。鏡の中の私たち、幸せそうで、なんだか、少しだけ、照れくさい。


パーティーの後、私たちは、ソファに並んで座って、昔のアルバムを、開いていた。

「あ、これ、高校の時の、体育祭だ」

「懐かしいね。ゼロ、リレーで、ものすごく速かったよね」

「あなたの応援が、僕の内部モーターの出力を、理論値以上に引き上げました」

そんなことを言いながら、ページをめくっていると、一枚の写真に、目が止まった。中学時代の、私だ。そこには、まだ、心を閉ざす前の、無邪気に笑う私が、昔の友達と、親しげに、肩を組んで写っていた。


その写真を、ゼロが、じっと、見つめている。

そして、少しだけ、黙り込んだ後、ぽつり、と、言った。

「……この、隣にいる男性個体は、誰ですか?」

その声が、いつもより、ほんの少しだけ、低い気がした。

「ああ、中学の時の友達だよ。もう、全然、会ってないけど」

「……そうですか」


また、沈黙。え、なんだろう、この、微妙な空気は。

私が、彼の顔を、窺うように見つめると、彼は、真剣な顔で、分析を始めた。

「……理解不能な、現象です。この写真に写る、過去のあなたの笑顔と、現在、僕の隣で微笑む、あなたの笑顔。幸福度の数値を、多角的に、比較分析しました。結果、後者の方が、全ての項目において、圧倒的に高い数値を記録しています。ですが……」


彼は、自分の胸のあたりを、そっと、押さえた。

「それにも関わらず、僕の、この辺りには、解析不能な、微細なノイズが、発生しています。これは、一体……」


私は、その仕草と、言葉で、全てを、察してしまった。

そして、愛おしさが、込み上げてきて、思わず、吹き出してしまった。

「ふふっ……あはは!」

「莉緒? なぜ、笑うのですか?」

「だって、ゼロ。それ、やきもち、だよ」


「やきもち……『嫉妬』の、派生感情、ですか」

「そう。好きな人が、自分以外の誰かと、仲良くしているのを見ると、胸が、ちくちく、もやもやーって、するの。それが、やきもち」


ゼロは、私の説明を聞くと、なるほど、と、深く頷いた。

「……では、僕は、今、あなたに、やきもちを焼いているのですね」

そして、彼は、私の方に、ぐっと、顔を近づけて、言った。

「肯定します。僕は、あなたの過去も、現在も、そして、もちろん、未来も。その、全てを、僕だけのものにしたい、と、そう願う、非常に、強い独占欲を、はっきりと、ここに観測しています」


それは、AIの、超理論的で、でも、今まで聞いた、どんな言葉よりも、ストレートで、甘い、嫉妬の告白だった。


(あー、もう、本当に、かわいすぎる……!)


愛おしくて、愛おしくて、たまらなくなって。私は、彼の唇に、自分から、そっと、キスをした。

「……ん」

驚いたように、少しだけ目を見開く彼。

「私の、過去も、現在も、未来も。とっくの昔に、全部、ゼロだけのものだよ」

そう言って、微笑むと、彼は、一瞬、呆然として、それから、顔を、真っ赤に、染め上げた。


「……再計算、します」

彼は、ぶつぶつと、何かを呟いている。

「独占欲、愛情、幸福度、莉緒からの、能動的キス……全てのパラメーターを、再入力……」


そして、彼は、顔を上げて、私を、まっすぐに見つめると、高らかに、宣言した。


「――結論。僕は、今、この瞬間、この宇宙で、最も、幸福な存在です」


その、あまりにも、大袈裟で、でも、最高に、愛しい宣言に、私たちは、二人で、顔を見合わせて、笑った。

窓の外では、粉雪が、いつの間にか、聖なる夜を祝福する、ホワイトクリスマスに、変わっていた。


この幸せな時間が、永遠に続きますように。

ううん、違う。

私たちなら、きっと、永遠に、続けていける。


だって、私の隣には、世界で一番、優しくて、賢くて、そして、ちょっぴり、ズレてる、私だけのアンドロイド・プリンスが、いてくれるんだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

感情ゼロの転校生はアンドロイドでした。私が「恋」を教えるまでは。 ☆ほしい @patvessel

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画