第4話
山の滝は荘厳なものがあった。細かな水飛沫が顔に掛かるほど飛んでいて、ここから落ちたらまず助からないだろうな、と思わせられる程度。生きてても死んでても、落とされたら確実に助からない。舌は渦を巻いているようで、竜でも上って来そうな景観だった。
「ここから落ちたんだろう、って警察には言われてます」
「待って。凪さんは絞殺じゃなかったの?」
「いえ、こう、締め上げられてから――落とされたんだろうって。凪ちゃん小柄だったから、犯人の身長とかも分からなくて」
「第一発見者は? こんな山の中で」
「嵐ちゃんです。凪ちゃんと双子の。二人はかわりばんこに水を汲んでくるのが仕事だったので」
「仕事?」
「凪ちゃんと嵐ちゃんちは、神社の氏子総代だったんです。それで」
「それで、いわくつきの滝の水を運んでいた?」
「いわくの前から、ここは神様の滝だったから……」
もご、と口ごもる春奈ちゃんである。言われてみればおかしいとでも思ったのだろうか。心中が出てる滝の水を有り難がるなんて、と。遥くんも考え込んでいるみたいだった。そして、あの、と口を開ける。
「村の公民館に資料室があって、そこで読んだことあるんだけど、心中じゃなかったんだって書いてた」
「遥!」
「だって本当のことだ! 男を独り占めしたがった女が、男の首を絞めて殺して、一緒に滝に落ちたんだって! だから俺達だって変な罪悪感覚えなくても良かったんだってホッとして」
「首絞めはそこから取ってるのか……」
ふむ、と私は鼻で息を吐いた。
しかしやっぱり悋気に駆られる女はいたんだなあ。いつの時代でも。って言ってもこの子たちが産まれるちょっと前じゃ十五年前が良い所か。十五年前。黒鵜さんは十二歳ぐらいか。流石に弟さんは亡くなっているだろう。どうだろうな。後で訊いてみよう。いつ、どんな風に亡くなったのか。そう言えば今日はまだ一度も顔を見ていない。遊里さんと愛理さんは結局黒鵜さんの家に泊まったのだろうか。
首を絞めて殺す。でも女の方を、だ。男じゃない。否、『男手』として育てられてきたのなら、女にも可能な犯罪ではある。でも元になった事件とは逆だ。男はこの村の貴重な財産だっただろう。それは今でもそうだ。大事な大事な種馬。それを失うことは痛手だ。黒鵜さんもそれが分かっているから、村に帰って来たのだろう。でも誰を嫁取りするつもりだった?
私と言う異端を連れ帰った、貴重な男。私はもしかしたら黒鵜さんのつがいとして見られているのかもしれない。でっかい間違いだけれど。それとも男の子を連れて来たと思って? 無茶だろう。私の髪は長いし、男顔でもない。顔はこの村の『男』にも言えることだけれど。
でも私が犯罪のプロフェッショナルとして呼ばれたことは、少なくとも三組の双子は知っていたはずだ。だから私は多分殺されないだろう。悋気を買うことはしていない。でもだとしたらどうして性別の確認なんかが必要だったんだろう? てとり。確かに男か女か分からない名前だと自分でも思うけれど。男だったら襲われていた。女だったから逃がされた。女でも襲う理由にはなるだろう。この村は、子供が欲しい。でも東京から来た私はいずれ帰るものだから、役には立たない。
黒鵜さんの嫁候補だったと見做された? だったら分からんでもない。でも私はそれにはちょっと若すぎる十六歳だ。八月朔日女史でも連れてきた方がよっぽど説得力があっただろう。でも的になったのは私だった。男か女か。種馬か借り腹か。どっちにしても私は当てはまらなかった。だからこうしてのんびりと、実況見分なんてしていられる。
「犯人が絞殺に拘ったってことは、よっぽど腕力に自信があったってことよね」
ぽつん、と呟くと、滝の飛沫にか、ぶるっと震えた春奈ちゃんが私の方を見上げる。遥くんもだ。多分杉婆と檜葉婆、そしてこの二人は犯人から除外しても良いだろう。それと桜ちゃんと桃くんのお母さんも。今更そんなことに手を出さなくたって良いんだから。三人に秘密を知られたと言うのも考えにくいし。それに、何日もかけて殺さないだろう。いつばらされるか分からないのだから、私なら三人纏めて一気に、だ。それが無理なら時間を置くけれど。テグスの後は残るだろうから、そうならない為に二度目は軍手を用意したり、三度目は場所を探していたのかもしれない。
「背の高い、……男とは限らないんだよなあ。この村。男女の平均身長が変わらないみたいだから。しいて言うなら体力のある若者ってところか。否、中年も入るか? しかしなあ、動機が見付からない……女装の方だけを殺す動機……」
ぶつぶつ言っているのが聞こえないのか、春奈ちゃんと遥くんは顔を見合わせてふるふるっと頭を振っている。
「とりあえず黒鵜さんの所に行こう。色々聞きたいことがあるから、案内してくれるかな? 二人とも」
「え? あ、はい」
「貴文兄ちゃんちだよね?」
「うん、そっちの黒鵜さんち」
遥くんに手を引かれながら、私たちは滝を後にした。
「貴文兄ちゃーん」
がらっと音を立てて玄関の引き戸を開けるけれど、返事はなかった。どこかに出かけてるのかと思うけれど、靴は揃えて置いてある。遊里さんと愛理さんのそれはなかった。土曜日だ、部活で学校に行っているんだろう。もしくは実家に帰っているか、昨日は泊まらなかったのか。
「兄ちゃん?」
どこにも気配がないことに、私はなんとなくトイレや寝室を覗いてみる。流石に無いだろうと思ったお風呂で、ざあっとシャワーの音がした。何だ、シャワー浴びてたのか。それにしては動く気配がないな。思いながら春奈ちゃんと遥くんを呼びに行く。一人では流石に覗く気が起きなかったからだ。
でもガラス戸には何の影も映らない。なんだろう、それに、奇妙な匂いがする。石油ストーブのような。
「ねえ、ここのお風呂ってもしかして釜炊き?」
「うん、もう古いし兄ちゃんもあんまり帰って来ないからって、お嫁さんが来るまではって釜のままにしてる」
「水道は?」
「中にある」
「嫌な予感がするから開けてみようと思ってるんだけど、良いと思う?」
「嫌な予感って?」
春奈ちゃんが震えている。多分匂いに気付いたんだろう。まさかと思っている。私もまさかと思いたい。だけど。
がらっとガラス戸を開ける。
風呂釜の中で、黒鵜さんは蹲った形で死んでいた。
ストーブのような匂いは、有機リン酸系化合物のものだと、つまりは農薬によるものだと、後で知れることになる。
農薬は肌に触れる事でも中毒症状を起こすので、風呂釜の水を調べたところ、随分な量のそれが発見されることとなった。麓の捜査本部からやって来た緑川刑事は以前違う事件で顔を合わせたことがあったので、ぺこりと頭を下げるだけで済む。そうして私に捜査状況を教えてくれた。他の三件に対しても。
「全員細いテグスみたいなもんで一気に絞められてほぼ即死だな。滝壺に落ちた子も、肺に水は殆ど入ってなかった。鈴緒も凶器じゃないし、寺の木に吊るされたロープも同様」
「今回だけは力業じゃなかった。多分本物の男には、それじゃ敵わないと分かっていたから」
「本物の男――つまり嬢ちゃんは、」
「偽物の『男』、女が犯人だと睨んでいます」
「確かにこの村の風習は人の恨みを買うだろうな。特に『男』として育てられる方には」
ずず、と捜査本部でお茶を啜りながら顔を合わせる私達である。流石に四件目からは警戒も兼ねて村役場の会議室が捜査本部に抜擢された。三件目からそうしておくべきだったと思うけれど、とは言わないお約束だ。三人殺したら死刑は確実だと言われている。四人はもう確約だろう。犯人が同じなら。
「殺された三人の『男』役、見ました?」
「ああ、みんな晴れ晴れとした顔してて喪に服すって感じじゃなかったな。ああいうのは癖が付いちまうらしいが、みんな楚々として女性らしい仕種もしていた」
「多分『女』役がそれらを発揮できる唯一の相手だったからでしょうね。宝塚歌劇団って知ってます? 緑川刑事」
「ああ、関西にある女だけの劇団だろ?」
「あれは男役が卒業してから女性の仕種を思い出すまで何年も掛かるそうです。足を開いて座らない、声を低くしない、肩幅を広く持たない」
「……この村の『男』と同じか」
「だから双子の『女』の前でだけは女性らしくあれる。それはある意味救いでもあったけれど、やっぱり一番の救いは、『自分しかいなくなる』ことだったと思うんです。この村では特にそう。双子の姉妹は唯一の救いであり、一番の癌だった」
「つらいねえ、そりゃ」
「ところで梧桐姉妹の昨夜の足取りは取れました?」
「ああ、二人揃って客間を片付けてから、お前さんが来ないって聞いたところで自宅に帰ったそうだ」
「その後は?」
「誰にも見られていない。だから一見事件とは無関係だな。その、お前さんがされたって言う性別検査も」
「ふうん……」
「どっちにしろ頭が痛くなる案件だ。なんだって戦後も甚だしい今の時代にこんな風習が続いていたのかも、分かりゃしねえ。中学や高校にも聞きに行ったが、ずっと続いていたことなので、ではぐらかされちまったよ。きっとずっとそうだったんだろうな、学校も逃げ場所にならなくて、しんどかっただろう。『男』たちは」
学校すらも。だから潤さんは大学に進学しても男物の服を手放せないし、遊里さんも自分の事を『俺』と言う。面倒でしんどくて辛い暮らしだったけれど、『普通』がもうよく分からなくなってしまっているから、どうしようもできない。テレビなんかでかろうじてこの村が異常なのだと分かるけれど、双子だけを特集した番組なんて少ないだろうから、自分たちがいびつな事にも気付きにくい。学校で男子にからかわれて初めて恥を知るんじゃないだろうか。そしてそれは、深い傷になるだろう。思春期に異性から性的なからかいを受けることは、けっして面白いことじゃないから。
「緑川刑事、もう一つ聞きたいことが」
「ん?」
「黒鵜さんの家のシャンプー、どんなのでした?」
「村に雑貨屋が一件しかなくて、そこで扱ってるのだったよ。多分村人全員同じなんじゃないかね」
「コンディショナーも?」
「? いや、売ってるのはリンスインシャンプーだったが」
「ですか」
やっぱり昨日の夜の相手は『男』だったんだろう。正確には『男』役だったんだろう。かと言って令状も無しにあちこちの家の風呂を覗いて回る訳にも行くまいし、私だってもう香りの印象はうつろだ。フローラル系だった、ってだけなら、どこだってそんなのは麓で買ってくるだろう。バスは一日三本あるから、買い出しには困らない。年頃の娘でなくても、女は女だ。着飾りたい欲はあるだろうし、良い匂いでいたいものだ。
もしも私が男だったら、彼女は私に乗りかかる所だった。女ではないと育てられたのに、急に女を求められた。それは屈辱ではなかっただろうか。今更の事として腹立たしくなかっただろうか。女になれ。男になれ。邪魔なのは『女』。それがいなければ、自分は『女』になれる。そうなれたら子供でも何でも産んでやるだろう。男を村に引き込んでもやるだろう。それが自分の、『女』としての役目になるのなら。『女』であると認められるためならば。
五十歳を過ぎるまで、『男』は『男』でなければならない。そんな掟、破ってやりたくなるのが思春期というものだ。だがそれは無言の圧力が許さない。村自体が、許さない。私達もこうしたのだから、と言われるだろう。だからあなた達もそうしなさい、と言われるのだろう。子種は欲しい。だから多分、少なくとも黒鵜さんの事件は老人たちの仕業ではない。黒鵜。そうだ、と私は席を立ち、資料室の方に向かう。嬢ちゃん、と緑川刑事が呼ぶのが聞こえた。それを無視して、十五年前の年報からめくってみる。ない。十六年前。ない。十七年前。あった。
遥くんが言っていた。滝壺の無理心中だ。殺されたのは当時十歳の黒鵜
気色悪い。うぇ、と唸ると、緑川刑事が覗き込んでくる。
「黒鵜? 今日見付かったガイシャと同じ苗字だな」
「双子の弟ですよ。子供たちには寺の鈴緒で遊んでいたところを締まって死んだ、と知らされてるでしょうけれど」
「また双子か。しかも次は正真正銘の男」
「そう。種馬にされていた、男」
「種馬あ?」
「この地区の男女比率はご存知でしょう? 女優勢の七対三。男が圧倒的に足りなかったんです。だから『男』が必要とされたし、『男手』が必要とされて来た。でも出来るなら本物の男が欲しい。だから――」
だから。
悋気を買うほど。女を搔き集めたのだろう。
貴文さんもそうだとは限らないけれど、おそらくは彼も。
だから東京から探偵を招聘した。
わざわざこんな小さな集落まで、コネを使って頼み込んで。
男の探偵じゃなくて良かったんだろうな、と私は思う。
八月朔日女史の手の者には男の探偵もいるから、そっちじゃなくて良かったと。
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