第四章 第二話


「それで、どこに行くの?」


 一緒に部屋を出て廊下を歩き出すと、駒子こまこが尋ねる。


「台所だよ」


 答えを聞いた駒子こまこは、眉を寄せて首を捻る。


「おしゃれをするのに、どうして台所なの?」

「ここの料理人をしている侑季ゆきさんって人が、すごくおしゃれに詳しいの」


 侑季ゆきはこの宿で働く半妖で、副料理長の肩書きを持っている。男の人ばかりの厨房でちゃきちゃきと働いて、後輩からも慕われている。仕事っぷりは男勝りだけれど、髪留めはいつも少し凝ったものをつけているし、可愛いものに目がない。休みの日に出かけていくところに出くわしたこともあるが、華やかな着物に身を包んだ姿が美しくて、つい見惚れてしまったくらいだ。


「これも、侑季ゆきさんがくれたものなんだよ」


 なつめは頭を少し傾けて、髪を結んでいる髪紐を見せた。先日、髪紐が切れてしまったことを話したら、似合いそうなものを見つけたからと言って侑季ゆきが買ってきてくれたのだ。

 美しい色合いの紐で編みこまれた髪飾りは、簡素だけど上品だった。話しているうちに、今朝わくわくしながら初めて付けた気持ちが蘇ってくる。


「あと、侑季ゆきさんはね、駒子こまこちゃんと同じ猫族だよ」

「そうなんだ。会うの楽しみ」

「町によく買い物に行ったりしてるみたいだから、お店とか聞いてみようかと思うの」

「え、お店があるの?」


 目を丸くする駒子こまこを見ながら、なつめは少し前の自分を思い出して苦笑した。

 初めてここへ来た人にとっては、ここがどんな場所なのかまるでわからないものだ。外から来たなつめだって、最初は驚くことばかりだったのだから、お客さんにとっても同じだろう。外がどうなっているのかなんて、まるで想像もつかないはずだ。


「この宿があるところは、小さい島なんだ。数は少ないけどお店もあって、ちょっとした温泉街みたいになってるの」

「へえ、ここって本当に不思議なところだよね。うっかりすると、まだ生きててちょっと遊びに来ただけって勘違いしちゃいそう」


 そんな話をしながら廊下を進んでいると、反対側から伊智いちがやって来るのが見えた。駒子こまこに気づいた伊智いちは会釈だけして通り過ぎようとするが、なつめはちょうどいいと思い呼び止めた。


伊智いち、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」

「ん? なあに?」


 なつめ伊智いちが足を止めたので、駒子こまこもそれに倣う。駒子こまこは興味深そうに、大きな瞳で伊智いちのことを眺めている。


侑季ゆきさんって今日、お休みか知ってる?」


 今朝、用事があって台所に寄ったけれど、侑季ゆきの姿はなかった。たまたまいなかったのか、休みの日なのか確かめたかったのだ。休みなら台所に行くのは無駄足になる。


「ああ、侑季ゆきさんなら休みだって、料理長が言ってたよ」


 やっぱりかと納得しつつ、休みとなると別の心配が出てくる。


「そうなんだ。じゃあ、もう出かけてて宿にいないかも……」

「何か用事? さっき庭ですれ違ったから、まだ部屋にいるんじゃない?」

「本当? よかった。ありがとう」


 笑顔でお礼を言うと、伊智いちはじっとなつめのことを見つめ返す。

 なんだろうと思っていると、伊智いちの手が伸びてきた。指が髪に触れそうになるが、伊智いち駒子こまこの視線に気づきハッとして腕を下げた。


なつめ、そんな髪紐、持ってたっけ?」

「え、ああこれ? 実は侑季ゆきさんから、もらったものなの。可愛いでしょ?」


 なつめはドギマギしながら慌てて答える。


「うん。か……」


 伊智いちは何かを言いかけて、口を開けたまま固まってしまった。頭の上の耳が、ひょこひょこと左右に揺れている。その仕草になぜか伊智いちが照れているのだとわかり、つられてなつめまでなんだか気恥ずかしくなる。


「……うん。いいと思う」


 伊智いちはそう言い直して、目を逸らした。


「あ、ありがとう」

「じゃあ、仕事に戻るね」


 伊智いちは、さっと背中を向けて去っていった。


「待たせてごめんね。行こっか」


 駒子こまこに声をかけて、なつめたちも再び廊下を歩き出した。

 なんだか最近おかしい。なつめは胸に手を当てて、そっと息をつく。

 この頃、伊智いちといるとやけに心臓が騒がしい。伊智いちと一緒にいる時間は楽しくて、傍にいると落ち着く。それなのに、ときどき地に足がついていないんじゃないかと思うくらい、体がふわふわする時がある。

 素っ気ない態度は相変らずだけど、それが伊智いちの自然な姿だと今では思えるし、その中でも時折優しさを感じることがある。むしろ、そういう優しさを垣間見た時に、どうしたらいいかわからなくなって、いつもみたいに話せなくなる。

 なつめは思わず零れそうになったため息を、ぐっと呑み込んだ。今は仕事中なのだから、駒子こまこのことに専念するべきだ。

 気持ちを切り替えて隣を見ると、駒子こまこはなぜかニヤニヤと口元を緩めていた。


「どうしたの、駒子こまこちゃん」

「ううん。なんでもない。楽しくなってきたなぁって思って」


 駒子こまこは、歌でも口ずさみそうなほど機嫌がいい。

 そんな駒子こまこの横顔を見ながら、なつめはただ首を捻ったのだった。 

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