第3話
黒鵜本家の離れに案内され、夕食もそこで一人摂ることになった。春奈ちゃんはしきりに、騒ぎ立てないように、と言っていたけれど、一体何のことだったのだろう。ご飯に味噌汁、漬物に魚と芋の煮っころがしと言うシンプルながらも美味しい夕食だっただけに、何を騒ぎ立てれば良いのか分からなかった。携帯端末を充電して、パジャマ代わりの半袖と短パンに着替え、コンタクトレンズを外し、立ち上がり紐を引くタイプの古い電灯を引っ張って消す。さて、と思えば九時だった。まだまだ寝るには早いけれど、テレビもないし良いだろう。
ネットでラジオを流せばそれも良いだろうけれど、私は明かりと雑音があると眠れない性質だった。だけに、村のしんとした空気は眠りやすい。一日ミニに詰め込まれてたから疲れてるし、風呂も用意されなかったし、これは寝ても良いということだろう。
勝手に判断して私は目を閉じた。時間は九時十五分、随分早いけれど眠気はある。布団はちょっと湿気ていた。暫く使っていなかったのだろう。シーツだけはぱりっとしているから、それは助かった。長い髪は三つ編みにしてある。染めると後が面倒なので真っ黒だ。肌も滅多に外に出ないから白い方だと思う。
闇に浮かぶ自分の色彩は白黒なのだろうな、と他愛もないことを考えていると、障子戸からキシ、キシ、と音が響いた。
足音だ。誰かが離れに向かってきている。離れはこの部屋一間しかないから、私の元へやってきていると見て良いだろう。春奈ちゃんの言葉に従って寝たふりを続けていると、す、っと障子戸が開いた。音がしないように蝋を塗っているのだろうか、さて何者か。何をしに来たのか。こんな明かりもない部屋で、何が出来るつもりなのか。
そ、っと布団を剥がれると、ちょっと冷える。横向きに寝ていた身体をころんっと仰向けにされた。目は閉じたまま、呼吸も乱さずに、私は寝入っている振りをする。すると胸に、ふに、と指がめり込んでくるのを感じた。
あまりない上に仰向けだから分からないけれど、一応ブラもしているしそれはある。それから触れられたのは、性器だった。
こちらもふに、と確認するだけのように触れて来る。春奈ちゃんの助言がなければ叫んでしまいそうだったが、薄く開けた目に入って来たのは能面だった。おかめ。それと直垂姿。闇に目が慣れているからそれは分かった。何しろ真っ白な装束と仮面だったから、私の悪い目にも分かったのだ。
ふう、と息を吐いておかめは私に布団をかぶせ、何事もなかったかのように去っていく。声を掛けるかどうか迷って、結局そうはしなかった。分かったのは相手が女の人だったということだけ。シャンプーとコンディショナーの匂いがした、しかもフローラル系の。そして若い人だったことも分かる。私を起こす手付きが危なげなかったからだ。
さて、しょっぱなの夜から痴漢に出会ってしまったが、これはどういうことなのだろう。客人の性別を判断するのが目的、ということなのだろうか。でも何で? どうして? 私が男だったらどうなっていたんだろう。種馬として飼われることにでもなったのだろうか。人口の少ない村。生まれるのは女ばかり。男の子は遥くんぐらいしかいない。
男は欲しい所だろう。男手も、欲しい所だろう。だけど村に居るのは老人ばかり。次の世代はすっぽり抜けている。その次の世代も、少ない。おまけに三人殺されている。だけどその片割れは晴れ晴れとした顔で女装を楽しんでいた。抑圧された何とかなんだろう。そう言うものはあると聞いたことがある。
じゃあ男装させられていた三人が手を組んで、女装している方を殺したのだろうか。それはちょっと考えにくかった。亡くなった三人は確かにラブレターを貰ったり、恋人が出来たり、青春を謳歌していたのだという。対して男装している三人はそう言った事は出来ず、上はセーラー服だけれど下はズボンと言う生活だったらしい。女として見て貰えない、のは、確かに思春期の少女にはストレスだろう。
でも、だからって共謀して殺すのはちょっと話が飛んでいる。年も違うし、同じ村に住んでいること以外共通点もない。否、男装を強要されているのは共通点か。でも計画を練るのに落ち合うような場所、こんな透明度の高い村にはないだろう。
それに、私の性別を調べに来たおかめ。あれも誰だか分からない。村の人間なのは確かだけど、私をどうするつもりだったのかは分からない。私が男だったら、そのまま乗ってくる予定でもあったのだろうか。強姦だ、それは。痴漢された後で言うのも何だけど、気分の良いものじゃない。
おかめと三人の男装の女性。この二つに何か共通点はないだろうか。髪は短かったかな。垂れては来なかった。でも元々村のお婆さんたちは髪が長い人が少なかったし、長いのなんて樹さんと愛理さんぐらいだろう。この二人は除外しても良いと思う。どちらかというと次に狙われそうだから。
男装を強要されて、それがまかり通っている村。面倒な事件に宛てられたような気もするけれど、今更だ、そんなのは。男手と婿が欲しい村。でも婿が欲しいなら、二十歳ぐらいで風習を抜け出した方が良いだろう。そうすれば女として見て貰えて、婿に来る男の可能性も増える。
何かのまじないだった? たとえば昔話のように、双子のどちらかを攫って行ってしまう死神がいたから、分からないように混ぜたとか。それが今でも頑なに守られている理由は謎だけれど、ない話じゃないだろう。だけど結果が村の衰退だとしたら、結局それに意味はなかったことになる。
春奈ちゃんと遥くんのご両親は、どっちが村の人だったのかな。明日聞いてみようと、今度こそ私は呼吸を深くして眠ることにした。考え事があると眠れない、と言う性質でなくて良かったと思う。図太いのだ、私は。五台が絡んだ事故の唯一の生き残りなのだから。その後も遺産目当ての親戚連中に殺されかけて来たのだから。そう言う図太い神経をしているのが、私なのだから。
「うちのお父さんとお母さんは、両方ともこの村の出身だよ」
駄菓子屋でアイスキャンディーを舐めながら、私たちは話をする。朝食は母屋で摂ることが許されたのだから、正式に私は客人として迎えられたということなのだろう。何がその切っ掛けかは分からないけれど。私が女だったから? 女だったらどうだって言うんだろう。むしろ男手のない村では男の方こそ重宝されるべきだと思うけれど。ああ、もしかして黒鵜さんの結婚相手の確認でもあったのかな。そんなつもりは毛頭ない。十以上も年が離れていたら、そんな感覚はないのだ。私の場合。
「二人は双子のきょうだいはいた?」
「お父さんにはお姉さんが、お母さんには妹がいたよ。どっちも嫁いで村からいなくなって、帰って来たのは小さい頃に何回か見たぐらい」
「お母さんと妹さん、どっちが男装してたの?」
「お母さん。だから今も男勝りに会社でしゃかりきに働いてて頼もしいって」
「そっか」
やっぱり女が多いなあ。どこからか胤を貰ってくるのに一時的に外に出した、ってこともありそうだ。そして娘たちはそのまま帰って来ない。外の価値観を知っていれば、この村が異常だと分かるからだろう。まして双子なんかが生まれた日には、目も当てられない。風習の犠牲になる。
でも春奈ちゃんと遥くんの二人は置いて行かれた。多分男女の双子だったからだろう。産み分けが上手く行けば、この村でも暮らしていける。そう言うことか。
「ところで春奈ちゃん、昨日のあれって何だったの?」
「え?」
「私の部屋に来たの」
「ああ、えっと」
ちょっと顔を赤くする春奈ちゃんである。
「こんな村だから本当の性別はちゃんと確認しないといけないらしくて、男の人だったら村の女の人とその、あのー」
「まあ分かった。女だったら?」
「何にもしない。でも、昔は村の男の人をあてがって監禁してたって話は、聞いたことがある」
「お婆ちゃんたちから?」
「うん……」
なるほど。やっぱり子供は欲しい訳か。となると二人の両親の新しい子供も双子にならないと良いな。だとしても男の子の方が良いのだろう。でも結婚できるような年頃の子供はいない。否、赤ちゃんだけど女の子の双子がいたんだっけ? 昨日は山に行っている、って会えなかった二人だ。
本当に女の子かどうかは知らないけれど、会っといた方が良いんだろうな。一応念のため。私はアイスキャンディーの棒をぺいっとごみ箱に捨てて、歩き出す。遥くんがまた手を繋いでくれた。春奈ちゃんが、どこ行くの、と訊いて来る。
「昨日会えなかった双子ちゃんとこ。本当に女の子なのか、気になってね」
「それは本当だよ、私おむつ替えたことある」
「両方?」
「片方……」
「名前は、なんだったっけ」
「桃ちゃんと桜ちゃん」
「桃だったら桃太郎の例もあるから男にも付けられる名前だね」
「そんな、」
「まあ何もなかったらそれでよしだよ。そうでなくっても、別にこの村のしきたりに干渉するわけじゃないしね」
「……てとりさんって変わってるね、みんなこの村の風習聞くと気味悪そうにするのに」
「まあ、そこは経験値の差かな」
「けいけんち?」
「辞書を引きたまえ、青少年たちよ」
スマホで調べるのがイマドキッ子らしいなあ、思いながら私は桜ちゃんと桃ちゃんの家に向かった。
今日は子守で留守、と言うことはないらしく、元気な泣き声が響いていた。こっちこっち、と回り込んで縁側に出ると、母親らしきちょっとくたびれたご婦人がおむつ替えをしている。おばさん、と春奈ちゃんが声を掛けると、彼女はびくっとした様子で肩を震わせた。新しいおむつを当てられているのは女の子だ。
「そっちが、桜ちゃんですか?」
「え? あ、は、はい。春奈ちゃん、そちらは?」
「探偵さんだよ、お兄ちゃんが東京から『とっておき』だって連れて来たの。足利てとりお姉ちゃん。桃ちゃんは?」
「まだおむつを替えてなくて――ちょっと向こう向いててくれる?」
「どうしてですか?」
「え?」
きょとん、とした顔のおばさんに、私は続ける。
「普通隠したいのは女の子の方だと思うんですけれど。桃ちゃんは何か、特別な理由でも? おむつかぶれが酷いとか、汗疹が出来ているとか」
「そ、それは、」
「それとも――付いてるものがあるとか」
さあっと顔を青くしたおばさんに、容赦なく桃ちゃんの泣き声が掛かる。ああ、と桜ちゃんのおむつを手早く捌いた後で、おばさんは――仕方なさそうに、桃ちゃんのおむつを外した。
そこに付いていたのは、やっぱり男性器だった。
「お願い春奈ちゃん、遥くん、この事は内緒にしておいて。せめてこの子たちが中学生になるまでは、隠しておきたいの」
「桃くんだった……でも、なんで?」
「男の子のいないこの村ではきっと桃は種馬扱いを受けてしまう。だから中学までに引っ越して、この村とは縁を切りたいの。幸い裏山にソーラーパネル設置業者が目を付けてくれているから、そのお金で」
「村を捨てるって言うの?」
「だって、でなきゃこの子はろくな恋愛も覚えられないもの! そんなの可哀想よ、村の女の子たちだって!」
わあっと泣き出したおばさんに、ぎゅっと音が鳴るほど手を握りしめたのは春奈ちゃんだ。でも分からないことも無いのだろう、こくんっと頷いて、遥くんにも向き直り、うん、と頷き合う。ろくな恋愛も。それは遥くんも同じことなのだろうか。思いながら私は自分の手を引いて出て行こうとする遥くんの横顔を見る。まだ幼い。でも興味の出る年頃になったら、村人を次々にあてがわれることになるのだろう。村の女の子たち相手に、させられることになるのだろう。あれこれと。恋も覚えないうちに。
自分たちの生活基盤を根本から変えても出て行こうとする一家がいれば、子供たちは置いて自分たちだけの生活を謳歌する親もいる。しかもまた子供を作って。男の子と女の子の双子として生まれた春奈ちゃんと遥くんは恵まれていたのだろう。男装させられることも無く、過ごして来られた。情緒がめちゃくちゃになるほど、追いつめられずに済んだ。
じゃあ、樹さんと潤さんは? 愛理さんと遊里さんは? ぐちゃぐちゃなメンタリティを背負ってしまった彼女たちは、どうだって言うんだろう。これからどうやって暮らしていくんだろう。何を背負って、暮らして行かなきゃならないんだろう。幼い頃の曖昧な順位付けから男として暮らしている潤さんと遊里さん。なんとかそれから逃れたけれど、双子のきょうだいがそんなことになってしまったことに罪悪感がないではないだろう樹さんと愛理さん。どうしたって、どうやったって、今更出来る事はないと諦めてしまっている? それとも、少しでも助けたいと思っている? どっちだろう。分からない。
分からないけれど、この村はひどくいびつだ。
滝に行こう、と春奈ちゃんに誘われて、私たちは山に向かう。
そう言えばそれが目的だったな、と思い出しながら。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます