君にひかれて

@sakuma8

前編

 平日の昼ごろ、ある学校の教室は男女両方の声が混ざり合い混沌としていた。

 そんな教室の端に数人の女に囲まれいる女の子がいた。女たちは彼女を侮蔑するように、また何かを企むかの如くうっすらと笑みを浮かべている。

 その中のリーダー格とおぼしき人物が女の子に向かって言った。

「おい、お前売店でなんか買ってこいよ」

 いわゆるカツアゲと言うものをしているのだろう。しかし女の子は返事をすることもなくずっと黙っている。

 その状況が気に入らないのかその女は更に声を大きくして言う。

「なんか言えよ。また同じっ事されたいのか、ぁあ?」

 女の子は何も言わない。フラストレーションが溜まっていった女たちはつい女の子に掴みかかろうとしたが、周囲の視線がこっちに向いていることに気づいた。

 流石に公衆の面前で暴力は躊躇ったのであろう、リーダー格は他の女に指示をして教室から撤退していった。


――放課後、校舎裏に来い


 そんなありふれた言葉を残して……


 放課後の教室、いかにもラブコメでも展開されそうな雰囲気、というわけでもなくただどんよりとした空気と今にも雨が降り出しそうな空が教室の窓際を照らしている。

 私はそんな誰もいなくなった教室の机に突っ伏しながら何かをしようというわけでもなくただ寝るような姿勢で過ごしているだけだ。そんな私にもある思考が頭を駆け巡ることがある。

――もうそろそろ飽きてくれないかな、疲れたんだけど

 私に対するあの女達からの嫌がらせは高校に入ってから比較的最初の頃から一年以上続いている。まあ、余計なことに足を突っ込んだ私も悪いんだけど、それに対しての報復としてはやりすぎなところではある。でも後悔はしてない、私が他人を助けることができているのだから。

 今は民法のおかげで私が血を流すのは避けることができるけど、心には一般人が思う以上の負担がかかっている。血を流す方がマシと思うぐらいには。

 もうそろそろかな、なんて思った私は静かに椅子から立ち上がり、スクールバックを持って目的地へと向かう。

 ……学校という場所は何ともまあ便利なものである。日常生活に必要なものは全部そろっているし、何より死に場所さえもあるわけだ。立ち入り禁止の屋上、聞くにはこの学校で昔屋上から自身の体を天へとはばたかせた人間がいたせいで、立ち入った者は全員退学処分になるとかなんとか。

 まあ私にはそんなこと今更関係ないし、と屋上の出入り口に貼ってあった立ち入り禁止の張り紙を無視して開けてやった。

 

 私の学校の屋上は青春を楽しむカップルが来るようなところじゃないから廃れていて、あんまり居るという選択肢を取る気にはならない場所ではある。

 床はひび割れて、その裂け目から名前もわからない草がボウボウに生えているいかにも廃墟と言わんばかりの荒れっぷりだ。

 そんな空間に向けて一歩一歩と足を踏み出し、出入り口とは正反対の柵がついている校舎の端っこまで歩く。

 私が屋上に来る途中から降りだした雨が激しくなっており、私がいる場所からは本来校庭が見えてもおかしくはないものの、そこには雨霧がかかっており何も見えていない。

 私はそこから少し前へ体を傾けて校舎の下の方を覗いて固唾をのんだ。

 屋上というだけあって建物自体は高く、頭から落ちてしまっては打ちどころが悪ければ即死する可能性があるのは明白だった。

 少し躊躇いつつももう少し柵から身を乗り出して、息を呑んで、私の意志を全面に押し出そうとしたときである。

「……何をしようとしているの?」

 そんな言葉が私の左下から聞こえてきた。

 誰もいないと思っていた空間に響く他人の声に驚き、つい発声源の方に振り向いてしまった。

 そこには私と同じ歳くらい……いや、少し若くて童顔の男の子が柵の外側で足をぶらつかせるように座っていた。彼が着ている制服が自分の学校のものであったからかろうじてわかったものの、私服だったら中学生だと思っていたかもしれない。

 いつの間にいたかと思い、唖然としているとそこにいる男の子が話を続けてくる。

「珍しい……どころじゃないね、本来ここは立ち入り禁止だから。」

「ねえ……君はどうしてここにいるんだい」

 そう聞いてくる彼はいつの間にか私の隣に来て耳元で呟いてくる。やけにフレンドリーに話しかけてくる彼が焦ったいが、突き放す気力もない私は弱々しい力で言葉を紡ぐ。

――もう疲れたの……だから、ね

 こんなこと言ってもいかにも空気が読めなさそうなコイツには通じないだろうな、と思い横にいる彼の方をチラリと目を向けてみた。

 しかし、私が予想していた反応とは違い何かを熟考しているようで、私の視線にすら全く気づいていないようだった。

 少しの間が空いた後彼はさっきのような調子ではなく真剣な眼差しでしっかりと私に語りかけてくる。

「今の君は元気なのかい?」

 急に彼は突発的にそんなことを聞いてきた。

 私の体は元気なのでうんと頷くと、彼は立て続けにこんなことを発してくる。

「僕は体の方ではなく心のほうを聞いているんだ。そっちの方はどうなんだい?」

 さすがにその質問には答えかねることになってしまった。

 心が健康かなんて私自身も全くわからない、分からなくなってしまった。

 どう答えたら良いか思い悩んでいると、彼は言葉を続けてくる。

「僕は君の身に何が起こったかはわからない。ただ想像はできる君は心も体も他人に傷つけられた、違う?」

「…………」

 私が言葉に言い淀んでいると目の前の彼はさらに言葉を続けてくる。

「はっきりと言おう。君は家庭内でも心が傷つき、学校では……誰かしらにいじめられていた、そうだろう?」

 その言葉を聞いた時、私の脳裏には私がこれまで経験してきた全ての記憶が流れてきた。

 それと同時に頭の中で何かの糸が切れたような感覚がした。

 それからしばらくの間は彼と何かを話していたと思うのだが、断片的にしか覚えていない。

 その時私の瞳には大粒の涙が流れていて、あまりにも人に見せられるようなものではなかったと思う。


 私が12の夏頃、例年と変わらない暑い日に私の胸が引き裂かれるような辛い事件があった。

 夕方、母と二人で父の帰りを待っていたとき、不意に一本の電話がかかってきた。

 その電話の相手は父ではなく警官、もしくは救急隊員であったと聞いている。

 それだけその後に続く衝撃的な言葉が強烈で目の前を暗くするものであった。

「……旦那さんが車に轢かれて、意識不明の重体です……」

 ……その後のことなんて言わなくても想像は容易いでしょう。

 その後に私たちの生活は大きく変わった。

 更には……母の私に対する態度さえも変わってしまった。

 昔から共に愛を育んできた仲だったパートナーに先立たれ残された母にとっては相当辛かったものであったのは確かだ。

 それでも親という存在は残った子供のために全力を尽くすべき、それが本来なら一般論であったのは間違いない。

 しかし母はそんな一般論とは全く違う歪んだ考えの持ち主であった。

 母は悲しみに明け暮れ家事育児、さらには家族の財源である仕事までも放棄するようになった。

 仕方がなく小学生であった私が家事をして母のお世話を、なんていう生活が続くことになる。私はそんな生活に慣れてきていたものの少しずつ疲労を顔に見せるようになっていた私をみて心配した先生が児童相談所に連絡してから、更に私は母親から引き離されて遠い場所へと連れて行かれた。

 次に、そして最後の再会になるのは半年後の葬式であった。


――君のお母さんが亡くなった


 不意ではあったがすんなり受け入れている私がいた。

 なんとなくそんな感じがしていたのかもしれいない。何を言おうと私が家事を代わりにしている横目で母の様子を見てきたのだ。そうなることなど感覚的に察していたのかもしれない。

 だから、今回は一粒も涙を流さなかった、流すこともできなかった。

 もしかしたら私のことなど見向きもしないで育ててきたことに気づき、母親として認めていないのかもしれない。

 そう考えると私の親戚は親の代わりとしてはとても良い人であったに違いない。

 私を連れてきて養子という形で育ててくれた。それに何より私の目をしっかり見てくれた。真剣に話を聞き、相談に乗ってくれる、それは人生で初めて体験した経験だったかもしれない。

 砂漠のような人生においても唯一のオアシスだった、そう言っても過言ではないぐらいに。


 親戚の庇護の下ですくすく成長……いいや身長と女性の誇りはあんまりだけど成長した私は無事に受験も終了して高校へと進学できた。私が住んでいる場所から電車で30分ちょいは離れていたので育ててくれた親と一緒にいる時間も減ってしまった。

 高校生になってから数ヶ月、これと言った問題もなく比較的楽しいと言えるような学校生活を送っていた。

 しかしそんなひと時の安らぎも一瞬にして塵と化すこととなる。

 放課後、勉強道具をカバンに詰めて家に帰ろうとしたところ、妙な雰囲気と醸し出している生徒が目に入った。

 私が見ていた子はカバンなどといったものを持たないで正真正銘手ぶらな格好でどこかへと行こうとしているようだ。たしかその人は部活動には所属していないはずだったので何があったのか少し気になってしまい後ろをつけていってしまった。席は私の二つ前だったので交流は特になかったが私の知りたいという好奇心に勝てる要素はなかった。

 もちろん、のちに起こることなんて知る由もないのだから……


 さっきの子は職員室は実習室などではなく、まっすぐ外へ行く道を進んでいた。たしかそっちの方は校舎の裏側で校内からは見えないからか、不良と呼ばれる類の人種がたむろしている場所だった。

 その子はそっちの方に行ってしまった。流石に危険な場所には行く勇気が無いので悩むことになる。

 しかし、そんな躊躇いを吹っ飛ばすように校舎裏側から言葉の形を成していない怒声が響き渡った。

 恐怖という感情が私を支配しているが、知るべきという義務感が何故か私の足を校舎裏へと動かす。ソッと建物の陰に隠れて声のした方向を覗いた。しかし、そこで見た光景は世間の醜さそのものであった。

 複数人で一人を虐め、ある人はそれを写真に収め、ある人は笑い暴行をする。そんな時代錯誤な行為が今目の前で実行されている。

 その対象は……さっきの女の子だ。何も言わずに流れるままにいじめを受けているのだ。私は助けたい、そう思ったが同時に不可能であることも確信できる状況だった。

 相手は複数人、痩せ気味な体格の私なんかよりも体はずっとよく、何事もなく助けるなんて無理と言って逃げ出すなんて妥当といえるはずだった。

 そんな思いとは裏腹に体は急激に女の子がいる方へと走り始めた。その足はとめることを止まることを知らず、気づいた時には女の子を庇うような立ち位置についてしまっていた。

「なんだよ急に割り込んであたしらの邪魔をしやがって」

 不良っぽい女たちは少し驚いていたが、すぐさま私に対して睨みつけて怒気を含んだ声で言ってくる。

「こんなチンケな場所で一人を複数人でいじめているなんて人として最悪だと思うのだけれど。あなたたちのそれと私が邪魔をしたのとではどっちが悪いことなのかしら?」

 不良たちは何か言いたげに餌を求める鯉の如く口を動かしていたが、自分達に分が悪いと思ったのだろう、何も言えていなかった。

 こういう奴らってネットとかでレスバしてるタイプだと思っていたから少し予想外だった。

 しばらく睨み合いが続いていると相手のリーダーっぽい奴が私が不快になるような笑みを浮かべて私の顔を見てきた。

「まあ、今回は見逃してやる。ただお前は許さない、あたしたちに関わったことを後悔することだな。」

 リーダー格が私に指を差してそう言ってきた。とりあえず今は大丈夫そうだったから、女の子の手を引っ張ってその場から離れた。


 私と女の子が教室まで戻ってきて一息ついた後、私は女の子に訊ねた。

「大丈夫?怪我はなかった?」

 女の子は俯いていて、何かを言ってくれるような雰囲気ではない。……と思っていたが、口を開いてくれて答えてくれると思ったがそれは私への怒りを孕んだ問いかけだった。

「何で私を助けたの。私なんかに関わらなかったら、あなたが巻き込まれることなんてなかったのに」

「そんなのどうだっていいわ。私は助けた方がいいと思ったから行動し、結果的に私が巻き込まれることになっても後悔はしてない」

 問いかけ私は強く言い返した。少し言いすぎたかなと思うぐらいには。そうすると女の子は目を静かに閉じて何も言わなくなってしまった。

 これ以上話す意思が女の子にはないと思ったので私は家に帰ることにした。カバンを持って教室から出ようとした。

 後ろから私を止める声が聞こえたのはその直後だった。後ろを振り向くと女の子がこっちを向いていないものの私に向けて言葉を出した。


――今日はありがとう


 その言葉を聞いた私はその子に向けて見えないだろうけど笑顔で返事をした。

「大丈夫、困ったときは周りに相談したらいいよ」

 そう言って私は教室の扉を開けて家路に向かった。

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