第四章 第四話


 初めて着る袴は意外と動きやすかった。華やかな色や柄も相まって、自然と足取りが軽くなる。

 まさか自分まで着飾ることになるとは思ってもみなかったけれど、町に行って買い揃える時間を節約できた。駒子こまこが相手を呼び出して想いを伝え、一緒に過ごす時間が増えたことになる。


駒子こまこちゃん。今からお相手の人を呼ぶね」


 侑季ゆきの部屋を後にしたところで切り出してみるが、駒子こまこは少し考えているようだった。


「それなんだけど……もう少し、この宿を探検してからでもいい?」

「え、でも……」

「ね、お願い。ちょっとだけだから!」


 なつめの手を取って、駒子こまこはぐんぐんと廊下を進む。

 駒子こまこの要望通り、なつめは宿の中を案内して回った。けれど、駒子こまこはどこか別のことに関心を向けているようで、何か探しているのか辺りをきょろきょろしていた。

 そして、庭の横を通ろうとしたときだった。駒子こまこは獲物を見つけたと言わんばかりに目を光らせた。その視線の先では、伊智いちが洗濯物を干している。


「わあ、素敵なお庭だなぁ」


 駒子こまこが棒読みで言いながら、なつめの手を引いて庭へと入っていく。庭といっても、池などがある大きな庭園からは離れていて、素敵というにはほど遠い殺風景な場所だ。

 駒子こまこは、まっすぐに伊智いちのもとへと向かっていく。

 なつめたちの足音に気づいた伊智いちは振り返り、最初は不思議そうな顔をした。それから、近づいてくる二人がなつめ駒子こまこだと気づき、目を瞬いた。


「え、なつめ……? どうしたの、その格好」


 伊智いちはぽかんとして、洗濯物を手にしたまま固まっている。成り行きを知らないのだから、当然の反応だ。


「えっと、これは……」


 どこからどう説明すればいいのだろうと躊躇っていると、駒子こまこが間に入る。


「あたしに付き合ってもらって、一緒におしゃれしたんです」


 それから、なつめの後ろに回って肩を掴み、伊智いちに問いかける。


なつめちゃん、すごく似合ってますよね?」

「うん、似合ってる」


 伊智いちは、照れくさそうにしながらもはっきりと言った。


「ありがとう。侑季ゆきさんから借してもらったの。やっぱり侑季ゆきさんが選ぶものって、どれも素敵だよね」


 褒められているのはあくまで着物ということにして、なつめは返す。

 すると、駒子こまこがもう一度、伊智いちに投げかけた。


「可愛いですよね? なつめちゃん」

「………うん……可愛い」


 伊智いちが耳を左右に揺らしながらも、なつめの目をまっすぐに見て言った。一気に頬が熱を帯びていくのを感じて、なつめはさっきよりずっと小さい声で「ありがとう」と返す。

 いつまでも注がれていた伊智いちの視線が、ようやく少し横に逸れる。


「それ、アネモネの花じゃ……」

「あ、うん。そういう名前みたいだね」


 なつめは自分の耳の上に付いている花にそっと触れた。伊智いちも知っているということは、それだけ有名な花なのだろうか。

 

「そっか。なつめちゃんたちの世界にはない風習なのかぁ」

「風習?」

「あたしたちの世界には、女の子が好きな相手に想いを伝える日があるの。その日は、この桃色の花を付けておいて、それを相手に渡すんだよ。本当はもう少し先なんだけど、侑季ゆきさんが気を利かせてくれたみたい」

「そうだったんだ」


 ようやくさっき駒子こまこ侑季ゆきが意味ありげに話していたことが腑に落ちる。

 話を聞きながら、素敵な風習だなと思う。そういう特別な日があれば、普段は伝えられない気持ちを伝えやすくなるだろう。花を渡せば自然と気持ちが伝わるというのもいい。

 初めて知る風習に感心していると、伊智いちが疑問を口にする。


「どうして、なつめまで付けてるの?」

「え?」


 言われてみればそうだ。風習とその意味を知った今、髪に付いている花はただの飾りではなくなってしまった。

 思い出すのは、侑季ゆきの言葉だ。「さっさと想いを伝えてきなさい」、そう言って送り出された。あれは駒子こまこに向けたものだと思っていたけれど、もしかしたらなつめへの言葉でもあったのではないか。そんな考えが浮かんでくる。

 侑季ゆきは、おそらくなつめ伊智いちのことを好きだと思い込んでいる。

 違うって言ったのに。そう言いたくなるのを呑み込んで、なつめは苦笑を浮かべた。


侑季ゆきさんが、気を遣って付けてくれただけじゃないかな。わたしだけないと、頭が寂しいし。それか、駒子こまこちゃんとお揃いにしようとしてくれたとか」

「ふうん……」


 適当な言い訳を並べてみるが、伊智いちは納得いっていないようだった。

 微妙な空気が流れ始めたところで、それを断ち切るように駒子こまこが「そうだ!」と声を上げた。


「あたし、これから好きな子を呼んでもらって、告白するつもりなんです。だから、これから町で“でぇと”しようと思って!」

「“でぇと”?」


 そう聞き返したのはなつめで、伊智いちはわかっているようだった。


「あ、“でぇと”は、恋人同士で一緒に出掛けることを言うんだよ。最近だと、友だち同士の場合でも使うみたいだけど……」


 どうやら、人間の世界で言うところの逢引きや逢瀬のようなものらしい。意味はわかったけれど、出掛けるつもりだというのは初耳だ。

 なつめへの説明を挟んだ後で、駒子こまこが続ける。


「二人っきりじゃ心細いんで、なつめちゃんと伊智いちさん、付いてきてくれませんか?」

「待って。わたしは担当だし、もちろんいいけど、伊智いちは……」

「いいよ」


 被せるように伊智いちが言う。


「本当ですか? やったぁ」


 駒子こまこが、両手を顔の前で合わせ喜ぶ。


「でも、伊智いち、仕事があるんじゃ……」

「今日は担当客いないし、手も空いてるから大丈夫。一応、兆司ちょうじさんには許可もらってくるけど」

「そっか。ありがとう」


 正直、伊智いちが傍にいてくれるなら心強い。あまり町や店には詳しくないし、駒子こまこのことで何かあった時に相談もできるだろう。


「楽しみだね、なつめちゃん。二人ずつで出掛けることを“だぶるでぇと”って言うんだよ」

「そうなんだ。でも、わたしたちは仕事で一緒に行くだけだからね」

「はぁい、わかってるよ」


 念を押しつつも、本当のことを言えば、伊智いちと一緒に出掛けられるのは嬉しかった。

 浮かれそうになっている自分に気づき、なつめは必死で頭の中から雑念を振り払う。

 仕事で行くだけ。浮かれないように自分に言い聞かせるため、なつめは心の中でそう繰り返した。


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