第3話

 

 随筆の名手、というのか、こういうなんとはない身辺雑記のような、随想、日記、日録の類の有名な作者は数多いと思う。


 ”日本三随筆”は、吉田兼好の「徒然草」。清少納言の「枕草子」。 鴨長明の「方丈記」 とされている。


 まあ、大昔にこういのを書き残した記録が残っている、そういう記録的な価値、資料としての重要性も加味した選定とは思います。 「野に遺賢あり」というが、生後すぐになくなってしまった赤ちゃんとかの中に、すごい随筆家になる素質のあった遺伝子?が眠っていた…そういうことは、可能性だけでなくあって不思議でない。


 そういうことは運命というかどうしようもない「if 」で、まあ、きりがない。

 が、吉田兼好でも清少納言でも、いろんな偶然の幸運が重なって、後年崇められる歴史上の人物となりえた…

 ヒトの運命とか、いろんな人事の往来の因果関係の糸? そういうものの不可思議さを思う。


 「随想録」という、「パンセ」が原題のエッセー集を書いたのがパスカル。 未読ですが、「人間は考える葦」、「クレオパトラの鼻が3センチ低かったら歴史は変わった」などという面白い箴言を遺した偉人で、原始的なコンピューターを自分が作ったというのでも有名で、また読みたい気もします。 図書館にはありそう。


 「私は何を知っているか」と、逆説的な名言が有名なんが、ラフォンテーヌか、ラロシューコー。どっちか忘れた。 膨大な「エセー」という随筆集を書いたそうです。 丸谷才一みたいな人だったのかな。


 丸谷才一も有名だが、その辺りで似た感じの随筆の名手、日本の作家だと、古くは寺田寅彦という科学者のが人気あったらしい。 この方は「吾輩は猫である」の、寒月くん、のモデルとされている。


 最近だと山口瞳とか、野坂昭如とか、開高健さん、渡辺淳一さん、伊集院静さん、佐藤愛子さん、田辺聖子さんなどがよく雑誌とかで名前を見て、実際読んでいる人が多かったと思う? またもう世代交代してるか知らんけど、こういう、人生の智慧を闊達に愉快に伝授してくれるような出版文化?というかは、現代の日本の活字文化のいいところだったと思います。


 外国にもコラムニストとかは多いだろうけど、日本のように多種多彩ないろんな人物がひしめいている? そういう感じはないかも? なんだかよくわからんけど…

  

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