第六話∶カリスマ、帝都に彩を

久遠寺財閥の新化粧品、「暁の香(あけぼのこう)」を取り巻く状況は、劇的に変化した。凛が提案し、暁人が半信半疑ながらも許可した広告と販売戦略は、それまで鳴かず飛ばずだった商品の売り上げを、瞬く間に押し上げたのだ。新聞に掲載された、明るい光の中で微笑む女性の広告は、伝統的な墨一色の広告が多かった中で、異彩を放った。「これぞ美しき大正乙女」と題されたその写真と、「あなたの肌に、暁のような輝きを」というコピーは、特に新しいものに関心のある若い女性たちの心を掴んだ。さらに、百貨店の店頭に設けられた小さな試用コーナーは、実際に商品を手に取って試せる場として好評を博し、「久遠寺の新しいおしろいは、肌馴染みが良い」「白くなりすぎず、自然な仕上がりだ」と、良い評判が立ち始めた。

久遠寺家の人々、特に事業に関わる男たちの間では、凛に対する評価がまるでひっくり返ったかのようだった。以前は病み上がりの客人、という扱いで、どこか遠慮がちに接していたのが、今では誰もが彼女のアイデアの斬新さと効果に舌を巻き、深々と頭を下げて礼を言う。女将さんや、いつも帳簿と睨めっこしている厳格そうな番頭までが、「橘様は、まさに久遠寺の救世主様だ」と口々に讃えた。

(うわ…なんか、すごいことになっちゃった…)

内心では、自分が令和の知識を使ったという後ろめたさもある。しかし、目の前で喜ぶ久遠寺の人々を見ていると、悪い気はしなかった。自分が役に立てた、この時代で自分の力を発揮できたという事実は、異世界に放り出された不安を、ほんの少しだけ和らげてくれた。

この成功を機に、暁人は凛に対して、さらに深い信頼を寄せるようになった。彼は、もはや探るような視線ではなく、知己を得た者同士のような、対等な眼差しで凛を見つめる。そして、久遠寺財閥の今後の事業について、凛の意見を求めることさえあった。

「君は、消費者の求めるものを理解する力があるようだ。特に、女性の心を読むことに長けている」

ある日の午後、久遠寺の応接間で、暁人は凛にそう言った。淹れたての紅茶の香りが、部屋にふわりと漂う。この応接間は、和と洋が見事に融合した空間で、磨き上げられた木のテーブルや椅子、壁に飾られた西洋画、そして片隅に置かれた立派な生け花が、大正浪漫を感じさせた。

「いえ、そんな…ただ、私は流行りものが好きなので…」

謙遜する凛に、暁人は静かに首を振った。

「それは謙遜というものだ。私が知る限り、君ほど新しい風を取り入れる才覚のある者はいない。…正直に言えば、君のアイデアは、最初は荒唐無稽に思えた。広告に人を載せるなど、考えたこともなかった」

「ですよね、私も、どうかなって思ったんですけど…」

「だが、結果が全てを物語っている。君のおかげで、暁の香は息を吹き返した」

暁人の言葉に、凛は顔が熱くなるのを感じた。この、いつも冷静沈着な彼に褒められるのは、事業の成功とはまた違う嬉しさがあった。

「あの…その、暁の香なんですけど…もう少し、こうした方が、もっと良くなると思う点がいくつかあるんです」

勢いに乗って、凛は更なる提案を口にした。せっかく掴んだ機会だ。カリスマインフルエンサーとして培った、全てのノウハウを注ぎ込みたかった。

「ほう、聞かせてもらおうか」

暁人が、興味深そうに身を乗り出す。凛は、頭の中で整理していたアイデアを、一つずつ言葉にしていった。

「まず、この時代の化粧って、すごく白く塗るのが主流ですよね。歌舞伎役者さんみたいに、顔と首の色が全然違う、みたいな。もちろん、それが好きな方もいると思うんですけど…」

凛は、応接間に飾られた、少し前の時代の美人画に目を向けた。確かに、描かれている女性の肌は、絵の具のように真っ白だ。

「令和だと、もっと肌の質感を大事にするんです。ファンデーションも、自分の肌の色に合わせて、自然な感じに仕上げるのが主流で。今回の『暁の香』、白くなりすぎないのが良いって評判みたいなので、この『自然な仕上がり』を、もっとアピールできると思うんです」

「自然な仕上がり…?」暁人が首を傾げる。この時代、「美しさ=白さ」という固定観念が強いのだろう。

「はい。あの、なんて言うか…『厚化粧じゃない、素肌が綺麗な人に見える』みたいな。健康的で、明るい印象になる、っていうのを伝えるんです。そのためには、広告の写真も、モデルさんの肌の質感が伝わるように、もっとアップで撮るとか…」

凛は、さらに続けた。

「あと、この時代の化粧品って、種類が少ないですよね。特に色物とか。おしろいと、紅と、眉墨くらいで…でも、令和には、チークとか、アイシャドウとか、リップも色がいっぱいあって…メイクで色んな自分を表現できるんです!」

そこで、凛は少し躊躇した。この時代の女性のメイクは、清楚で控えめなものが良しとされている。華やかな花魁のような、目元を強調したり、唇を赤々と塗ったりするようなメイクは、特定の職業の女性がするもの、という認識が強いだろう。清楚な着物に、真っ白な肌、控えめな紅。それこそが、良家の女性に求められる美しさだ。

(でも、きっと、色んなメイクを楽しみたい女性もいるはず…! おしゃれに敏感な、大正モダンガールとか!)

大正浪漫という言葉のイメージの一つに、「モダンガール(モガ)」がある。西洋のファッションを取り入れ、カフェーに出入りするような、新しい時代の女性たち。彼女たちなら、きっと新しいメイクにも興味を持つはずだ。伝統的な和装に似合う清楚なメイクはもちろん、モダンな洋装に合わせた、もう少し華やかで、個性を引き出すメイクも提案できれば、化粧品の可能性はもっと広がる。そして、それはきっと、この時代の女性たちにとっても、新しい「自分らしさ」を見つけるきっかけになる。

「あの…もし、可能なら、なんですけど…『暁の香』のシリーズで、少し色のついたお粉とか、自然な赤ではない、色々な色の口紅とか、作れたら…」

凛は、久遠寺の持つ技術力なら可能かもしれない、という淡い期待を込めて提案した。例えば、肌色を補正するベージュやピンク、血色を良く見せるコーラル系のおしろい。そして、朱色や深紅だけでなく、もう少し柔らかい赤や、ローズ系、オレンジ系の口紅。アイシャドウは、いきなり派手な色は難しいかもしれないが、肌馴染みの良いブラウン系や、目元を明るく見せるクリーム系のものを、鉱物顔料などで再現できないだろうか。

暁人は、凛の言葉に静かに耳を傾けていたが、その瞳は興味と困惑の色が入り混じっていた。

「色つきの…おしろい?口紅に、赤以外の色…?それは、あまり聞いたことがない発想だな。この時代の女性は、白く清らかな肌を尊しとしているが…」

「はい。でも、美しさの基準って、一つじゃないと思うんです。白い肌も綺麗ですが、健康的で明るい肌も魅力的です。それに、和装には清楚なメイクが似合いますが、最近流行りの洋装には、もう少し顔立ちをはっきりさせるメイクの方が合うこともあります」

凛は、身振り手振りを交えながら説明した。まるで、目の前にいる暁人を、自分のフォロワーに見立てているかのようだ。

「例えば、モダンな洋装で街を歩く時、少しだけ目元に色を乗せたり、唇の色を工夫したりするだけで、印象が全然変わるんです。自信を持って、胸を張って歩けるようになる。メイクって、ただ顔を飾るだけじゃなくて、その人の気持ちを前向きにする力があるんです」

凛は、自分が普段から感じている「メイクの力」を語った。インフルエンサーとして、多くのフォロワーにコスメの魅力を伝えてきた経験に基づいている。

暁人は、凛の情熱に気圧されたのか、あるいは彼女の語る「色で表現する」という概念、そして「メイクが人の心に与える影響」という考え方に惹きつけられたのか、じっと凛を見つめていた。彼の冷徹に見える瞳の奥に、知的な光が宿る。

「…面白い。この時代の美の基準とは異なるが、君の言うことには説得力がある。久遠寺には、化粧品の開発に携わる化学者もいる。君のアイデアを、彼らに伝えてみよう。ただし…あまり突飛なものは、技術的に難しいかもしれんが」

「ありがとうございます!実現できる範囲で構いませんので、ぜひ!」

暁人のその言葉に、凛は心の中でガッツポーズをした。製品開発にまで関われるなんて、想像以上だ。自分が知る現代のコスメを、この時代の技術でどこまで再現できるのか。そして、それがこの時代の女性たちにどう受け入れられるのか。胸が高鳴った。

それから、凛は本格的に「暁の香」のプロデュースに関わることになった。久遠寺の研究所に連れて行ってもらい、白衣を着た化学者たちに、自分が思い描く化粧品のテクスチャーや発色、成分について説明した。天然の顔料や、当時入手可能な原料のリストを見ながら、現代のコスメに近づける方法を模索する。

「もっと、粒子を細かくして、肌に乗せた時にスッと馴染む感じがいいんです。鉛白は使わずに、もっと肌に優しい成分で…」

「色のバリエーションは、肌色に合うベージュ系とか、血色を良く見せるローズ系とか…派手すぎず、普段使いしやすい色がいいですね。唇の色も、肌馴染みの良いコーラルピンクとか、少し落ち着いたローズブラウンとか…」

化学者たちは、最初は「素人の娘に何が分かる」という顔をしていたが、凛の説明が論理的で、彼女の求める質感が明確であること、そして彼女自身がコスメに対する深い知識と情熱を持っていることに気づき、徐々に真剣な表情に変わっていった。彼らにとって、それは全く新しい発想であり、技術的な挑戦でもあった。議論を重ね、試行錯誤を繰り返す日々が続いた。

そして、凛はプロのモデルとして、百貨店との交渉にも同席した。久遠寺の番頭や、営業担当者と共に、帝都でも有数の百貨店の化粧品売り場を訪れる。重厚な扉を開けると、そこにはモダンな内装と、品の良い着物や洋装に身を包んだ女性客たちがいた。活気がありながらも、どこか上品な雰囲気が漂う空間だ。

この百貨店の支配人は、時代の変化に敏感な人物だった。彼は、最近「暁の香」が若い女性たちの間で評判になっていることを知っており、久遠寺からの売り込みに期待していた。

「橘殿には、広告の成功に加え、商品の改善、そして販売戦略まで、多岐にわたりご尽力いただいております」

暁人が、凛を紹介する。支配人は、若く美しい凛を見て、少し驚いた表情を浮かべた。

凛は、現代で場数を踏んできたモデルとしての自信を胸に、交渉に臨んだ。ただ商品を置いてもらうだけでなく、百貨店全体の売り上げにも貢献できるような、より大きな戦略を提案した。

「『暁の香』シリーズの新しい色を使ったメイクは、様々なファッションに合わせることができます。清楚な和装に合う、控えめな上品なメイク。そして、流行の洋装に合わせた、華やかでモダンなメイク」

凛は、事前に用意しておいたスケッチブックを開いた。そこには、彼女がイメージする、異なるファッションに合わせたメイクのイラストが描かれている。着物を着た女性が、肌馴染みの良いおしろいと、自然な紅で上品にまとめたメイク。そして、当時流行し始めていた、膝丈のスカートにブラウスといった洋装を着た女性が、少し色のついたおしろいと、ローズ系の口紅で顔色を明るく見せ、控えめながらも目元に柔らかな色を乗せたメイク。

「このように、メイクを変えることで、お客様は同じお洋服でも違う印象を楽しむことができます。私たちは、『暁の香』を通じて、お客様に新しい美しさの楽しみ方、そして、和装も洋装も自在に着こなす、新しい時代の女性像を提案したいと考えております」

凛は、支配人に向かって、力強く語った。それは、インフルエンサーとして、ライフスタイル全体を提案してきた彼女ならではの視点だった。化粧品は、単なる顔を白くするもの、ではなく、ファッションや生き方と結びつくものなのだ、と。

「ですから、化粧品売り場だけでなく、もし可能であれば、衣料品売り場と連携して、このメイクとファッションの組み合わせを提案するイベントなどを開催させていただけないでしょうか」

まさか、化粧品の売り込みに来た娘が、百貨店の衣料品部門にまで言及し、部門横断のイベントを提案するとは、支配人も、そして久遠寺の番頭たちも、誰も想像していなかっただろう。彼らは皆、目を丸くして凛を見ていた。特に番頭は、口をあんぐりと開けて固まっている。

しかし、凛の堂々とした立ち居振る舞いと、淀みない説明、そして何より彼女自身の持つ華やかなオーラに、支配人は引きつけられた。彼女は、この時代にはいないタイプの女性だった。自信に満ち溢れ、自分の考えをはっきり述べ、そして圧倒的な美しさを放っている。まるで、未来から来た、新しい時代の象徴のようだ。

「…なるほど。化粧品と衣料品…全く新しい発想ですな。しかし、確かに、お客様は化粧と衣装、両方を含めて自身の装いを考えるものです。そこに新しい提案ができれば…」

支配人は、腕を組みながら唸った。彼の頭の中で、新しいビジネスの可能性が広がっているのが分かった。隣にいた久遠寺の番頭は、不安そうに凛と暁人の顔を見比べている。彼の常識では考えられないことだったのだろう。

暁人は、凛の提案を聞きながら、静かに微笑んでいた。それは、彼女の並外れた行動力に対する驚きと、そして、彼女への信頼が確信に変わったことによる、複雑な感情が混じった微笑みだった。彼の瞳には、未来を見据えるような強い光が宿っている。

「支配人、いかがでしょう。橘殿が仰せになる通り、久遠寺としても、最大限の協力を惜しみません。新しい時代の美しさを、共に提案していきませんか」

暁人が頭を下げると、百貨店の支配人も、この若い財閥の跡取りが、一介の客人の意見をここまで尊重し、共に事業を推し進めようとしていることに感心し、真剣に検討することを約束した。

こうして、凛は久遠寺財閥の事業再建に、そのカリスマインフルエンサー、モデルとしての全てのスキルを注ぎ込んでいった。新しい「暁の香」シリーズは、自然な仕上がりのおしろいに加えて、肌馴染みの良いチークカラーや、数色のリップカラー、そして目元に深みを与えるアイカラーといった、この時代としては画期的なラインナップとなった。

新しい広告は、帝都の街角や新聞、そして女性誌を飾り、和装、洋装それぞれの美しさを引き出すメイクが提案された。百貨店の店頭では、凛自身が(人目を忍びながらではあったが、その姿はすぐに噂になった)メイクデモンストレーションを行い、その周りには多くの女性が集まるようになった。彼女のメイク術は、「顔色を明るく見せる」「目が大きく見える」と評判になり、瞬く間に女性たちの間で広まった。

この総合的なイメージ戦略は、見事に成功した。久遠寺の化粧品事業はかつてないほどの活況を呈し、「暁の香」は飛ぶように売れた。そして、化粧品だけでなく、広告や店頭での提案を見て「あの洋服を着て、あのメイクをしてみたい」と思った女性たちが、百貨店の衣料品売り場にも足を運ぶようになった。結果として、百貨店全体の売り上げも押し上げることになり、支配人からは久遠寺に感謝状が送られるほどだった。

凛の存在は、久遠寺家にとって、もはや単なる客人ではなかった。彼女は、久遠寺に新たな繁栄をもたらした「福の神」であり、停滞していた事業に新しい風を吹き込んだ「賢婦」と見なされるようになった。

その過程で、凛と暁人の距離は急速に縮まっていった。ビジネスパートナーとして、互いの才能を認め合い、困難を乗り越えた絆。そして、共に新しいものを創造する喜びを分かち合ううちに、人として惹かれ合う気持ちが、二人の間に芽生え始めていた。暁人が凛を見つめる瞳には、尊敬と感謝に加え、明らかに温かい光が宿るようになっていた。それは、この時代に現れた、あまりに異質で、あまりに魅力的な女性に対する、偽りのない愛情の光だった。

凛もまた、暁人の知性、誠実さ、そして普段の彼の重圧を知るにつれて、彼の内面に深く触れることになった。彼の傍にいる時の安心感、そして、共に未来を語り合う時の高揚感。それは、遠い過去への郷愁を、少しだけ忘れさせてくれるものだった。


(第七話へ続く)


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