第2話 リーティの魔法
ちゃんとした食事とは言えないが、昨日食べさせたパンのおかげか、少女はよく眠れたようだ。ここに来てから溜まった疲労がすっかり取れたように、彼女の緊張した顔も緩んだような気がする。
「そういえば、名前がまだ聞いてないな」
俺は半分寝ている少女に聞いた。
「私はリーティです。お兄さんは?」
「俺はイリアス」
「じゃイリアス兄さんですね」
リーティと名乗った少女は無邪気な笑顔を見せた。
「兄さん?」
確かに俺のほうが年上だけど、お兄さんと呼ばれるとなんだか変な気分になってしまう。俺は前世に兄弟なんかいなかったので、こういう流れに慣れないのも当然だ。
「うん。私、ずっとイリアス兄さんみたいなお兄さんが欲しかったんです」
うきうきとしているリーティを見て、俺はつい彼女の身の上に興味をもった。
「リーティは昔に兄弟とかいたの?」
この質問が外れだったようだ。これを聞いたリーティの顔がみるみる曇った。
「わるい。言いたくなかったら別に…」
「そうじゃありません。イリアス兄さんに隠したいわけではないですけど、今はこの話をする時じゃないかと」
「じゃまた今度で」
「はい!」
リーティの笑顔が可愛い。もと十八歳である俺は決してロリコンじゃないが、その無邪気で真っ直ぐな微笑みを見ると心が暖かくなる。俺はここに来てからもうすぐ二年だ。あらゆる犯罪をはらんでいるこのスラム街でこんな気持ちになるのは初めてだ。やっぱりこの子、ここに似合っていない。
「お前は何か勉強したことあるの?」
「特にありません。私は良い環境で生まれ育ったではないですから」
「なら俺と一緒に魔法を学ぼう。ここを出たら役に立てるはずだ」
彼女自身を守るためにも、リーティには魔法を習って欲しい。
「魔法を?」
「ええ、俺についてこい」
リーティをつれて、俺はいつもタダ乗りしている魔法塾に来た。盗み聞きしようとリーティに申し出たとき、彼女は嫌そうだったが、結局俺から離れなかった。この前スラム街に来たばかりのリーティだって、お金も食べ物もないのに、窃盗など底辺の世界でありふれたようなまねに手を付けなかった。この子はいい子過ぎた。俺と真逆だ。
しばらく窓越しに授業を聞いて、リーティはすっかり夢中になった。どうやらこの子には勉強の才能があるようだ。これで俺がいままで身につけたものを彼女に教えてもすぐ飲み込まれるだろう。
「ね、イリアス兄さん」
「どうしたの?」
俺がリーティに振り向くと、彼女の好奇心に満たされているつぶらな瞳とぶつかり合った。
「魔法、楽しそうです。帰ったら一緒にやってみましょう」
「なに、そんなことか。いいよ」
俺は今まで魔法を発動するためしを何百回もした。しかしやはり「魔導書」がないと完全なる魔法は出せない。一番初階の火魔法を使おうとしたが、中途半端な火花しか出なかった。それをリーティに教えたら、彼女をがっかりさせてしまうのかな。
「兄さん、その人は?」
考えにふけっている俺に、リーティは後ろの方向を指して聞いた。我に返って振り返ると、いつも俺にいちゃもんをつけている塾の講師が怒鳴っているのが見えた。
「あんた、また盗み聞きしているの?今度こそ衛兵のところへ連れてやる!」
またばれたと気づいた俺は慌ててリーティを連れて帰ろうとするが、彼女はいつかその講師の手前に行った。
「本当にすみませんでした。でも兄さんはいい人ですので衛兵には連れていかないでください」
「そう簡単に許されるもんか!」
リーティを無理やり拘束しようとする講師のまえに、俺は彼女の手を引いて脱出した。この人から逃げるのが得意だから、捕まるおそれがない。
「なに考えているの?そんな人に情を訴えてもしょうがないだろう」
やっとスラム街に戻れた俺はリーティに説教し始めた。
「ごめんなさい。ただ謝らないといけないと思いまして…」
「確かにお前の気持ちは正しい。しかし謝ったら許されるなんて考えが甘過ぎた。さっきその場で衛兵のところにつれて行かれると、ろくな目に合わないぞ」
「くすん」
泣きそうな顔しているリーティを見ると、俺は少し後ろめたい気持ちになった。確かにこの子の考え方は正しかった。でもそういう正論じゃ俺たちのような底辺の者に通じない。ここは、正しい人が真っ先に打たれる世界だから。
「でもその優しい心は持ち続けていけ。将来リーティの強い武器になるかもしれない」
声を小さくして、俺はリーティの頭をなでなでした。それだけで機嫌を直したリーティを見て、どんなにちょろい子だよと思った。
「よしっ、今日勉強頑張ったリーティのために食べ物を買いに行こう!」
頑張ったご褒美と言ってもいつもと同じパンだ。食べる口が増えたので毎日の出費も増えた。自分の食べる量を最小限にしたが、やはりお金がたまらない。そして今まで一人で頑張って貯めてきたお金は、数日前に使っちゃった。
「ごめん。結局パンしか買えなくて」
「ううん。イリアス兄さんが買ってくれるものなら何でも美味しいです」
その偽りのない笑顔を見て、俺はかえって心を痛めた。
俺はどうしても強くなって、そしてこの子をここから連れ出さないと。
「半分っこしましょう」
そう言いながら、リーティはたった一つのパンの半分をくれた。
「俺はいいよ。お前一人で食べろ」
「だめです。イリアス兄さんはいつも自分の食べ物を減らしているんでしょう。体を壊してしまいます。そうなるとリーティは悲しいです」
「……」
彼女に返す言葉がなくて、俺は無言に彼女から半分のパンを受け取った。
「じゃ今から魔法の練習をしようか」
食事が済んだ夜に、俺はワクワクしているリーティに言い出した。そしてリーティはそれを待っていたかのように躍起になった。
「まず手を伸ばして、俺と一緒に呪文を唱えろ」
リーティの手を握って、俺は徐々に口を開く。
「壊す力を秘めた炎よ、わが引火に応じて来たれ、定着しないものの形を作って、ファイアボールなり出たまえ」
それを入念に復唱したリーティの手のひらから、俺は微かな暖かさが感じた。
「火が出ないですね…」
落ち込んでいるリーティを見つめ、俺は自分の驚きを一旦抑えた。代わりに俺はつい漏れた笑みを帯びた顔で彼女の背中を叩いた。
「いいえ、これはすごいぜ。リーティ」
「はい?」
リーティは状況が分からずに目を見開いた。
「この暖かさを出せるだけで十分すごいんだ。昼間にも塾で見ただろう。魔導書なくして魔法は使いこなせない。俺だって最初の時呪文を詠唱してもなにも起こらなかった。でもリーティは初めてで魔導書なしに詠唱したのにこんなエネルギー保存則に反する奇跡を起こせるなんて…」
「え、エネルぎーの…?」
「あっ、わるい、嬉しすぎてつい言っちゃった。とにかくリーティはすごい。それだけ信じていいぞ」
「はい!イリアス兄さんの話を信じます」
猫のように俺になついてくるリーティだ。
俺は初めてのためしから熱を出せるようになるまで一ヶ月もかかった。そんなリーティは一回のためしで同じことができた。この妹は、本当にたぐいまれな才能を持っているかもしれん。強くなる道へまた一歩近づいた。俺はなんとなくそんな気がする。
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