第四章 第三話


 伊智いちが予想した通り、侑季ゆきは自分の部屋にまだいた。

 襖越しに声をかけると、中から元気な返事があり、足音が聞こえてくる。すぐに襖が開き、侑季ゆきが顔を出した。


「お、なつめ。どうしたの?」

「急にごめんなさい。出かけるところだった?」


 侑季ゆきは余所行きの格好に着替えていて、いつもより華やかな髪飾りで髪が結ばれていた。ぴんと立った三角の耳には耳飾りが付いている。


「ああ、いいの。急ぎの用じゃないんだから。あら、そちらさんは?」


 侑季ゆきは、駒子こまこも一緒なことに気づき首を傾げる。


「この子は、駒子こまこちゃん。わたしが担当しているお客さんなの。それで、ちょっと侑季ゆきさんに聞きたいことがあって」

「そうなの。立ち話もなんだし、入って入って」


 そう促され、なつめたちは部屋に足を踏み入れた。

 お香の残り香だろうか、甘くてどこか懐かしい匂いが部屋に漂っている。鏡台や棚の上には雑多な小物が並んでいて、よくわからない木彫りの像まで置いてある。物に溢れているけれど、散らかっているという印象は受けず、むしろ洒落ていると感じた。好きなものに囲まれて暮らしたいという願望が詰め込まれた部屋だ。

 出してもらった座布団に腰を下ろし、なつめ駒子こまこの事情と、侑季ゆきのところへきた理由を説明した。


「なるほどねぇ。それならさ、私の服を貸すから、私に選ばせてくれない?」


 静かに耳を傾けていた侑季ゆきは、話を聞き終えるとそう言い出した。


「服なら、いっぱいあるし! ね、お願い!」


 ついには、両手を合わせて必死に頼み込み始める。あまりの勢いに、なつめ駒子こまこも面食らって体を少し後ろに引いた。それから二人で顔を見合わせる。本当はいい服屋などを聞くつもりだったのだけれど、駒子こまこさえよければ侑季ゆきに見繕ってもらうのはとてもいい案だと思った。判断は任せるというように頷くと、駒子こまこ侑季ゆきに向き直る。


「あたしは、そうしてもらえるなら、すごくありがたいです。むしろ、こっちからお願いしてくらいです」


 駒子こまこが嬉しそうにそう伝えると、その何十倍もの大きさで侑季ゆきは喜んだ。


「本当!? やったぁ! ずーっと誰かの服を選んだり、着せたりしてみたかったの!」


 これで夢が叶うとばかりに、侑季ゆきは両手を祈るように組んで嬉々としている。


「髪も化粧も任せて! すれ違う人がみんなが振り返るくらい、可愛くしてあげるから!」


 侑季ゆきは立ち上がると、さっそく箪笥の中を漁り始めた。様々な柄の着物や色とりどりの帯が次々と畳の上に広げられていく。侑季ゆきは箪笥だけでは飽き足らず、押し入れからもあれこれ引っ張り出し始めた。

 侑季ゆきは、夢中になったら周りが見えなくなるらしい。これは、少し時間がかかりそうだ。駒子こまこも同じことを察したのか、なつめに話を振った。


「ねえ、なつめちゃん。さっき廊下で会った狐族の従業員さん、いるじゃない?」

「うん、伊智いちのことかな?」

「そうそう、伊智いちさん。なつめちゃんは、伊智いちさんのことが好きなの?」

「えっ……!?」


 なつめは、自分でもびっくりするくらい大きな声が出た。駒子こまこは期待するような眼差しで、なつめの返事を待っている。


「ち、違うよ。伊智いちは、そういうんじゃないよ……友達としては、もちろん好きだけど」


 言いながら、頬が勝手に熱くなっていく。正直に答えたはずなのに、心に引っかかるものがあった。


「えー、そうなの? 絶対に好きだと思ったんだけどなぁ」


 駒子こまこは、疑うような目をなつめに向ける。

 すると、服しか眼中にないと思っていた侑季ゆきが、押し入れから顔を出して振り返った。


「なに、なつめはやっぱり伊智いちなの?」


 ちゃんと話は耳に入っていたようで、会話に参加してくる。それにも驚いたけれど、侑季ゆきの反応も意外だった。


「やっぱりって……侑季ゆきさんまで……」


 まるで、前からなつめ伊智いちのことが好きなのだろうと思っていた、みたいな言い方だ。確かに他の人より伊智いちと一緒にいる時間のほうが長いし、最近では用がなくてもつい伊智いちの姿を探してしまう。でも、それはあくまで友だちとしての好きで、恋心だとは考えたこともなかった。


「自覚がないだけじゃない?」


 隣から駒子こまこが言う。


「自覚……?」


 そう言われても、よくわからなかった。これが恋だと、どうやって自覚するものなのだろう。


「じゃあ、今からだ。きっと、なつめちゃんは伊智いちさんのことが好きだよ。っていうか、好きになればいいよ。好きになれ~、好きになれ~」


 駒子こまこは両手を顔の前で広げて、指をうにゃうにゃと動かしている。まるで、呪文を唱えて洗脳でもするように、何度も「好きになれ~」と繰り返した。


「もう、なんでそんなに好きってことにしたいの」


 気恥ずかしさを誤魔化すように、ちょっとむくれながらなつめが抗議する。


「だってさ、恋をしている時間ってすごく楽しいじゃん。ああ、この人が好きなんだって気づいた途端、世界がきらきらし始める感じ! なつめちゃんの世界もそうなればいいなって思うんだ」


 駒子こまこの笑顔は、その言葉を体現するように輝いていた。きっと、駒子こまこは素敵な恋をしてきたのだろう。

 そのとき、侑季ゆきが突然声を上げた。


「そうだ、なつめ! なつめも一緒に、おしゃれしていきなさい。服も髪も化粧も、私がやってあげる!」

 

 すると、駒子こまこまで「いいね、そうしよう!」と乗っかった。


「え、わたしはいいよ! 仕事中だし……」

「じゃあ、あたしからのお願いってことにすればどう? なつめちゃんが一緒におしゃれしないと、心残り増えちゃうなぁ~」


 そう言われると、無下にできなくて困ってしまう。


「そうだよ、なつめ。お客様の望みはできるだけ叶える。それがうちの鉄則でしょ?」

侑季ゆきさんは、服を選びたいだけでしょう?」

「それは否定しない! いつかなつめにも、いろいろ着せたいなぁって思ってたの。なつめに似合いそうな服がこっちに……あった、これこれ! あ、こっちもいいな……」


 侑季ゆきにはなつめの反論を聞く耳はもうないようで、服選びに集中しきっている。駒子こまこも楽しそうにしているので、なつめもそれ以上は何も言わず、流れに身を任せることにした。

 服が決まると、そこからは早かった。侑季ゆきは二人の髪から化粧まで手際よく仕上げていった。


「よし、できた。うん、二人ともすっごく可愛い!」


 侑季ゆきは満足そうに二人を眺め、それから鏡の前へと促す。

 鏡の前に立つと、なつめ駒子こまこも同時に感嘆の声が零れた。侑季ゆきが選んでくれたのは、華やかな柄が散りばめられた振袖と鮮やかな色の袴だ。なつめが暮らしていた和の地では、女性が袴を着るのはほんの限られた祝いの日だけで、侑季ゆきが着ているのを見てから実はずっと憧れていた。髪もこんな短時間でやったとは思えないほど綺麗な編み込みがされている。化粧をするのは、生まれて初めてだ。なつめは新鮮な気持ちで、鏡の中の自分と見つめ合っていた。

 二人が体を捻っていろいろな角度から確認している間に、侑季ゆきは窓際の鉢植えから花を摘んだ。


「はい、ちょっと頭貸して」


 侑季ゆきが近づいてきて、その花を髪に差し込む。鏡を見ると、桃色の花が耳の上に咲いていた。

 すると、駒子こまこが鏡を覗き込んで声を上げる。

 

「あ、アネモネだ。もらっちゃっていいんですか?」


 どうやらアネモネという花らしいが、なつめには聞き馴染のない名前だった。

 

「いいのよ。宿の女の子たちのために育てておいたものなんだけど、いっぱい咲いたからおすそ分け。それがないと始まらないからね」


 何やら意味ありげな言い方だった。駒子こまこはわかっているようで、照れくさそうに笑っている。半妖の世界では何か特別な意味を持つ花なのだろうか。


「ほら、せっかくめかし込んだんだから、こんなところにいないで、さっさと想いを伝えてきなさい」


 手で追い払うような仕草をしながら、侑季ゆきが言う。


「はい、がんばってきます! 侑季ゆきさん、ありがとうございました」


 駒子が深々と頭を下げるのに続いて、なつめもお礼を伝える。


侑季ゆきさん、本当にありがとう。今度何かお礼をさせて」

「いいのよ。私のほうが楽しませてもらったから」


 最後に草履を履かせ巾着まで持たせ、侑季ゆきは二人を部屋から送り出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る