第1話 契約結婚②

「そんなこと一言も言ってないわよ!」

 私は思わず叫ぶ。眉を下げて「助けて」と言ったような顔をされても、言ってないものは言ってないわよ! 思ってすらないわ! 失礼ね!

 彼は私の叫びにハッとした顔をする。少し落ち着いたらしい。座り直した。

「えっと……これは、ですね」

「……なに」

 私は気まずそうな彼に相槌を入れてあげることにする。

「まず、妖怪というものはですね」

「はい」

「妖力っていう、ゲームとかでいう魔力を持ってるんです」

「そう」

「それを使って妖怪の種族それぞれで色々なことができるんですけど」

「すごいわね」

「その中でも種族関係なくできることが二つあって」

「へぇ」

「その一つが化けること。もう一つが心を読むこと。心を読むことに関しては制約というか……ルールというか……があるけど、人間の心は大体読め、ます……」

「ふーん」

 人の心を読めるなんて……少し羨ましいかもしれない。もし誰もが人の思っていることが手に取るようにわかったなら……。

 ふと彼を見る。彼は私から目を逸らしてどこを見ているのやら。手は握られ膝の上。全体的にこじんまりと体を固めて、ダラダラと汗を流している。

「だから変態だなんて思ってないって言ってるでしょう!?」

 私は叫ぶ。意味がわからない、本当に。

「ほ、本当に…?」

 彼は恐る恐ると言ったように私を見る。

「あなた、確認する術を持ってるわよね? 今自分で人間の心は読めるって言ったわよね? 今こそその力を使うべきでしょうよ!?」

 なんで心を読めるって言っている相手に、自分から心のうちを話す必要が出てきてるのかがわからないわ。そんな力を持たない私が教授してることもわからない。

 彼は随分と間抜けな顔でポカンと口を開けて私を見ている。それから数回、まばたきをすると、「そうか、そうか」と何かを咀嚼そしゃくするようにうつむいた。

 しんと静まりかえってしまった部屋に、少し居心地の悪さを感じて正座をした足を動かす。それから、目に入ったウーロン茶を手にとって、ちびっと口に流し込む。彼を見ると、まだ考え込んでいる様子。手持ち無沙汰ぶさたになってしまった私は、チビチビとウーロン茶を飲みながら部屋を見渡すことにする。

 私の右手側には珠のれんがかかった部屋の入り口があって、その先にはフローリングの床のキッチンと、玄関がある。入ってきた時にキッチンを見たら、水切りカゴに食器が並べてあったし、異様に綺麗なキッチンでもなかったから、自炊しているのかも。

 私の右斜め前……部屋の角には古そうな勉強机が置いてあって、左には大きな窓。中央、私の目の前の丸いローテーブルも随分と古そうで、勉強机と同じ色をしているから、たぶん同じ材木なのだろう。あと、同じ材木で言うと……私の後ろの箪笥たんすもきっとそうね。箪笥の隣には押し入れのだと思われるふすまがある。

 それにしても質素な部屋。飾り気ひとつもない。男子の部屋ってこんなものなのかしら?

 そんなことを思ってもう一度部屋を見渡した私は、あるものに気がつく。

「……かわいらしいくしね」

「え、あ、何が?」

 思わず口に出した言葉を彼が拾う。

「その箪笥の上に置いてあるものよ」

「あ、あぁそれね……」

 箪笥の上の額縁のようなものの中に飾られた櫛。木でできたそれの彫刻がとても繊細で美しい。あれは……何の花かしら?

「ま、そんなものは置いておいてさ、結婚の話をしよう」

 ……話しの腰を折ったのはあなたでしょうに。でも広げてしまったのは私だものね。お互い様だわ。

「えぇ、そうね」

「えっと……どこまで話したっけ?」

 何の話をしていたのだっけ? 確か……あ、そうそう。

「天狗の長は妖を治める地位でもあるから、自分には重たいってことは聞いたわ」

「あ、あぁ、そうだったね」

「妖を治める地位ってどういうことなの?」

 首を傾げる私。彼はうーんと唸る。私、そんな変なこと聞いた?

「……そうだな。妖っていうのはたくさんの種族があるわけだ」

 そうね、私が知っているだけでも結構あるわ。

「そんな妖怪どもが連携も取れず、好きに好きなことしてても困るでしょ? だから陸、海、空で代表を決めることにしたんだって。種族ごとの代表なんか作ってたら、どんな広い場所を用意しても足りなくなるのが目に見えてるから」

 たしかに。だいだらぼっち……だったかしら、なんてとても巨大なんでしょう? そもそもだいだらぼっちも本当に存在するのかしら……。

「代表は、陸が鬼、海は人魚、空は僕らの中から選ぶんだ。選び方はそれぞれだね。僕らみたいに世襲制せしゅうせいのところもあれば、実力主義のところもある」

 天狗は空なのね。空に関する妖怪なんているのかしら? 天狗すら山のイメージだけれど……。

「天狗の長はそんなんだから、責任が重いんだよ。僕には絶対できない」

 私の目を見てきっぱり言い切る彼。そこはわかったわ。けれど、問題はそこじゃないのよ。

「……そう。それが結婚とどう関係があるの?」

「人間と結婚するって、妖怪の中では醜聞しゅうぶんなんだよ。他の種族とならまだしも、人間は力もなければ、すぐに死んじゃうからね。異種族間の結婚も自分の種族の絶滅を危惧きぐして、忌避きひされるものだし」

 あぁ、そういうこと……。

「だからそれを利用して、僕の継承権を無くそうと思って。でも人間と違って妖怪の結婚って恐ろしく固いものでね、離婚は難しいし、人間は人間じゃなくなっちゃって、寿命が恐ろしく伸びる」

 だからって妖怪になれるわけでもないんだよ。と彼は苦笑いをする。

「そんなの簡単に結婚して、なんて言えないし……だからどうせ死ぬなら、僕と結婚してよ。契約結婚でいい。立花たちばなさんは僕と結婚してくれたらそれだけでいいよ。僕は立花さんが望むこと、なんでもするから」

 冷えた心を隠すように、私は笑う。

 人生こんなもんだ。私自身を求められることはないし、勝手に作った「私」を私にくっつけて、それとズレてればいいように言われるのが常だ。もういいかなってこの生を終わらせようとしたのも、これが嫌になっちゃったから。私がいなくなったって世界は何も変わらないし、私がいなくなったって理想の「私」の中で生きる彼、彼女らには利点しかない。私がいると崩れちゃう理想の「私」は、私がいなくなることでずっと理想の形でいられるから。

 それに気づいて仕舞えば、限界はすぐに来た。限界を超えてまでここにしがみつく意味を見出せなかった。

 だから……これも、ほんの些細なこと。少し伸びてしまった命で、人助けをする。最期にいいことをすれば、自殺でも天国に行けるかもしれないし。天国に行けなくても、少しだけ自分に誇りを持てるかもしれない。

「……わかったわ。私、立花たちばな 咲良さくらはその話をお受けしましょう。不束者ふつつかものですが、よろしくお願いしますね」

 私はちゃんと笑えているかしら。私は「私」らしく、気高くあれているかしら。

「ほんと…!?」

「ええ」

「ありがとう…! 本当にありがとう!」

 彼はニコニコと本当に嬉しそうに笑う。

「じゃあ今週末にでも……」

「え、今週末に届けを出すなんて言わないわよね?」

「え? どうして?」

 きょとんと首を傾げる彼に、私は驚く。意味がわからないわ。ほんとに彼、全体的に意味がわからない。

「知ってると思うのだけれど、私まだ十六だから結婚できないわよ」

「……え゛」

「あなたも同い年よね?」

 絶句した彼に、私は眉根を寄せる。彼は少し思案すると、恐々私を見てくる。

「……十六って結婚できる年齢じゃなかったっけ…? いや、男子ができないのは知ってるよ? でも僕の年齢はどうにかできるし、そもそも本当は184歳だし……え、できないの?」

 ……184歳というのも驚きだけれど、知識が古いことの方に驚きだわ。

「2022年に法改正されて、男女ともに結婚は十八歳からになってるわよ」

 彼は大きく口を開けてぽかんとしている。私は呆れ果てる。大丈夫かしら、彼。意味がわからないという気持ちより心配が勝ってきているわ。

 あまりにも彼が固まっているから私は助け舟を出すことにする。

「結婚するのは私で大丈夫かしら? 今ならまだ……」

「いや! 君がいい! ごめん、取り乱してしまった。けど、妖の結婚は届けを出す限りでないし、大事なのは妖力の交換で……いや、とにかく君がいい」

「そう」

 妖力の交換とかいう知らない単語が出てきたけれど……まぁ今はいいわ。

「それなら、よろしくね」

「あぁ」

 彼が朗らかに笑うから、私も優しく微笑む。

 これでいい。これでいいの。だって、もう見失ってしまった私は帰ってこない。

「それじゃあ、今週末だけど……」

 私は笑顔の仮面を被ったまま、氷がほぼ溶けてしまったウーロン茶を口に運んだ。

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