第1話 契約結婚①
先ほどつけたばかりのエアコンが、急げ急げと音を立てて部屋を冷やしていく。彼が持ってきたウーロン茶に浮かぶ氷がカランと鳴った。
「先ほどは『一言で』だなんて言ってごめんなさい。詳しく話してもらえるかしら?」
私は彼の家にお邪魔していた。年季の入ったアパート。家族で住むには狭いこの部屋は、彼の一人暮らしだそう。学校は……サボってしまった。こんなことは初めてだわ。
「あー、えっと……」
彼は目を右へ、左へ忙しなく動かす。私は呆れて、ウーロン茶を喉へと流し込む。少し興味を持ってしまったのは間違いだったかしら。
「……まずは自己紹介をするね」
やっと口を開いたと思ったら、自己紹介? ……いや、必要ね。
私は初めて彼を見るかのように、まじまじと彼を見る。真っ黒な短い髪。くりっとした、色素の薄めの目。口は小さく、控えめで、全体的に整った顔。皆がキャーキャー言うのもわかる気もする。……嘘、わからないわ。
「僕は
……待って、今なんて?
「僕は本家ではないけれど、血統的には優秀な家の出なんだ。混ざってもいない」
どうして彼は当然のように話を進めるのかしら? バカなの?
「ごめんなさい、少しいいかしら?」
私はニコニコ笑いながら、片手を上げて話を止める。
「どうぞ」
「ありがとう」
ニコニコと笑ったまま、一つ息を吸う。
「まずね、突拍子もないことを当たり前だと言うように話さないでほしいわ。テング……って言ったわよね? あなた人間じゃないの? 人間でないものだなんてファンタジーだけじゃないの? テングって赤くて長い鼻なのではなくて? 血統なんてどうでもいいのよ。もっと話すべきことを話して欲しいのだけど?」
私が捲し立てると、彼は気恥ずかしそうに笑う。絶対に笑い方を間違えてるわ。
「ごめんね。えっと、君の聞いてきた順に答えようか。僕は人間じゃないよ。さっき飛んで見せたでしょ?」
……そういえばそうね。怒りで忘れてたわ。あれは引っ張り上げたとかじゃなかった。彼も屋上から落ちていたもの。
「ファンタジーだけかは……まぁ、見ての通りだよ。僕が言えるのは実際に僕がここにいるって事実だけかな。あとは、天狗は赤くて鼻が長いんじゃないか? だっけ。よく知ってるね、そのとおり。今は人間の姿に化けているだけで、この姿は僕の本当の姿じゃない」
じゃあ皆がキャーキャー言ってるのは、作られた皮に対してなのね。整形……いや二次元と同じってところかしら。
「化けるといえばキツネとかタヌキのイメージだけれど?」
「化けるのが得意なのはそこら辺だよ。ただ、化けるだけなら、
あなたみたいにってことね? ふーん、そう。
「妖怪って? 『妖怪』と『あやかし』は違うもの?」
「そう、だね……妖怪っていうのはまぁ、
困ったように笑う彼に私は頷いてみせる。あなた方が思う妖怪像が気になるところではあるけれど、なんとなくなら言いたいこともわかるわ。他者の見る像と、自らが思う像って違うことが往々にしてあるもの。
「なんとなくわかったわ。けれど、見える人が少数っていうのは? 私たちの学校の生徒全員がその少数ってことかしら?」
「あー、違うよ。えっと……なんていえばいいかな……。自分の姿を人に見せたいと思ったら見せられるし、人に見せたくないって思ったら見せないでいられるし……みたいな? つまり便利な体ってことだよ」
投げやりに結論を出す彼。私も考えてみるけれど早々に投げ出す。わかったわ。便利な体ってことなのね。
「他にわからないことはある? 当たり前のことからわからないだろうことを見つけるのって難しいね」
「なにも知らないことから、わからないことを見つけるより簡単でしょう?」
笑って言葉を返す。あら、固まったってなにも出てきやしないわよ。
「……まぁいいわ。とりあえずあなたのことは置いておくとして、結婚について教えて」
これが本題だもの。大目に見てあげる。
「どうして、『どうせ死ぬなら』なの? 『人助け』ってどういうこと?」
「えっと……僕が天狗で血統的に優秀って話をしたでしょ? 具体的に言うと、僕の家系は代々天狗の長を輩出してきた家なんだ」
……ふーん、まぁたしかにすごいわね。
「今は僕の叔父さん……父の兄が長をやっているんだけど、父はそれが気に入らないらしいんだ。だからたぶん、昔から僕を次の長にしようと企んでる……」
「あなたはどう考えているの?」
「叔父さんの子供……従兄弟の
目を伏せて、穏やかな顔で笑う彼はどこか寂しそうに見える。いつの時代も家督争いみたいなものは存在するみたい。長なんてなっても楽しくなさそうだけれど。しかも小さなコミュニティでしょう? そんなところでトップになっても、大変なだけだわ。……結局、子供は親の道具に過ぎないのね。
暗い気分が表情に出ていたのかしら。彼は気分を変えるように、先ほどより一段高い調子で話を続ける。
「それに、天狗の長なんて重いもの、やりたいとも思わないよ。僕には荷が重すぎる」
やれやれと肩をすくめる彼に、私は首を傾げる。あなた学級委員長やってなかったかしら? それとなにが違うの?
彼は半笑いで頬をポリポリと掻く。
「いや、学級委員長は友達に無理やり手を上げさせられただけだし、天狗の長は妖を治める地位の一つだし……」
「え?」
「ん? ……あ」
しまったというように片手で口を押さえる彼。
私口に出してないわよ? 知らぬ間に口に出してたーみたいな間抜けでもないのだけれど。怖。
「あっ待って待ってこれは違うんだ!」
引き気味の私に、彼は大慌てで縋り付いてくる。……ふーん?
「なに? あなた、まだ自分に関して話してないことがあるわけ? 私知ってるのよ。妖怪にサトリっていうのがいること」
サトリは猿みたいな姿の人の心が読める妖怪よね。キツネ、タヌキばかりだと思っていた「化ける能力」が彼にも使えるらしいし、そういうことじゃないかしら?
彼は畳に突っ伏した間抜けな格好で「違うんだ」、「違うんだ」と聞こえるか聞こえないかの声で繰り返す。
「なにが違うんです? 聞いてやらないこともないわよ」
思わず尋ねると、彼はバッと体を起こす。あまりの唐突さに私は少しのけ反る。
「違うんだ! 僕は変態じゃない!」
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